7日は錦糸町で筋トレ。昼飯を食べながら、「月刊日本橋」を読む。(『月刊日本橋』は昭和54年創刊のタウン誌)
3月号の表紙は「林家木久扇」の「長屋の花見」。満開の桜の中で、長屋の面々が飲んだり、踊ったり。落語「長屋の花見」の模様を描いている。
愉快な表紙が大好きだが……二年間続いた「木久扇の表紙」は3月号で終わる。
人気テレビ番組「笑点」で半世紀にわたりレギュラーを務めた「86歳の落語家・木久扇さん」。今月末で「笑点」も卒業する。
残念だ!
木久扇さんは落語を始める前、漫画家だった。
1937年(昭和12年)、東京市日本橋区久松町の生まれ。(多分、俺の久松小学校の先輩?と思うが、青森県八戸市へ疎開。八戸市立柏崎小学校にも通ったらしい)
東京大空襲で実家の雑貨問屋が全焼。廃業。両親が離婚。母側に引き取られる。結構、苦労したらしい。
東京都立工業高等学校(食品化学工業課程)を卒業、「食べ物に苦労しない」という理由で森永乳業に入社した。
当時から漫画が大好きだった。で、森永乳業をサッサと退社。漫画家を目指すため、漫画家清水崑に入門している。
1958年 作品が『漫画サンデー』に掲載され、一応、プロの漫画家になった。
ところが、2年後、師匠の清水崑から「お前は落語家の方が良い」と言われ、師匠の紹介で参代目桂三木助に入門。そこからが、漫画と落語の二刀流が始まった。
(1976年、当時の本牧亭席亭の妹と結婚。ところが、自分の結婚式と他人の結婚式の司会(営業)を間違ってダブルブッキング。自分の結婚式には、新郎席に柳家小さんんが代理人として座った)
ともかく、愉快な人だ。
86歳で卒業。まだまだ、元気だが……ご苦労さまでした。
<何だか分からない今日の名文句>
漫画・落語・ラーメンの三刀流
(1981年年12月、日本初の
「ラーメン」の単行本を出し、
ラーメン・ブームの火付け役)