「審判は絶対」の方が……

 後味が悪い、と思った。
 ロンドン・オリンピックの4日目。男子団体総合決勝で、日本は一度は4位と発表されたが……監督とコーチが抗議。
 「審議」の末、これが受け入れられ、逆転? で銀メダルを獲得した。喜ぶべきか? 複雑だ。
 エース・内村の「あん馬」。着地でグラついた。大失敗! と思った。
 素人目では、これでメダルは無理だ! と思った。
 日本側の言い分は「内村の点数はフィニッシュの難易度が認定されていない。内村のフィニッシュは、倒立で上がった時点でC難度は認定されるべきだ。ミスはその後であって、倒立までは認めるべきだ」というもの。
 その通りなのかも知れないが……内心「認められない方が良い」なんて思ったりしていた。
 もし、日本の言い分が通ると、観客はどう思うのだろう。後味が悪くなる。
 重苦しい空気。
 「審議が受理された」との電光掲示板の映像。この主張が認められトータル271・952となり、逆転! 銀メダル。イギリスのメダルが「銀」から「銅」にかわり、ウクライナがメダルを逃した。
 ブーイングが起こったらしい。
 内村航平は「僕のあん馬を終えて、4位と表示され、言葉も出なかった。今まで何をやって来たんだろうという思いがこみ上げてきた。2位にはなったが、正直、2位でも4位でも変わらなかった。後味の悪いチーム戦だった」と話したらしい。
 「審判」に「過ち」はあるものだ。
 100%、誰もが納得する判断なんて存在しない。「審判」は神様ではない。
 だから……「誤った判断でも審判は絶対!」というのが、これまでのルールだったと思う。
 そうしないと、思いもよらぬ「禍根」を残すこともある。
 「誤った判断」で「審判」は批判されるが「決定」は覆されない。
 これが「賢い掟」ではないのか?
 執拗に抗議した! と外国のメディアに報道されると……日本は悪者になり兼ねない。
 江戸っ子は、こんな時「誤審だけど……許しておこう。開催国に花を持たせた」と笑い飛ばす。
 個人戦で金メダルを取れば良い。
 柔道男子66キロ級準々決勝。日本の海老沼匡と曹準好(韓国)戦。
 畳の横でビデオ判定をする審判委員(ジュリー)が旗判定に2回、異議を唱えた。
 1回目、主審は、海老沼の投げ技が有効と判定したが、3人のジュリーがビデオで確認したところ、有効ほどのインパクトがなかった。
 旗判定は覆った。
 2回目は……主審と副審は全員、曹準好の勝利を宣言した時である。
 この時、フアン・カルロス・バルコス国際柔道連盟審判委員長が3人の審判を呼び集め「判定は誤り」いう意思を伝えた。
 3人の審判は元の位置に戻ると、今度は海老沼の勝利を宣言。
 3-0の判定が0-3に変わった。
 素人目には、海老沼が勝った、と見えたから、当然のように思ったが、韓国は納得しなかった。
 国際柔道連盟の審判規定によると、競技場内で3審(主審と2人の副審)によって決定された事項は最終的なものとなっている。
 韓国のメディアは怒りを込めて、この一件を報道している。
 後味が悪い。
 海老沼の投げ技を「有効」としていれば、その後の「誤審」はなかったのに……。
 日本側に、なんら「落ち度」はないけれど……「審判は絶対」の方が、「怒り」は一過性で終わるのに……(コレ、少数意見かな?)

<何だか分からない今日の名文句>
相撲に勝って、勝負(行司)に負けた