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新天皇(皇太子徳仁さま)の「ちょっとした思い出」

 1991年(平成3年)秋のことである。

 皇太子徳仁さまの「お妃選び」が難航していた。当時、サンデー毎日の編集長だった僕に「皇太子の意中の女性は決まっているのだが……」という情報が入った。

 皇太子は公務を終えると、決まって、料理人(大膳課厨司)Wさんに、大好きな「かつ丼」を注文。これを肴に(四谷の酒屋から取り寄せた)日本酒を飲む。

 Wさんは、この時、皇太子の「お相手」になる。ある日、皇太子は思わず、大膳のWさんの前で「意中の女性」の名前を挙げてしまった、というのだ。

 真偽は分からなかった。でも「お妃選び」は依然として難航している。

 皇太子の「好きな人」と結ばれば良いのだが……それには幾つかハードルがあった。

 そこで、担当記者に「お妃選びの裏話を書け!」と注文。その中で「もし、適当な女性が日本に居なければ、外国の皇室から選んだら」と幾分、皮肉めいた「提案」を載せた。

 「意中の女性」のことは書かなかった。でも、国民が「お妃選び」に関心を持ち「皇太子の意思」を実現させたい!と思っていることを伝えたかった。こんな記事が出れば、結果として「意中の女性」と結ばれる!と信じて掲載した。

 当時は「週刊誌冬の時代」。売れない。でも、総合週刊誌部門で、何故か「週刊プレーボーイ」と「サンデー毎日」だけが、前年と比べ部数を増やしていた。

 だから、自信過剰だったのだろう。筆が走り過ぎた。今、考えれば「不適当な表現」だったと思う。

 覚悟していたのだが、右翼の人が抗議に来られた。「不敬罪だ!」と言われた。

 「ピストルを持っているんだぞ!」と脅かされた。(隣の部屋に、麹町署の公安の刑事さんが待機していたので、怖くはなかったけど)

 「次回、ご返答する」と言って別れたが……(その騒ぎとは無関係に)多忙の僕は数日後、脳卒中で倒れてしまった。返事が出来なかった。

 実は、入院中の1992年3月、政界のドン、金丸信・自民党副総裁が栃木県足利市で応援演説中に右翼の銃撃を受けた。弾丸は全て外れ、金丸さんは助かったが、テレビのニュースを見て驚いた。金丸さんを襲撃したのは、僕に「ピストルを持っているぞ!」と脅した「あの人物」だった。

 その年(1992年)の暮れ、同僚の(というより親友の)「たまちゃん」から電話が入った。

 「今、小和田恆外務事務次官の家の人とスキーを楽しんでいるのですが、昨日、長女の雅子さんが皇太子との結婚にOKを出したそうです」というのだ。

 ついに、皇太子は「意中の女性」を射止めたのだ。

 これはスクープだ!

 しかし、この時、脳卒中の後遺症で、僕は編集長をクビになっていた。

 僕の後任の編集長は「万一、間違ったら、どうするんだ!」と反対。「皇太子妃は小和田雅子さん!」は“幻の特ダネ”になってしまった。

 翌年1993年(平成5年)1月19日、皇室会議で、雅子さんは徳仁親王妃に内定した。

 そんな昔のことを思い出しながら、令和元年5月1日、テレビで、新天皇陛下の「即位後朝見の儀」を見た。

 新天皇は「自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、寄り添いながら、憲法にのっとり、象徴としての責務を果たす」と述べられた。新天皇は真面目な人柄である。

 新皇后雅子さまはロングドレス姿。その笑顔が素晴らしかった。

 

<何だか分からない今日の名文句>

皇室に「愛の絆」あり