「7月1日」の歴史的意味
①岸信介が吉田茂ドクトリンを葬る
②そして「石は転がった」

 お袋の夢を見た。
 お袋が、 「お前!新聞記者だろう? 何やっているんだ!意気地なし!」と言っている。
 1945年3月20日、東京大空襲。生後5ヶ月の僕を背負って、東京・隅田川沿いを逃げ惑ったお袋は生前「戦争より悪いものはない!」と言い続けていた。
 だから、僕が、約100倍の競争率を突破して、毎日新聞に入社した時、大いに喜び、「平和の日本のために記事を書くんだよ」と言ってくれた。
 実は、牧家には「医者、学者、長者と付き合え!役者、芸者、記者とは付き合うな!」という家訓があった。それでも「牧ふみ」は「小林春吉」という新聞記者に出会い、僕を産んだ。(小林春吉は、大空襲の時、経済犯の容疑で拘置され、娑婆にいなかったので、お袋は、一人で、僕を守り、逃げ惑った)
 家訓に楯突いて、倅の僕が新聞記者になるのを歓迎したのは、戦後、新聞が「平和」を守る使命を遂行している!と信じていたからだろう。
 1960年代、ベトナム戦争に明確に反対した毎日新聞を僕が選んだのも「平和のために仕事」をしたかったからである。
 それなのに、突如、現れた「安倍独裁」の暴走の前で、新聞は無力である。多くの人が「戦争をする国」に違和感を覚えているのに、暴走は続く。
 「平和主義のお袋」は夢に中で、歯がゆくて……居たたまれない様子だった。
 27日のブログで「7月1 日は運命の日」と書いた。
 政府は、この日夕方、臨時閣議を開いて、憲法解釈変更による集団的自衛権の容認の「閣議決定」を行うだろう。
 なぜ「運命の日」なのか?その歴史的意味を書いておきたい。
 一つは、「日本の国策」の変更である。
 戦後、日本は軍備にカネを掛けない「軽武装」の道を選び、経済成長路線を進んだ。吉田茂元首相が指導した路線は「吉田ドクトリン」と呼ばれた。
 これに反対したのが岸信介元首相である。「自主憲法・自主防衛・自主外交」の執念が「日米安保」改定の道を選んだ。国論は二分し、60年安保で、日本は揺れた。
 岸のあとを継いだ「吉田学校の優等生」池田勇人元首相は「岸ドクトリン」に反対して、経済第一主義(平和主義)の吉田ドクトリンを選ぶ。
 その流れはその後、戦後保守政治の王道になった。
 それを、もう一度、ひっくり返そうとするのが、岸の孫、安倍晋三さんである。
 「憲法解釈変更による集団的自衛権の容認」を閣議決定する意味は、簡単に言えば「おじいさんの仇討」である。(しかも、これは「過剰な仇討」。おじいさんの岸信介でさえ「他衛権=集団的自衛権」を否定しているのに)
 狂気の国策変更! 狂気の仇討!それが「歴史的意味」である。
 その結果、何が起こるか?
 一昨日、6月28日は第一次世界大戦の発端になった「オーストリア皇太子夫妻暗殺」のサラエボ事件から100年を迎えた。
 暗殺犯はテロリストなのか英雄なのか、隣国セルビアとの間で1990年代の紛争ともからんで、未だに論争が蒸し返されているが、第1次大戦は、毒ガスという史上初の大量破壊兵器や、飛行機など近代技術を用いた新兵器が次々に投入され、その結果、欧州を中心に死者1千万人の犠牲者が出ている。
 あの時、ドイツの首相ベートマンは「石は転がり始めた」と話している。
 国民は平和を望んでいるが、もはやコントロールできない!という苦悩。
 何か、起これば、世界戦争になる。それは、今でも同じだろう。
 だから、日本は非戦を貫き、戦争を抑止する立場にいた。
 なのに、安倍さんが「おじいさんのために」閣議決定をする。
 憲法を無視した「軍国ニッポン宣言」。これはまさに「石を転がす」行為なのだ。
 もし、第三次世界大戦が起きれば、日本が参戦する危険が大きくなった。
 これが最大の「歴史的な意味」である。
 明日、7月1日は「最悪の火曜日」になる。
 夢に出たきた「お袋」から「何とかしなさい!」と叱られた。
 分かっているよ、お袋!
 安倍独裁、粉砕!
 平和の世論を結集しなければならない。「少しは役に立った」とお袋に言われるように、頑張りたい。
 今日、6月30日の毎日新聞夕刊コラム「牧太郎の大きな声では言えないが」で……安倍独裁を痛烈に批判してみた。(「法の上に立つ安倍さん」)
 閣議決定されれば仕方がない、という向きもあるが、閣議決定の違法性を司法の場で証明する方法もある。
 「平和」を守る戦いは、始まったばかりだ!

<何だか分からない今日の名文句>
王であっても「神」と「法」には従う!