国家が「秘密」にすれば……
【11/20のブログはお休みします】

 アメリカには、国民が国家を監視する伝統があった。それが民主主義。
 「銃規制が甘い!」と言われるのは、いざという時、国民は国に対しても銃を向ける自由がある、という証だからだ。
 その自由なアメリカが日本に対して「国家が国民を監視する法律を作れ!」と言うだろうか?
 国家が「秘密」と指定すれば、それに関して、国民を監視して、処罰する法律」を要求するだろうか?
 しかも、アメリカは、この法律が成立しても、日本に「秘密」を教えるだろうか?
 「特定秘密保護法はアメリカの要求」というのは勘違いだ。
 (詳しくは、発売中のサンデー毎日「青い空白い雲・特定秘密保護法に命をかける安倍さんの勘違い」を読んでくれ)
 今日19日の毎日新聞夕刊「牧太郎の大きな声では言えないが」では、28年前、スパイ防止法が国会に提出されたころのことを書いた。
 「特定秘密 保護法」に拘っているのは、この悪法が成立すると、我々は「自由」を失うからだ。
 「安倍内閣で」という訳ではない。法律が出来れば、悪徳政権が、この法律を乱用する。何故なら「権力」とは、そう言うものなのだ。
 今週、衆院通過がヤマ場を迎える。
 明日20日午後、廃案を求めるジャーナリスト有志の集会が開かれる。参加する。

<何だか 分からない 今日の名文句>
分れ道は「自由」の別れ道