Daily Archives: 2016年11月3日

長篇詩「テレヴィジョン」に心底、笑った

 2日、 TBSテレビ発行の 「調査情報」が届いた。「報道特集」のキャスター・金平茂紀さんの意見は、いつも拝読している。でも、今回の「長篇詩・テレヴィジョン」は極めて斬新。6ページに亘る長~い長~い詩になっている。

 1000行を有に超えているだろう。

 その詩は

 「今日 テレビは死んだ。もしかすると昨日かもしれない」で始まる。

 簡単に言えば、テレビの昔、テレビの今、を綴り、若干、絶望的に謳っている。

 例えば「かつて テレビは ゆるぎない正義を代行する装置だった。これは本当のことだ。テレビのなかでは正義が悪を退治していた」。

 力道山が、月光仮面が、長嶋茂雄が登場して「テレビ=正義」を懐かしむ。でも、今はどうだろうか?

 そんな「(問題提起の)長篇詩」だ。

 読んでいくと、時々ではあるが、つい吹き出してしまう。

 テレビが無理やり「事実らしきものをショー化する」場面が可笑しいのだ。

 テレビって、何だろう?

 テレビに関わる人間がちょっぴり「恥ずかしい」と思うことの数々。テレビというメディアの限界のようなものが書かれている。

 読み返すと、心底、笑い、そのうち、やるせ無くなる。

 この詩とは関係ないが、僕にとっては、テレビはサーカス小屋なのだ。

 でも、この詩の最後は

 「テレビとは、どのような装置なのか? その答えは希望? そう、希望。」

 金平さん、やっぱり、テレビが好きなんだ。

<何だか分からない今日の名文句>

新聞はすでに死んだが、

「古い流儀」が好きだ。

希望の欠片が残っているから