JRA賞授賞式で「北平」の主人に再会!

 28日夜は、都内のホテルで2012年度のJRA賞授賞式。
 廊下で「マキさんじゃありませんか?」と声を掛けられた。始めは、誰か?分からなかった。
 「北平ですよ」
 「あのダービーの部屋の木村さん?」
 あの京の老舗「北平」のオヤジさんだった。
 10年ほど前、柳橋の仕事場の隣の会社の社長さんから「京都に『ダービーの部屋』がある料理屋がある」と聞かせれ、ワザワザ新幹線で「北平」に行った。
 びっくりするほど広い庭。築100年以上になる邸宅。手入れの行き届いた庭をボーッと眺めていると市街地にいるの忘れてしまう。
 大邸宅で酒を飲む酒の種類も豊富、器も素敵。部屋部屋に、古の三月人形が並んでいる。
 料理は……全て薄味。「おこげと京野菜のあんかけ」が抜群だった。
 贅沢な時間を堪能して……「ダービーの部屋」を見せてもらった。
 中央にダービーの優勝旗!
 実は……「北平」の先々代は、昭和41年「日本ダービー」で勝ったテイトオーの馬主さん。
 木村家と競馬の繋がりをいろいろ聞いた。当時、連載中のスポニチの競馬コラムで「北平と競馬」を紹介した。
 「マキさん、なんで、ここに?JRA賞の関係?」ということになった。
 「僕、恥ずかしいですが、JRAの経営委員をしているんです。それより、木村さんは?」
 「倅の浩平が騎手を辞め、調教助手になって……」
 ご子息の木村浩平さん(1983年12月24日 – )はJRAの騎手だった。
 2003年3月、栗東田所秀孝厩舎所属騎手としてデビュー。石橋脩・松岡正海・長谷川浩大・佐久間寛志などが同期で、この年、22勝を挙げ、初年度より3年連続で2桁勝利をマーク。3年目の2005年にはエリモハリアーで函館記念を制覇した。
 有望視されていたが…… しかし4年目以降、減量騎手の特典が無くなり騎乗数・勝利数共に減少。
 一昨年、現役騎手を引退、引退時に所属していた須貝尚介厩舎の調教助手に転身していたそうだ。(通算成績は1129戦59勝、重賞1勝)
 残念だったろう。
 「そこで、ゴールドシップに出会ったんですよ」とオヤジさん。
 彼が調教したゴールドシップが最優秀3歳牡馬に輝いたのだ。
 ステージに上がった倅を眺める「北平」のオヤジさん、晴れがましい笑顔が一段と素敵だった。

<何だか分からない今日の名文句>
JRA賞は新たな戦いの始まり