同窓会は「黙とう」で始まって

 平成25年11月16日夜は、日大一高38年卒の同窓会。浅草ビューホテルに40人が集まった。
 50年前の「この年」、卒業したのは356人。25年ぶりで、辛うじて連絡を取れたのが、80人ほど。その半数が出席した。(在学中「悪さ」をして、退学になった奴が二人参加した。二人は、大学受験の資格を取り、日大の夜間に進み、途中、昼間に編入、立派に日大を卒業している)
 当時、学校の事務補助員だった先輩の「音頭正治先生」が出席してくれた。彼は、その後、教員免許を取り教師になり、今、専務理事になっている。
 でも、教えてくれた「大熊」「小熊」「原爆」「カイドウ」……恩師の大半が亡くなっていた。
 我々も69歳の高齢。連絡が取れたうち、28人が亡くなっていた。
 で、まずは、黙とうから始まった。
 名前だけの「同窓会会長」の僕が下手糞な挨拶した後、全員が近況報告。サラリーマンのリタイヤ組もいたが、現役組が多かった。中小企業が多い「墨田区」の私立学校だったので、家業を継いだ人間が多いからだろう。隠居しているのは皆無だった。
 地域に貢献している人物もいる。
 例えば「空手の居串俊男」は荒川区商店街連合会の副会長。ことし「2013年、荒川区と台東区はびっくりイベント区になる!」という運動の中核として活躍した。(全日本空手道連盟連合会の評議員で、空手の一派「剛柔流泉武会誠友連合居串会」を組織している)
 約3時間、大いに話した。大笑いした。
 これから毎年、11月第2土曜日に、このホテルで、集まることを決めた。
 終わって「地理部の仲間6人」で、観音裏の「ひまわり」で二次会。
 「アメリカ大使館を見学して、アメリカ大陸の地理を勉強した」という思い出話になったが……当方、全く記憶がない。
 「一緒に行った!」と5人全員が言うが……大体、地理部だった記憶さえ曖昧である。
 弁論部、郵便友の会、文芸部、新聞部(これは部員が僕一人で、壁新聞を作っていただけ)などに入部していたが……「地理部」の記憶は曖昧だ。
 「英語部と称して、牧は文化祭で英語劇をしていた」と言われた。これは記憶にある。校則の「丸坊主」が嫌で、教師に「英語劇をするから、髪の毛を伸ばさせろ!」と談判。渋々、認めさせたことを思い出した。
 その文化祭では「文芸部」として、石原慎太郎を始めとする当時の一流作家の「実筆原稿」を集め、展示して、学校中の話題になった。(月刊「文学界」の女性編集者が協力してくれたが、あの女性は今どうしているんだろう?)
 今、考えてみると、あの頃が、一番、楽しかった。友達も多かった。
 社会に出てから、俺は、一体、何をしていたのか?
 友達も少ないし……何も、役に立っていない。
 みんなと別れた帰り道、ちょっぴり、落ち込んだ。

<何だか分からない今日の名文句>
来れ よき友 もろともに
理想の星をのぞみつつ
慈愛の玉を胸にしめ
正義の剣かざし持ち
努力の駒にむち打ちて
かち得よ 勝利の栄冠を!
(大正7年2月17日制定校歌
作詞 日本大学中学校
作曲 石橋蔵五郎)