JRAの姿さんが明かした「ハイセイコーの鞭」
(3月5日のブログ、お休みします)

 3月1日金曜日。朝はルネサンス両国で筋トレ。前夜新木場1st.RINGで行われたKO-D無差別級選手権試合で、王者ケニー・オメガと激闘を繰る広げた師匠、中澤マイケル。
 35分の死闘。「今日はお休み?」と思っていたら。右目の上に、絆創膏を貼っただけで、平気で?現れた。
 身体中、痛そうだが……一晩眠ると、回復するらしい。最後は、リンクの上で気絶していたのに……師匠は強い。格闘家は強い。
 午後、夕刊のコラム執筆。サンデー毎日の締切が早くなると、夕刊の「大きな声では言えないが」が後回しになる。デスクから催促の電話。
 何とか、間に合わせて、6時から新橋で、ごく少数の競馬仲間で「姿さんに感謝する会」。
 姿さんは明治大学の柔道部出身。昭和40年代にJRAに入社。警備畑一筋。人情家で、総務部長、京都競馬場長など要職を務めた。
 「姿」家は代々柔道家で、富田常雄(我が日大一高出身の数少ない小説家。柔道五段。柔道家富田常次郎の子。明治大学商学部卒)が人気小説「姿三四郎」を書いた時、姿さんのおじいさんの苗字を借用したらしい。
 主人公の姿三四郎は会津に生まれ、明治15年、17歳で上京したことになっている。これは実在の柔道家で講道館四天王の一人、西郷四郎の来歴と全く同じ。西郷がモデルだと言われているが、舞台は明治時代の講道館、明治大学柔道部だったらしい。
 姿さんはお祖父ちゃん譲りの巨漢。JRAに入社した頃、競馬場にはおっかない?お兄さんが入場していたが、姿さんの姿を見ると、おとなしくなったらしい。
 その姿さんが、競馬サークルから“勇退”する。厄介になった3人で姿さんを姿さんを囲んで、好物のビールを飲んだ。
 苦労話を聞いた。
 例えば……ハイセイコーの引退式『さらばハイセイコー』が流れる中、引退式が行われた。
 大変な人出だった。ハイセイコーに跨った、騎手の増沢さんが、ファンにステッキを投げ入れたから、大変な騒ぎになった。
 ファンのステッキ奪い合い。けが人が出たら、それこそ大変だ。
 警備課長だった姿さん、警察を始め関係者に頭を下げた。
 京都競馬場の警備の時、アトラクションに「シブガキ隊」を呼んだ。TBS『2年B組仙八先生』に出演した3人組。姿さんは「どのくらいファンが集まるか」。判断出来なかった。
 「あの時も、冷や汗をかいた。あんなに、人が集まるとは……司会の、みのもんたさんに“煽らないで”と頼んだが、ダメだった」と姿さんは苦笑い。
 「安全、安心のJRA」を守るには、裏方の「目に見えない努力」があったればこそである。
 姿さんは、柔道界での仕事があるので相変わらず忙しいが、また、付き合って下さい。
 ありがとう。姿さん!
 2日は月刊誌「BOSS」の執筆。よく晴れた3日は鎌倉霊園で墓参り。
 今週は暖かくなりそうだ。

<何だか 分からない今日の名文句>
行くも往るも 座るも臥すも
柔ひとすじ 柔ひとすじ 夜が明ける