Author Archives: 牧 太郎

新年、おめでとうございます
昭和天皇が「靖国」を参拝しなかった理由
(次回は1月6日)

 「二代目日本魁新聞社」の愛読者の皆さん、明けまして、おめでとうございます。
 ことしは10月に70歳。
 「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」の気分です。
 とは言っても、NHKを始めとして、主な報道機関が、安倍翼賛政治の「危うさ」を放置して、結果的に「日本の暴走」に歯止めが掛からない2014年正月です。
 当方「現役新聞記者の端くれ」。何とか「理性の政治」を取り戻すための言論活動に邁進しよう!と思っています。お力をお貸し下さい。
 元旦のブログは「天皇家の平和」について、書きたいと思います
 昨年、天皇陛下は80歳のお誕生日に、異例の「お言葉」を述べられた。
 80年を振り返って「最も印象に残っていること」として「(日本人の約310万人が犠牲になった)先の戦争」を取り上げ「平和と民主主義を守るべき大切なもの」と話された。
 それだけではない。
 「今後とも、憲法を順守する立場に立って、ことに当たっていくつもりです」と誓われ、明確に日本国憲法擁護の立場を話された。
 憲法改正が政治のテーマにある時、これは異例の「お言葉」である。
 ところが、NHKのニュースは「310万人の犠牲」「伴侶に恵まれた」ことなどは紹介したが、肝心な「憲法擁護」のクダリを伝えようとはしなかった。
 何故、だろう?
 安倍カラーに染まったNHKは天皇の「お言葉」まで意図的に歪曲するのか?
 今や、安倍放送局に成り下がったNHKは信じられない。
 報道機関の翼賛状態については他に譲るとして……とにかく、今上天皇は「平和と民主主義」を大切にされる方である。
 昨年末、安倍さんの靖国電撃参拝が話題になった。(同盟国アメリカを始め、多くの国々から批判を浴びているが、これらの批判と関係なく)わが国の皇室は「靖国参拝」に極めて慎重である。
 長いこと、宮内庁に在職された富田朝彦さんは、宮内庁次長(1974年 – 1978年)と宮内庁長官(1978年 – 1988年)の時期に、昭和天皇の側近として、天皇と会話した内容や天皇自身の発言を几帳面にメモしていた。いわゆる「富田メモ」である。
 靖国神社に関する、昭和天皇の発言が1988年4月28日(昭和天皇の誕生日の前日)の「富田メモ」に残っている。
 私は或る時に、A級が合祀され
 その上 松岡、白取までもが
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか
 易々と
 松平は平和に強い考えがあったと思うのに
 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない
 それが私の心だ
 メモにある「松岡」とは日独伊三国同盟を締結し、A級戦犯で合祀されている元外務大臣の松岡洋右、「白取」もA級戦犯で合祀されている元駐イタリア大使の白鳥敏夫、「筑波」は1966年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった靖国神社宮司の筑波藤麿のことである。
 昭和天皇は、筑波宮司がA級戦犯合祀に慎重であったのに対し、筑波の退任後、A級戦犯が合祀された。昭和天皇はj強い不快感を持っていた。
 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は平和に強い考があったと思うのに」と記しているクダリは……「松平」は終戦直後の最後の宮内相の松平慶民。「松平の子」は、長男で1978年にA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司・松平永芳。
 「易々と」合祀してしまったことに対して、昭和天皇は強い不快感を表明している。
 「だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」
 昭和天皇が「靖国神社に参拝しない理由」をA戦犯合祀にあったことは明らかである。
 310万人の犠牲者を失った昭和天皇の「無念の思い」が、この発言に凝縮している。
 我が国の皇室は昭和天皇、今上天皇の時代、明らかに「平和と民主主義」を願っている。
 安倍さんのおじいさん、岸信介元首相は東條内閣の大東亜戦争開戦時の閣僚であったことから極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留させてられた。
 おじいさんが大好きな安倍さんは、皇室とはまったく違う「靖国観」を持っているのではないか?
 今、昭和天皇を父に持つ今上天皇は敢えて「平和と民主主義」を訴えられた。
 2014年は「平和ニッポン」の正念場である。
 覚悟して、民権のための言論活動を続けたい。
 読者の皆様の「お力」が是非とも必要です。
 平和のために「お力」を、お貸しください。
 さて、元気で 正月を迎えました。皆さんは、どうでしょうか?
 次回のブログは「お正月報告」の1月6日号。(その間、時々、春吉ジュニアのツイッターで呟くつもりです)

<何だか分からない今日の名文句>
安倍流いろはカルタ「論より強行!」