「牧太郎の大きな声では言えないが」が休載になった「悲しい理由」

 2016年2月8日の毎日新聞夕刊コラム「牧太郎の大きな声では言えないが」が休載になってしまいました。

 日頃、楽しみにしていただいた読者の皆様、申し訳ありません。「休載」になった「悲しい理由」について、ご説明いたします。

 2月5日(金曜日)午後7時頃、毎日新聞編成局長から電話をいただきました。

 「“大きな声で言えないが”のコラム、全く違うものに書き換えていただきたい!」と言うのです。

 「理由は?」と聞くと「アレは作文じゃありませんか!」と言われました。

 心外でした。

 「作文? パロディ風のコラムを狙っているので、作文だと言えば作文ですが、これがいけないのですか?」と質問しました。

 前回、甘利騒動の「馬鹿馬鹿しさ」を揶揄してようかんは何でも知っている」という“パロディ・コラム”を書きました。「我輩は猫である」的な「お笑い」で、永田町のドタバタ、劣化を書いたのです。

 まずは、この「前作」を読んでください。

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 【大きな声では言えないが・ようかんは何でも知っている】

 

 僕は「ようかん」です。でも「並みのようかん」ではありません。5世紀にわたり、御所の御用を務めた老舗「⚪️⚪️や」のようかん。値段が高い方から売れていきます。

 昼すぎ、僕を購入した人は国会の議員会館に向かいました。天下党の議員にご挨拶。1時間ぐらい待たされ、面談しました。「この度は……これはお礼です」と僕の化粧箱の上に「封筒」を乗せ、差し出しました。

 センセイは<受け取っていいのかしら?>

 某大臣がワイロ疑惑が話題になっていました。

 年配の秘書が<政治団体の領収書を出すから大丈夫。念のため、現ナマとようかんの写真をスマホで撮っておきましょう>。センセイは「封筒」を内ポケットに。僕には見向きもしませんでした。

 昔は「ようかんはいただきますが、コレは……」と辞退したものですが……政治献金という「ワイロの合法化」なんでしょうか?

 僕は事務所のロッカーへ。すると……赤坂の本店に並んでいた“仲間”がいるではありませんか。

 <高価な日本画と一緒に来たんだが、日本画の方は隠れ個人事務所に行ったらしい>と教えてくれました。

 <僕たちは、どうなるのかな?>

 午後、センセイが「ようかんを持って⚪️✖️⚪️✖️産業に行ってこい!」と命令しました。若い秘書さんは賞味期限が近い“仲間”の方を選んで……2時間後、パーティー券代金を獲得して“凱旋”しました。議員会館はパーティー券の発売促進拠点なのです。

 夕方、センセイは取材を受けました。終わって「⚪️⚪️やのようかん、持っていけよ」と言ったのですが、記者さんは「糖尿病で甘いものはダメなんです」。<買収するつもりか!>

 夕方、例の秘書さんが恐る恐る「オフクロが好きなんで頂いていいでしょうか?」。「もちろん!」とセンセイは笑いましたが……<お前に“⚪️⚪️やのようかん”は10年早いぞ!>

 その夜、僕は錦糸町のスナックにいました。例の秘書さんが「ママさんが好きだと聞いたんで買ってきたんだ」

 「まあ、嬉しい!」<よく言うよ!政治家秘書が自腹を切るなんて誰も信じないわ。でも……胸ぐらいはさわらせるか>

 ようかんは何でも知っているんです。

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  落語のような造りで「おあとは、よろしいようで」と言った「軽い政治風刺」。多くの読者が「面白い!」と言ってくれました。僕の知る範囲では、読者の抗議、お叱りはありませんでした。

 そこで、8日夕刊は「ようかんは何でも②」と題する続編を書いてみました。

 2月2日に出稿して、デスクとの間で、行数を調整したり、4日にはゲラになっていました。特別、問題はない!と僕は思っていました。

 それが突然「ボツにする」というのです。

 「作文だ!」というのは「ありもしない話」を想像で書いている、という意味なのでしょうか?

 コラムは「個性」です。「流儀」があります。

 怒って書いたり、泣きながら書いたり、淡々と事実だけを書いて、何も「主張しない」やり方もあります。

 コラムは毎日新聞の社説ではない。筆者の「ものの見方」が売り物なのです。

 僕のコラムのどこに「掲載できない決定的な欠陥」があるのか?

 揶揄、風刺、批判を忘れた「凡庸な作品だ!」

 と言われるのなら、ご指摘を甘んじて受けますが…… 「牧さんは想像で書いている。だから、掲載出来ない」というのなら、我慢できません。

 冗談じゃない!

 僕は今回も「経験したこと」を土台に書いている。 パロディの体裁を取りながら「矛盾に満ちた今の世の中」を書いている。

 何で、突然、ボツになるのか?

 とても、納得出来ない。

 結論を先に申し上げれば、このコラムは毎日新聞では紙面化出来ませんでした。

 で、この「悲しい結末」を迎えたコラムを、ここに掲載します。(念のため、編成局長の了解を受けています)

 読んで頂きたい。

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 【牧太郎の大きな声では言えないが・「ようかん」は何でも②】

 僕は老舗「⚪️⚪️やのようかん」です。

 新しい“ご主人様”になった錦糸町のママさんは朝から不機嫌。高校2年の倅が帰って来たのが午前3時。<停学で自宅謹慎中だというのに……>夜遊びなんです。

 ママさんは僕を手土産に高校に向かいました。

 「この度は、ご迷惑を」

 「いやいや……どうしても、夜、母親が家にいないと寂しくなるんですなぁ」

 「私が悪いんです」

 ママさん、涙ぐんで見せました。<水商売が悪い?好き好んで、やってるんじゃないのよ!>

 「これからも応援しますから」と教頭さん、ママさんの手を握る。「ありがとうございます」

  <昼間から、生徒の母親の手を握るなんて……>

 母親が帰った後、教頭さんは早速、ようかんを切り“披露”しようと思ったのですが……“入手先”を詮索する「潔癖な教諭」の顔が浮かんで……カバンの中にしまいました。

 教頭さんは夜、新橋の居酒屋で友人と会う約束がありました。

 「何だい、相談って?」

 友人は今、某私立学校教職員組合のドン。

 「オヤジのことなんだ。いくら待っても、特別養護老人ホームに入れない。何かツテはないだろうか?」

 「ウーム?  ✖️⚪️✖️⚪️に頼めばいい。教員をサッサと辞めて、革新党の秘書になった✖️⚪️✖️⚪️」

 「……」

 「ウチの理事長に勲章を貰った時、✖️⚪️✖️⚪️に頼んだ。勉強会と称して、ヤツが秘書をしている革新党の議員と天下党の元文科大臣、それにウチの副理事長が集まって、勲章の代わりに政治献金を約束した」

 「実現したの?」

 「もちろん。副理事長は“叙勲”を機に理事長を勇退させ、理事長になったというわけさ(笑)」

 「……」

 「“口利きネットワーク”があるというから……✖️⚪️✖️⚪️に相談しろよ。電話しておくから」

 「済まない。これ『⚪️⚪️やのようかん』だけど……」

 「まさか、手ぶらでもいけないだろう。✖️⚪️✖️⚪️に持っていけよ」

 で、翌日、教頭さんは、議員会館へ。僕は……また、議員会館に戻って来ました。

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 以上が、ボツになったコラムです。他愛のない「お笑いコラム」です。

 ただし「想像」で書いてはいません。

 全て「事実」を土台に書いています。例えば、コラムの核になった「叙勲の口利き」の話。僕は、この「口利き」の現場に遭遇しています。

 場所は築地の料亭。びっくりするような大物も同席しています。

 秘書の間に「口利きネットワーク」も存在することを多くの「永田町の住民」は知っているでしょう。

 知ったら、何でも、そのまま、書くわけにはいかない。それが、我々「もの書き」の宿命でもあります。で、僕はギリギリの表現で(出来れば、関係者を傷つけず)「事実」に肉薄して書いています。

 僕は「(権力の)発表文」をそのまま記事にする記者ではありません。

 たまに、パロディ風コラムで「真実」を書くのも、僕の「流儀」の一つです。

 編成局長には「言い分」があるのでしょう。

 あるいは、僕の見方が間違っているかも知りません。子供じみているかも知れません。

 編成局長は、総合的に見て、僕のコラムが「毎日新聞の品位」を傷つけた、と判断されたのでしょう。

 「組織の長」として、高度の判断があったのでしょう。

 僕は「客員編集委員」と言えども「組織の一員」です。編成局長の判断に従うことしか、出来ませんでした。

 でも、正直言って、最後まで納得できませんでした。

 「別のコラムを書いていただきたい!」と編成局長に命令されました。

 でも……気力が失せてしまいました。金曜日の午後8時でした。僕のコラムは月曜日夕刊の紙面です。時間がない! まるで、イジメではないか?とさえ思いました。

 恥ずかしいことですが、それからネタを探して、まともな作品を作る自信はなく……デスクに、お願いして、今回(2月8日)だけは休載にしてもらいました。

 大変、申し訳ありません。

 読者の皆さん、毎日新聞の仲間の皆さん、編成局長には特別、ご迷惑を掛けました。

 毎日新聞に「専門編集委員」というポストが誕生した時、最初の5人の一人に選ばれた時、感激しました。期待に応えて「コラムの様々な味」を追求してきたつもりです。

 70歳代になっても「客員編集委員」として「書く場所」を用意してくれている毎日新聞社に感謝しています。

 その毎日新聞がまさか?無念なのです。

 でも、こんなことで、筆を折ってはならない!と思い直しています。

 この一件はサラリと忘れて……笑い飛ばすのが江戸っ子!と思うしか、ありません。

 読者の皆さんがいる限り(「圧力」らしいことがあっても)これからも「政治の劣化」を書き続けるつもりです。

 申し訳ありませんでした。

<何だか分からない今日の名文句>

「物書き」はいずれ「輝ける野垂れ死」