「みのもんた」に続いて「久米宏」。昭和19年生まれは……天才ばかりだけど……

友人の「みのもんた」がテレビ番組で「毎日新聞社を受けたら、俺が落ちて、牧太郎が合格した。TBSを受けたら、久米宏が合格して、俺が落ちた。で、文化放送に潜り込んだ」と何度も言った。

 「牧太郎」なんて、どうでも良い。

 「みの」さんは「俺は、久米宏のライバルだ」と言いたかったのだろう。

 その「みのもんた」が昨年、亡くなり、久米宏が1日、肺がんのため死去した。

 2人とも、当方も、昭和19年生まれの81歳。天才は早死にするなん言うけど……俺みたいな「どうでも良い男」が長生きする。

 「みの」さんに「なぜ、久米さんが合格したか?」を教えてやろうか!(結構、有名な話で、早稲田の仲間は知っているけど)

 1966年秋のTBSアナウンサー最終試験。試験官の前に、1台の赤電話が置かれ「赤電話を題材にして、自由にしゃべって下さい。」という課題だった。

 ほとんどの志望者は「さぁ、いま私の目の前に赤電話が置かれております。」「ここから一体、どのような人間ドラマが始まるのでしょうか?」という実況放送を始めたが……久米さんは赤電話に10円玉を入れ、実家に電話をかけた。

 電話に出た母親に「もしもし母さん? 今、TBSで入社試験を受けているんだけど……」。

 これが受けたんだ!

 久米さんは大学生の時から「みの流」の意外性を身につけていた。

 「みの」さんと久米さん、あの世で、思い出話をやってくれ!

 <何だか分からない今日の名文句>

  2人とも「自由」だらけ