日大一中の後輩「そんな女のひとりごと」の元大関2代目増位山が逝った

 70年以上、昔の話だが、両国の日大一中に居た頃、隣の両国中の生徒を相手にしょっちゅう喧嘩していた。

 喧嘩した相手に、何人か「相撲取りの卵」がいたような記憶がある。両国は「相撲取り」の街だった。

 ところが、後輩は何故か、喧嘩をしなかった。その理由は両国中学にバカでかい「大物」が居るからだった。

 北の湖(元横綱、故人)である。

 この少年は「三保ケ関部屋」の逸材!と評判。噂によると、勉強の方は苦手で「全科目オール1」。

 親方から「勉強なんてするな!」と言われている!と言う評判だった。

 その三保ケ関部屋の親方(初代増位山)の長男は何故か日大一中に入っていた。

 倅を力士にする気持ちはなかったのだろう。倅は学問にも、美術にも、音楽にも、一生懸命だった。

 それが、である。どう間違ったのか、この倅が「どうしても力士になりたい」と言い続け、1967年初場所、北の湖と共に初土俵を踏んだ。

 これが二代目増位山 。80年初場所後に大関昇進。史上初の親子大関として話題になったのを覚えている。

 その二代目が17日、亡くなった。

 絵が得意。歌も得意。現役の時から、歌手としてデビュー。77年に発売された「そんな女のひとりごと」は100万枚。

 「天才」だった。

 北の湖とは違う人生だった。

<何だか分からない今日の名文句>

芸能道の横綱!