おめでとう、日馬富士! でも競馬の世界も

 日馬富士、横綱2場所目で、全勝優勝!おめでとう。
 実は、去年の11月20日、場所中にも関わらず、毎日新聞の「牧太郎の大きな声では言えないが」で、日馬富士を猛烈に応援するコラムを書いた。
 横綱審議会の偉い人が、新横綱にいちゃもんつけている、と聞いたので書いた。
 題して「『ハジカミ』でなくても」。もう一度、読んでくれ!
 「本朝相撲之司 吉田家伝」という古文書にこんなクダリがある。「抑々(そもそも)横綱とは往昔、嵯峨天皇の御宇弘仁年中、摂州住吉の神事九月十五日の相撲会に、近江国の住人ハジカミと云(い)へる力士、一人も対手に当たるものなかりしかば、当時の行司志賀右左衣門尉、住吉社の注連縄(しめなわ)をハジカミの腰に纒(まと)はしめ……」
 要するに「ハジカミ」という力士が、あまりに強かったので、彼の腰に“しめ縄”を巻き、それに触れば相手の勝ち!と決めたのだが……誰一人として「ハジカミ」の“しめ縄”に手を触れることすらできなかった。
 これぞ、スーパーマン!
 この「横綱の由来ハジカミ説」を主張するのが、相撲の宗家とされる吉田司家。江戸時代、大関の中で品格・力量・技に最も優れた者だけに「白麻で編んだ太いしめ縄」を許す横綱制度を考案。1789(寛政元)年11月、谷風・小野川に横綱を許した。
 「覇権争い」に権威を持たせ、勝ち負けで「明確な差別」を付けるのが興行の知恵。横綱の誕生で江戸のファンは熱狂した。
 ところが、大相撲が「国技」という“看板”を背負うと七面倒臭くなる。ハジカミ説も、ありえない話と指摘され自然消滅した。
 国技の日本相撲協会は「横綱の品格基準」も作った。(1)相撲に精進する気迫(2)地位に対する責任感(3)社会に対する責任感(4)常識ある生活態度(5)その他、横綱として求められる事項……こんな厳しい基準、もし今時の政治家に求めたら、全員アウト!だろう。
 さらに、横綱には「横綱相撲」が要求される。相手の攻撃を正々堂々と受け止め、その攻撃をはね飛ばして、力の差を見せつけて勝つ。正攻法で戦い、勝つべくして勝つ。
 しかし、である。新横綱・日馬富士にこれは無理だ。身長186センチ、体重133キロ。幕内最軽量の日馬富士にこんな芸当はできない。
 横綱審議委員会の偉い人は「真っ正面から受け止める気構えがなければ横綱の資格はない」とめちゃくちゃなことを言うが、ファンは、新横綱・日馬富士に華麗な変化技、意外な小技を期待している。
 昨日まで、8勝1敗の日馬富士よ!自分らしい、小兵の相撲をとってくれ!
 無敵の「ハジカミ」ではなくても、日馬富士は立派な「技能派横綱」になれるだろう。
 こう書いたが……先場所、惨敗だった。今場所、日馬富士は「得意の変技」に戻った。
 東京競馬場の帰り、競馬仲間と「天ふじ」のカウンターで、テレビ観戦。白鵬の「仕事」を封じて、全勝!見事だった。日馬富士は、こうでなければ。
 でも、日馬富士の「奮闘」はあったが、大相撲人気は今ひとつ。
 原因は日本人力士の低迷。上位に、日本人力士はいない。
 競馬仲間が「外国人だけが活躍!は競馬も同じ」と嘆いて見せた。
 もし、一年中、外国人ジョッキーが日本で走れば、騎手ランキングの上位は外国人に独占されるだろう。
 日本人騎手の皆さん、完全自由化になったら、仕事が無くなるぞ!
 そうそう、東京競馬場の成績を報告しなければ……絶対の自信の根岸ステークス。⑦メイショウマンシュウの末脚を軽視して、惜しいところで10万馬券を逃した。
 大好きな将棋の米長邦雄さんの言葉。「負けるより勝が良い。が、勝っても負けても幸せになりうる生き方を求めたい」
 それが出来るのが競馬なんだが……そうそう、今日、1月28日は、JRA賞授賞式!

<何だか分からない今日の名文句>
人間すべからく己の人生の対局者たるべき(米長語録)