オウム真理教の松本サリン事件から30年。「冤罪の怖さ」を思い出した!

15日も野暮用で長野県内に滞在。

 信濃毎日新聞の朝刊で

 【松本サリン事件、30年を前に 信州大で被害者の治療に当たった奥寺医師、医学生らに教訓伝える】という小さな記事を発見した。

 

 平成6年6月27日の夜、オウム真理教は松本市の住宅街にある裁判官の官舎を狙って「猛毒のサリン」をばら撒き、8人が死亡。140人以上が被害を受けた。

 あれから30年経ったのか?

 

 あの時、病院で初期対応した奥寺敬医師が勤め先の美濃加茂市内で、報道陣向けに「当時の模様」を話したらしい。

 サリン事件を風化させてはならない!と思われたのだろう。大切なことだ。

 

 当時、オウム真理教の悪事を追及したサンデー毎日の仲間も「同じ思い」だが……それより、記憶に残さなければならないことがある。

 この事件では当初、第1通報者の河野義行さんが「犯人」にされた。

 

 河野さんが話している。

 「事件が起こりましたのは深夜です。私は会社に勤めており1日の仕事を終え、8時ちょっと前、家に帰ってきました。そして家族と食事をし、新聞を読み、テレビを見、全くふだんと変わらない1日が終わろうとしておりました。時刻は11時ちょっと前です。深夜ですね。

 突然飼っている2匹の犬が口から白い泡を吹いて、けいれんしながら死んでいく。それに引き続いて、妻、私、長女、次々と体がおかしくなるわけです」

 何故か、全く普通の生活を送っていた市民が「犯人」にされてしまった。

 オウム真理教の犯罪は忘れてはならないが、同時に「冤罪」を起こしてしまった「警察・新聞・テレビの大失敗」を冷静に検証しなければならない!

 30年経っても、いまだに「冤罪」が起こっているからだ。

 

 正直に言えば、サンデー毎日の編集長だった僕はオウム真理教に狙われたこともあって(個人的には)「思い出したくない出来事」ばかりだが……メディアの人間は「警察の言い分」をそのまま報道するのを止めなければ!……と思う。

 

 <何だか分からない今日の名文句>

 「濡れ衣」の語源

  8世紀前半、

 「釣り衣を盗んだ」という噂で

 殺された娘が亡霊になって

 無実を訴えたという逸話?