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菅さんの弔辞で良く分かる、国葬は「明治維新のヒーロー」のために出来たんだ!

 27日、安倍国葬が終わった。

 菅さんは「友人代表弔辞」の終わりを、こう結んだ。

 【衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。

 ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

 しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

 総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

 かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
 かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。
 どうか安らかに、お休みください】

 よく出来た「立派なサヨナラ」だった。

 でも、彼らは、相変わらず「薩長思想」に毒されている。

 明治維新だけが歴史的正義!と言い続ける。

 江戸っ子の当方から見れば、明治維新は「革命」ではない。

 「天皇」の奪い合い!じゃないか?

 伊藤博文は(僕ら江戸っ子から見れば)「維新」という名の「テロ」である。

 日本国が「国葬」をやり出したのは多分、岩倉具視が最初だと思う。

 以来、明治維新のヒーローが次々に「国葬」で送られた。(山本五十六は違うけど)

 「国葬」は誤った薩長思想の「遺物」である。だから、「国葬」は嫌だ。

 国葬が終わった。

 でも、今後「国葬」なんて止めようじゃないか!

<何だか分からない今日の名文句>

勲章と国葬は「格差」の象徴