ある時は覇道、ある時は王道

 孫の愛子が中学校でバトミントンのクラブに入っていると聞いてから、それなりに「興味」はあったが……メダルの掛かったバドミントン女子ダブルス準決勝。興奮した。こんなに面白いゲームとは知らなかった。
 格上の藤井瑞希、垣岩令佳組が楽々、格下のカナダペアをストレートで破り、決勝に勝ち上がると思ったが……やっぱり「メダルの重圧」なのか……最後まで、ヒヤヒヤさせられた。
 21-12、19-21、21-13で降し、バドミントンの日本勢では男女を通じて、初のメダル獲得を決めた。
 藤井瑞希さんのコメント。「格下が相手で、取れて当たり前という状況でやるのが、こんなに難しいのか」
 「守り」に回ると、格上のチカラは半減する。
 これが人生! ということ?
 藤井さんの言葉が「生きた教訓」。オリンピックは「生きたの教訓」で一杯だ。
 今、3日午前7時。テレビ観戦を終え、新聞各紙を読み終えてからベットに入ろうと思っていたが、産經新聞の「産経抄」が気になった。
 王道か、覇道か……というテーマ。
 ロンドン五輪の体操男子団体総合で、圧倒的な強さを見せた中国選手の姿が、個人総合の表彰台には見られなかった。6種目それぞれの技がますます高度化してきた近年、すべてをこなすのは、選手に大きな負担がかかる。そこで中国は、2種目程度のスペシャリストを養成して戦う「分業方式」を採用している。
 これが中国流の「覇道」?
 日本の内村航平は、それを承知しながらオールラウンダーにこだわってきた。それが金メダルに繋がった。
 これが「王道」! というのが「産経抄」氏の意見である。
 なかなか読ませる文章だが、僕は幾分、考え方が違う。
 「覇道」とは武力や権力によって国を統一し、治めようとする者の道。
 「王道」とは道徳をもって天下を治める者の道。
 二者は別なものでありながら両立する。
 朱子学に『尊王蔑覇』という言葉がある。『王道』を尊び『覇道』を軽蔑すべしという教え。いかにも正論のように思うが、そうだろうか?
 事実、昨今の中国は「覇道政治=拝金主義」が大手を振ってまかり通っている。その歪みが随所に現れている。
 しかし、その「覇道」を中国に教えたのは日本の高度成長だった。
 そして今、大地震、大津波、原発の事故を経て、日本人は「我」に帰っている。「王道」に気づいている。
 しかし、もし日本が「覇道」の一時期を経験しなければ、日本は世界の「置いてきぼり」になっていたろう。
 国は、ある時は「覇道」、ある時は「王道」でなければ立ち行けない。
 儒教の教えは、もっともらしいが、絶対価値観ではない。
 大好きな産經新聞だが、儒教精神に盲目では無いのか?
 オリンピックで、ナショナリズムを高揚しすぎるのも、どうだろうか?
 バトミントンの二人は「決勝戦を楽しむ」と言っているらしい。
 それで良い、それで良い。
 オリンピックは国を上げて、仲間の個人的な賞賛の場でもあるのだから。

<何だか分からない今日の名文句>
どんな道でも、大事なのはタイミング