藤圭子さんのこと

 ショックだった。
 22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿のマンション前の路上で、歌手の藤圭子(本名・阿部純子)さんがあおむけの状態で倒れているのが発見された。
 自殺らしい。
 藤さんは歌手の宇多田ヒカルの母親。昭和44年に歌手デビュー。45年に「圭子の夢は夜ひらく」がヒットした。
 「怨歌」という言葉がその時生まれた。
 実は、藤圭子のファンだった。
 彼女がアメリカから帰って、もちろん「宇多田ヒカル」がデビューする前、毎日新聞に長編の「藤圭子物語」を書こうと思い、何度か、話を聞いた。
 高度経済成長の最中、みんなが浮かれていた時、あんなに暗い歌を歌い、支持された「藤圭子」。その「秘密」を探りたかった。
 会うと、必ず「無口な男性」がついて来る。取材が一段落して、新宿のバーで飲んだ時、部屋の隅に黙っている男性を指し「あの人は誰ですか?」と聞いたら「マネジャーよ」と言っていたが……後になって知ったのだが、その人物が「宇多田ヒカルさんの父」。何度も、結婚、離婚を繰り返した「お相手」だった。
 藤さんは「ものごと」を秘密めかして話すのが好きだった。
 取材で「衝撃的事実」を二つ知った。
 「これは書いても良い。書いて欲しい」と言われた。
 真実かどうか分からない。でも、彼女が言うことが、事実だとすれば……そのうち、一つは「日本の宝」のような人物のイメージを一変させることになる。
 悩んだ末「藤圭子物語」の執筆を断念した。
 書かなかったのが、正解だったと思う。僕にとっては「藤圭子」は荷の重いテーマだった。
 正直言って、藤さんは「衝動的」で「不安定な心」の持ち主だったから。
 だからこそ、一世を風靡した「怨歌」が歌えたのかも知れないが。
 ご冥福を祈りたい。

<何だか 分からない 今日の名文句>
一から十まで 馬鹿でした
馬鹿にゃ未練はないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく 夢は夜ひらく