中原さんの「覚悟の決め方」を読んで

 小雑誌「経営塾フォーラム4月号」が送られてきた。いつも、最初に読むのは発行人の中原秀樹さんのコラム「平河だより」。
 中原さんは昭和45年、中央大学文学部哲学科を卒業して、日刊工業新聞社入社。編集局記者を経て昭和51年、経営評論家の三鬼陽之助が創立した財界研究所に編集部記者として入社。臨時増刊号副編集長を経て昭和62年、経済評論家の針木康雄が手がけた『月刊経営塾』(現在の『月刊BOSS』)の創刊に参画した。
 幅広い人脈を持つ経済記者、と聞いている。
(当方が、社会部記者だった頃、お会いした記憶があるが、記憶が曖昧で、中原さんは「選択」の編集者と思っていたが……)二人とも、昭和19年生まれ。だから、同年輩のジャーナリストは何を考えているのか? そんな興味で「平河だより」を読んでいる。
 今回は「覚悟の決め方」。
 森鴎外の日記の話が面白かった。体調不良になってから、日付、曜日、それに、自宅にいることだけを書いていた。「7月5日、水 在家21日」が最後だった、と中原さんは書いている。
 死を意識する時、人間はどう行動するんだろう?
 中原さんのお母上は、死ぬ一週間前、歯を食いしばり、一切、食べるものを口にしなかった、という。
 「覚悟」を決めたのだろう。
 中原さんのコラムはいつも読ませる。
 お互い 「覚悟」が、それほど遠い未来ではないから……。
 2日は、筋トレの後、「青い空白い雲」の執筆。
 今週から、広告が入るので、字数が少なくなる。
 コラム風の時評だから、行数125行は、適当な長さだと思う。

<何だか分からない今日の名文句>
「墓ハ森林太郎ノ外一字モホル可ラス」
(森鴎外の遺書)