宗ちゃんと一緒の「新潟時代」

 29日午後4時過ぎから、3年ぶりに産経の宗ちゃんと飲んだ。我が社の地下の鰻屋「大作」。奴が仕事が終わると、この店にやって来る、昔と同じパターン。
 違うのは、宗ちゃんがリタイアしたこと。「大作」のお客が少ないこと。まだまだ、不景気だ。
 宗ちゃんは、例によって「菊正宗」を常温で、6合上げた。70歳になったのに……元気が良い。
 宗ちゃんは駆け出しの新潟支局時代のライバル、と言うより親友。ともかく、気があった。いつも一緒だった。
 よく飲んだ。宗ちゃんは「古町の帝王」。(朝日の「山田」もそうだったが)ホステスにもてた。
「良くもてたなあ」としみじみ言うと「もてない方がおかしいんだ。一流大学を出て、新聞記者になって、いずれ東京に戻る。まだ、中央と地方に格差があった時代。誰でも、女性に追いかけられた。県の総務部長から、娘が3人いる。誰でも良いから貰ってくれと頼まれた」
 そんなこと、あったのか?
 ともかく、宗ちゃんはもてた。夕刊の締切が終わると一緒に県庁裏の銭湯に行ったが、いつも奴の背中に「前夜の奮闘の跡」がついていた。
 何しろ、昭和40年代前半の頃、新聞記者はもてた。「憧れの職業」だった。
 「お前のところ(毎日)と朝日はいつも、人気企業ランキングの10位に入っていた。今や、朝日が99位だ。新聞は、不人気職業の最たるもの」と宗ちゃんが嘆く。
 「あの頃が華だった」
 当時の新潟の記者連中はツワモノ揃いだった。
 「知ってるか? NHKの佐野さんがピストルを盗んだ警官を捕まえたこと」
 「知らない」
 「盗まれた拳銃が新聞紙に包んで、置いてあった。あの事件?」
 「ああ、思い出した」
 「佐野さんは、この新聞がスポニチであるのを知って、このあたりのスポニチ購読者を洗い出したんだ。床屋にあったスポニチの中ページがなくなっていることを突き止め、この床屋に来る警官を追い詰めた」
 そんなこと、知らなかった。まるでドラマだ。NHKの佐野さんは腕の良い事件記者だった。宗ちゃんも「警察に強い記者」だったから、真相を知ったのだろう。
 僕はと言えば……恥ずかしいが、いつも抜かれていた。
 あの頃、新潟は特ダネ記者の宝庫?だった。
 宗ちゃんと同期の産経の「村上」は警視庁の担当になって、二年連続新聞協会賞を獲得した。ものすごい特ダネ記者になった。
 僕の兄貴分、鳥越俊太郎は有名人になった。
 サラリーマンとして成功した奴も多い。朝日の秋山は社長になった。スポニチ、報知の社長になったのも、新潟時代の仲間だ。
 宗ちゃんも雑誌「正論」の発行人、サンスポの代表、系列の印刷会社の社長になった。サラリーマンとしても大成功した。
 「あの頃は良かった」を何度となく連発。大いに笑った。僕も「菊正宗」をちょっぴり飲んだ。
 「みんな、成功した。俺だけ、出世出来なかった」と冗談を言うと「まだ、現役の記者をしているのは牧だけだ。羨ましいのは、俺の方だ」と励ましてくれた。
 酔いが回ったのか、宗ちゃん、何度も何度も「長生きしろよ!」という。記者として長生きしろ!と言うのだろう。ありがとう。
 友達って、良いな!
 午後9時過ぎ「神田に行きたいオンナの店があるから」とロマンスグレーの宗ちゃんは、颯爽と消えた。
 今でももてる?宗ちゃんだ。

<何だか分からない今日の名文句>
記者が職人芸