年末年始の報告 例えば……
①朝比奈社長、サンデー毎日忘年会に出席!
②条野伝平の墓に「新聞の自由」を誓う。

 5日は御用始め。まずは、年末年始のご報告。
 12月26日、恒例のサンデー毎日の忘年会。スペシャルゲストとして朝比奈・毎日新聞社社長が出席した。
 これまで「社長」が出席した記憶はない。
 この春、毎日新聞は出版部門を分社化する。これに伴い、一時「廃刊か、存続か?」が議論されたサンデー毎日。朝比奈さんは挨拶で「なぜ、存続なのか?」を話された。
 出版不況の中で、歯を食い縛る「覚悟」。この週刊誌には、社会的な責任がある!と朝比奈さんは話した。
 その真摯な姿勢。感銘した。
 例によって、僕は「大先輩!」と煽てられ挨拶。「しっかり、やれ!」と檄を飛ばした。
 ちょっと厳しかったかな。僕はいつも、叱咤すれども激励せず!だもの(笑)
 28日の有馬記念は惨敗。30日の競輪グランプリは三連複にすれば的中だったが……欲を出して、三連単にしたのでオケラ。もちろん、大晦日の宝くじも……。
 元旦は、第六天榊神社→深川・法乗院→豊洲「ららぽーと」で福袋購入→浅草橋の磯丸水産で昼飯。
 2日は銀座・松屋で福袋。その後、谷中墓地の大木保之佑さん(小学3年まで僕の父親だった人)の墓参り。
 帰りに、大木さんの墓から約20メートルのところに、立派な歌碑があったので、立ち止まったら、何と「条野伝平の墓」だった。
 毎日新聞の前身、東京日日新聞は1872年(明治5年)2月21日、条野伝平、西田伝助、落合幾次郎が創刊した東京最初の日刊紙。(だから、毎日新聞は現存する「日本で、一番歴史の長い新聞」と言われる)
 浅草茅町(現在の浅草橋駅近辺、僕の仕事場から、200メートル)の条野の居宅からスタートしている。
 その条野の墓が、こんなところにあるとは、知らなかった。
 条野は何でも出来る人だった。17歳頃から五代目川柳こと水谷緑亭に弟子入りし、文筆業として、頭角をあらわし、江戸末期の戯作者の第一人者だった。
 三遊亭円朝、河竹其水も参加した三題噺の会『粋狂連』を仮名垣魯文と共に組織し、1863年(文久3年)、名著『酔興奇人伝』を出版している。
 酔人だった。
 36歳で、福地源一郎創刊の『江湖新聞』に広岡幸助・西田伝助と参画したが、一ヶ月で廃刊。続いて、出した『六合新聞』も、第7号で終わった。
 それでも屈せず、創刊にしたのが、現存する日本最古の「東京日日新聞」(現・毎日新聞)である。
 彼は日本最初のジャーナリストの一人だった。
 参拝した。
 右傾化甚だしい昨今、新聞は無力化してはいないか?
 貴方が創った毎日新聞が権力に負けないように、力を貸してください!と手を合わせた。
 彼は明治35年、心臓衰弱で死亡。70歳。戒名は『清高院晋誉去来採菊居士』だった。
 その後、谷中銀座へ。古本屋の「初売り」で、探していた「毎日グラフ・追悼昭和天皇」を半額の400円で購入。
 3日は、健脚を試す意味で(笑)柳橋の仕事場から浅草観音まで、徒歩で。約4キロ歩いた。昼飯は「蕎上人」で、三色そば。美味いけど、高い。
 4日は市川のマンションで、倅たちと新年会。孫は、一段と背が伸びていた。

<何だか分からない今日の名文句>
言論の自由に「開運授福」あれ!