舐められないぞ!2012年は!
(次回のブログは1月5日朝、更新)

 新年、明けまして、おめでとうございます。  旧年中は「牧太郎の二代目魁新聞社」を可愛がっていただき、本当に、ありがとうございました。  好き勝手な「言い分」ばかりの小さな小さな個人ブログ。恥ずかしい限りですが、それなりの「存在価値」を維持できたのも、皆さんが毎日、読んでいたからです。感謝します。ありがとう!  2011年は「運命の年」でした。  3・11東北大地震。そして、人類の「種」にも関係する「原発事故」。ちょうど、大震災の一日半前の未明、東京・隅田川沿いの仕事場で「長~い揺れ」を感じ、このブログで「不気味だ!」と注意を喚起したら、何と、巨大地震が現実になってしまった。震えました。  仕事場は震度5強の揺れで、粉々に。大きな書庫が崩れ、パソコンは床に投げ出され……たまたま、隣室で韓国ドラマを見ていたので、怪我はなかったのですが、もし、仕事場に居れば、半身不随の僕は間違いなく被害者になったでしょう。  自然の怖さ。人間の無力。震えました。  被災地の皆さんとは、比べ様もないのですが、僕にも被害甚大でした。今だに「仕事場の復旧」が終わらず、やっとのことで、一月末に、本棚が出来る始末です。  11年半、続いたTBSラジオの「牧太郎のザ・コラム」もスポンサーの意向で中止せざるを得ませんでした。ちょっぴり、残念でした。  でも、大震災、原発事故で、いっぱい勉強しました。  人々の団結が素晴らしかった。日本人は素晴らしかった。  生きる意味を勉強しました。大切に大切に、一日一日を大事に生きなければ……と改めて痛感しました。勉強しました。  その反面……何度も何度も「怒り」を露わしてしまいました。  舐められている! と、怒るのです。  指導者が国民を舐めている。平気で騙している。メディアも国民を舐めている。平気で「嘘八百の情報」を垂れ流している。そんな気がしてならないのです。  新聞記者を職業にしている僕が「舐められている!」と痛感したのは、大震災の復旧途中のことでした。  松本龍復興担当相(当時)が、被災地・宮城県を訪れた際、村井嘉浩県知事が出迎えなかったことに立腹、会談の最後に「お客さんが来るときは自分が入ってから呼べ!」などと叱責したのです。  何という理不尽な言い分! その後で、彼は取材陣に向かって「最後の言葉はオフレコです。いいですか。書いたら、その社は終わりだから」と発言したのです。  新聞記者が舐められている!  勉強不足のメディアは、舐められて仕方ない一面もあるが……それにしても「出来の悪い大臣」に脅されて、筆を折る記者がいる。  新聞なんていらない! と心の中で、つぶやきました。  ネット万能の時代? でも、新聞に存在意義があるとすれば「勇気の、責任ある発言」です。  御身大事な「ヘナチョコ記者」はいらない! と叫んでしまいました。  指導者が国民を舐めているから、日本は諸外国から舐められている。  このままでは、2012年は「舐められて、お終い」の年になる。経済的にも、 精神的にも、日本はドン詰まりなのです。  我々、新聞記者は読者を舐めていないか?  新聞記者は権力に舐められていないか?  もう一度、考えて見ませんか?  舐められない為に、我々は「団結」しなければならない。メディア同士が喧嘩する時代ではありません。情報を共有して「権力」と闘う以外ない。  日本の国難は「指導者が詐欺師ばかり」になっている現状にある。  僕は「詐欺師のような権力者」と戦わなくてはならない。それが、新聞の存在意義と思っています。  今年も言いたい放題で行きます。  今年も応援してください!

<何だか分からない今日の名文句> 内に結束、外に平和 □□が変われば、明日が変わる (□□に貴方なりの言葉を入れてください!)