6代目VS神戸山口組「手打ち」にならなかった?
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 31日午前9時50分ごろ、岡山市南区豊成2のマンション駐車場で、指定暴力団・神戸山口組傘下組織の高木忠幹部が射殺された。

 6代目山口組と神戸山口組の抗争で初の死者。サミットが終わったら本格的なドンパチが始まる!と夕刊紙などが報じていたが、噂される「手打ち」は出来なかったのか?

 3週間前の毎日新聞夕刊コラム「牧太郎の大きな声では言えないが…大前田栄五郎が居れば?」で「和合人」の存在を書いた。

 喧嘩するのは簡単だが、収めるのが難しい。

 一般人が巻き添えになるのは、何としても防がねば。

 最近、極めて少数だが、このブログを読んでいる「その筋の方」がいると聞いたので、敢えて「  コラム・牧太郎の大きな声では言えないが…大前田栄五郎が居れば?」をここに再録する。

  浪曲が廃れ、芝居でも「股旅もの」は姿を消したと思っていたが、6月の東京・日本橋「三越劇場」新派特別公演は久々に「国定忠治(ちゅうじ)--赤城天神山より小松原まで」である。

 1830年代の天保の大飢饉(ききん)で、上州一帯(現在の群馬県)を実質支配し「悪代官から農民を救済した」とされる侠客、国定忠治。格差が問われる昨今、国定忠治はヒーローになるのか?日本人は(現実の暴力団を毛嫌いするが)芝居の「反権力のヤクザ」に拍手喝采する。

 上州は夏の酷暑と雷鳴、冬の空っ風。そんな気候風土が関係するのか、上州人は向こうっ気が強く、率直で裏表がない。強者におもねることが嫌いで、弱者には同情と正義感を示す。「国定忠治は鬼より怖い、にっこり笑って人を切る」。上州のヤクザはケンカにめっぽう強かった。

 しかし、同じ上州の博徒でも「大親分」は大前田栄五郎(1793~1874年)ではないだろうか?栄五郎は名主の家柄だったが、父が大前田村を縄張りにする博徒。草相撲で「滝登(たきのぼり)」のしこ名を持つ父に似てケンカは強かったが、父親とはちょっと違った“技”を持っていた。難しいケンカの仲裁。ケンカした双方から支持される和解案を提示する。丸く収めた“お礼”に贈られた「縄張り(ばくち場)」が関東から関西まで二百二十数カ所。栄五郎の子分3人が一年中、テラ銭(手数料)の集金に駆け回った。

 ケンカをするのは簡単だが、和解するのは難しい。栄五郎は「和合人」と言われ、昭和の初期「股旅もの」のヒーローだった。(子母沢(しもざわ)寛(かん)の小説「男の肚(はら)」などに詳しい)

 6代目山口組と神戸山口組のイザコザが続いている。サミットが終わったら本格的なドンパチが始まる!と夕刊紙などが報じている。どうやら「和合人」が居ないらしい。

 山口組と、離脱した一和会による「山一抗争」真っ最中の1985年、同年8月開催のユニバーシアードを成功させるため「関東の稲川会2代目・石井進会長」が仲裁して、一時休戦を実現させている。政官界にも隠れた影響力を持つ親分だから実現したのだろうが……早く、仲裁人に出てもらわないと困る。民間人がヤクザのドンパチの巻き添えを食うのは真っ平だ!

 

<何だか分からない今日の名文句>

三代目・田岡組長が泣いている