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「琵琶湖周航の歌」の作詞家・小口太郎はなぜ死んだ?

 寒くなった。11月だから、当たり前か?

 昨日(10月31日)は「諏訪湖」で遊んだ。

 湖畔の「SUWAガラスの里」で「遅いモーニング」。安い。美味い。特にパンが美味い。ブレーベリーのジャムが絶品だ。

 何より、湖の景色が素晴らしい!……なのに、お客は僕らだけ。閑散としていた。

 「小口太郎の銅像」を見た。

 「小口太郎」は明治30年、長野県岡谷市生まれた科学者。東京帝国大学理学部物理学科卒業後、同大学航空研究所入所して、電信電話に関する研究で、諸外国の特許を取り、生きていれば「ノーベル賞候補」と言われた人物である。

 それより「琵琶湖周航の歌」の作詞者として、有名なのだろう。

 太郎は、物心ついたときから、諏訪湖を見て育った。諏訪中学校在籍時には湖畔の道を、毎日10キロ近くも歩いて通った。

 長じるまで「海」を見たことは無かった。第三高等学校に入り、初めて琵琶湖を見た彼は、そのスケールに圧倒された。琵琶湖は水平線を見ているような感覚?

 三高ボート部員だった彼は、琵琶湖と故郷諏訪湖に思いを馳せ、こう作詞した。

 

 われは湖(うみ)の子 さすらいの

 旅にしあれば しみじみと

 昇る狭霧(さぎり)や さざなみの

 志賀の都よ いざさらば

 

 太郎は、大正12年、徴兵検査に合格。6月に航空研究所を退職。同年の12月に松本連隊に入営予定であったが、入営した記録はない。

 翌年、神経衰弱の治療のため東京府豊多摩郡淀橋町(現・新宿区)山田病院(精神科)に入院し、5月16日に自ら命を絶った。26歳だった。

 その理由は……研究を続けたい、戦争には行きたくない。周囲から「結婚するのはまだ早い」と言われたらしい、という「失恋説」もある。

 ただ、戦争が、若者を追い込んだことは事実だ。

 「いざさらば」という言葉の重みを感じながら、しばらく湖畔に立った。

 午後、諏訪大社下社秋宮を参拝。

 参道の漢方医らしき家に「戦争反対!安倍、やめろ!」の大きな看板が立っていたのが印象に残った。

 夜、受験勉強ラストスパートの孫を思い出し「林檎」を送った。

 風邪ひくな!

<何だか分からない今日の名文句>

波のまにまに 漂えば

赤い泊火(とまりび) 懐かしみ

行方定めぬ 波枕

今日は今津か 長浜か

<「琵琶湖周航の歌」の三番>