山健にあらずんば山口にあらず

 27日、日本最大の山口組が分裂!というニュースが流れた。山口組では、9月1日、総本部で「直参」と呼ばれる約70人の直系組長が集まる定例会が予定されているが、約20人の「山健組」系が欠席を通告。新しい組織を作る構えだ。

 反乱を起こす「山健組」は、言って見れば「山口組の保守本流」。「山健にあらずんば山口にあらず」と言われた存在だった。

 伝説の三代目山口組・田岡一雄の若衆だった山本健一が1961年に結成。十年後、山口組若頭・梶原清晴が海難事故で急逝すると、その後任に就任した。(山本健一と、同じく若頭補佐の山本広による決選投票が行われ、投票の結果、一度は山本 広に決定したが、田岡は山本健一を指名した)田岡の山本健一への寵愛ぶりは有名だった。

 当然、田岡の後継者はヤマケン!と言われたが、田岡の後を追うように病死。

 田岡亡き後の4代目を巡って争いが起こり、田岡未亡人は「ヤマケン系の竹中正久」を推し、山口組は分裂した。4代目・竹中と山口組若頭・中山勝正がこの時、暗殺されるている。

 それでも、山健組は分裂した「一和会」を壊滅。5代目山口組は、ヤマケン派の渡辺芳則になった。まさに「山口組=山健組」だった。

 ところが、この渡辺体制にクーデターを起こしたのが、名古屋で急速に力をつけた弘道会の篠田建市(通称・司忍)。名古屋の経済力を背景に、神戸のヤクザを押しのけ、6代目山口組に就任する。2005年以降、山口組は弘道会の天下になった。

 篠田は長いこと、獄中にいたが、その間、同じく、弘道会出身の山口組ナンバー2の若頭、高山清司が権力を握り、山口組総本部への日参を義務付けるなど組織の締め付けを強化。巧妙な資金獲得活動を背景に、弘道会の天下を印象ずける。

 その後、6代目は出所。逆に、若頭の高山が恐喝容疑で、当局に拘束され、山口組内の力関係は微妙に変化した。

 そんな中で起こる「保守本流・山健組によるクーデター」である。

 山口組の勢力は、山健組(兵庫)6,000 弘道会(愛知)4,000 宅見組(大阪)1,800 國粹会(東京)1,100 極心連合会(大阪)600……分裂すると、どうなるのか?

 ヤマケン派は新しい組織の名称に「山口組」を使う、という情報もある。

 この分裂は、関西と名古屋の闇世界の喧嘩。注目である。

<何だか分からない今日の名文句>

警察は「山口組壊滅」に虎視眈々