大震災1年。「方丈記」のこと、小沢一郎のこと

 2011年3月11日14時46分、三陸沖を震源地とするマグニチュード9.0の海溝型地震「東北地方太平洋沖地震」が発生した。
 東京は震度5強。隅田川沿い、江戸時代に埋めたられ「代地」と呼ばれた柳橋にある仕事場。地盤が緩いのか、感覚的には震度6以上だった。
 運悪く、あの時、隣の部屋にいたら、高さ2.7m、長さ3.6mの大きな書庫と約3000冊の蔵書の下敷きなり、半身不随の僕は、もしかしたら死んでしたかもしれない。
 あれから一年。
 天皇陛下は「復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、状況が改善されていくよう、たゆみなく努力を続けていくよう、期待しています」と述べられたが、正直言って、復興の道はほど遠い。日本人は団結しなければ……。
 学者センセイが、浮き足立って(大震災が起こる前は盛んに「近い将来、東海地震が起こる」と主張して「東北で大地震!」なんて一言も言わなかったが)今、先を争って「首都直下地震の可能性」を発表している。
 東大地震研究所が「首都圏でマグニチュード(M)7級の直下型地震が発生する確率は4年以内に70%」と発表。政府の予測は「30年以内に70%」京都大防災研究所は「5年以内に28%」と弾く。
 どれを信じれば良いのか?
 こんな学者センセイの「予測」なんて、意味がないように思う。
 800年前の「方丈記」の記述の方が信頼できる。
 日大一中で勉強させられた? 古文「方丈記」は鴨長明によって書かれた鎌倉時代のエッセイ。(約100年後に執筆された 吉田兼好の『徒然草』、清少納言の『枕草子』とあわせて日本三大随筆とも呼ばれる)
 ここには、大震災、大津波の記録も的確に書かれてある。
 安元3年(1177年)の都の火災、治承4年(1180年)に同じく都で発生した竜巻、その直後の福原京遷都、養和年間(1181年~1182年)の飢饉、さらに元暦2年(1185年)に都を襲った大地震。彼が経験した天変地異が全てレポートされている。
 元暦の地震(元暦2年7月9日、1185年8月6日)では「山は崩れ海は傾き、土は裂けて岩は谷底に転げ落ちた」と記録している。この表現、まさに見るようだ。東日本大震災では、確かに、海が傾いていた。
 元歴の地震の余震は3か月にもわたって続いた、と書いている。地震のスケールが良く分かる。
 災害は忘れたころにやって来る!
 学者センセイの「外れたばかりの予測」より、「方丈記」の適切な表現を覚えていた方が賢明だ。
 11日の朝刊には小沢一郎裁判のことが載っていた。「無罪」という見通しを主張する向きが多いが、小沢さんには、政治資金の話より「もっと犯罪的なこと」がある。
 1年前、地震が発生した直後から、小沢さんは数日間音信不通?
 「安否不明説」まで流れた。
 だが、いつものように雲隠れしていただけ。
 ところが、 その後も、震災の被害がひどかった現地に足を運ぶことをしなかった。
 「党員資格停止処分に制限された」というが、小沢さんは国会議員の資格まで停止されていたわけではない。
 そんな議員なんているのか? 選挙民は、地元の国会議員にとって家族だろう。
 大震災以来、10カ月近くも足を踏み入れなかった小沢さん。何故か、1月2日夜、太平洋に面する岩手県北東部の久慈市に入った。
 この日の会合で、小沢さんは「東日本大震災という非常事態の中でも旧態依然の官僚支配が続き、旧来の手法で予算配分が行われている。迅速な解決ができていない」などと政府を批判したのだが、地元の大部分は「地元を捨てた小沢」に怒り心頭らしい。
 大震災1年。
 日本人は、あの裁判の行方と関係なく「小沢一郎はNO!」という気分である。

<何だか分からない今日の名文句>
地震は何でも知っている。
師・角栄は被災地に立ち「集団移転」を説いた