西山事件から50年。新聞が権力に負けた「悲しい歴史」を忘れるな!

 昨日(4月4日)は50年前、毎日新聞政治部外務省キャップ、西山太吉さんが逮捕された日だ。

 1972年の沖縄返還をめぐり、日本政府がアメリカとの間で、米軍用地の原状回復費400万ドルを肩代わりする「密約」を交した事実をスクープした西山さん。

 ところが、入手先の外務省女性事務官と共に国家公務員法違反容疑で逮捕された。

 その頃、僕は毎日新聞社会部「サツ周り」の27歳。何が起こったのか?正直言って、まるで分からなかった。

 持ち場の築地警察から社に上がると、社会部の面々は「佐藤内閣と戦うぞ!」といきり立っていた。

 その経緯は分からないけど、ただただ「権力は恐ろしい」と実感した。

 「報道の自由」を盾に、毎日新聞は不当逮捕!という立場を取った。

 社会部会では「西山記者の逮捕は言論の自由に対する国家権力の不当な介入だ。断固として反権力キャンペーンを展開すべきだ」との意見が大勢を占め、社会部主導で、毎日新聞は大規模な「知る権利キャンペーン」を展開した。

 ところが、検察が起訴状に「ひそかに情を通じ」という文句を使い、男女関係を通じて手に入れたことを暴露してから、形勢は逆転した。

 世間は、そのスキャンダルに夢中になり、西山さんを批判した。

 西山さんは一審無罪だった。でも、判決後に毎日新聞を退社した。(この事件は作家・山崎豊子さんの小説「運命の人」のモデルにもなった。その後、二審で逆転有罪。78年に最高裁で確定している)

 しかし、である。裁判を通じ、政府が「ない!」と言い続けた「密約」は2000年以降、密約を裏付ける公文書が米国で相次いで見つかった。西山さんのスクープは正しかった。

 毎日新聞の後輩記者の僕に取って、西山さんは「誇り」でもある。

 でも、当時、駆け出しの記者だった僕には、西山さんにも「疑問」が残った。

 なぜ、外務省の女性職員から入手したものをそのままストレートにニュースにしなかったのか?

 西山さんは当時の外務審議官と特別親しかったので、書いたら審議官ラインと分かるので、電信文をストーレートに書けなかったのだろう。

 しかし、僕だったら「電信文」の存在を書いただろう。それを書かなければ、読者は「ことの重大さ」に気づかない。

 政治部と社会部の「やり口」の違いかも知らないけど。僕なら書いただろう。

 もう一つの疑問は「電信文」を社会党に渡したことである。

 「新聞にはストレートに書けないが、問題にしなければいけないと思った。私としては断腸の思いだった。国権の最高機関である国会で審議させるべきという認識でやった」と西山さんは言われているらしいが、これも政治部と社会部の違い。

 社会部記者だったら、あくまでも「政争」と距離を置くものだ。

 西山事件から50年。

 「真実」を報道した記者が逮捕され、有罪とされた「悲しい新聞の歴史」。

 忘れてはいけない。

<何だか分からない今日の名文句>

「言論の自由」に生き

「言論の不自由」も覚悟しろ!