親鸞は「苦悩の旧里はすてがたく」と言った

 20日、一日早くサンデー毎日が届いた。例によって、巻末の「五木寛之のボケない名言」から読む。

 今回は「いままで流転せる 苦悩の旧里はすてがたく」。

 歎異抄のこの文句。五木さんは短くしているが、正確には「久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、 いまだ生まれざる安養の浄土は恋しからず候こと、 まことによくよく煩悩の興盛に候にこそ」である。

 「久遠劫」とは、はかり知れない昔から、人間に生まれてからではなく、果てしのない遠い過去から、自力の心によって迷ってきた。自力の心で苦しみ悩んできた……という意味だろう。

 いっそ、死んだ方が良い。そんな気分になる。

 ただし「旧里は捨てがたい」である。

 「旧里」とは古い自分の故郷。故郷は離れがたいものだ。

 で、五木さんはこのクダリを「親鸞は<この世とおさらばするのは心残りだ>と言っている」と解説する。

 要するに、親鸞は「死ぬのは嫌だ!」と言っているのだ。

 時々「死ぬといことは、どうゆうことなのか?」を考えるようになった。年齢なのか? 肺がんの手術をした頃から「いずれ死ぬ!」と思うようになり、恥ずかしいが「死ぬのが怖くなって」困っている。

 だから、親鸞でも「死ぬのは嫌だ!」と言っていた!と聞くと、何となく落ち着く。

 いつものように、小生「五木寛之のボケない名言」で助けられている。

 ここ二日間、涼しくなった。が、21日は朝から蒸し暑い。ダブル台風の影響なのか?

 週末、新潟へ競馬観戦に行くのに。

 神様に「寿命」より、一先ず「天気」を頼もう(笑)

 <何だか分からない今日の名文句>

誰も納得して死ねない!

だから宗教がある?