“不倫の純愛”渡辺淳一、逝く

 「ひとひらの雪」など、男女の「愛と性」を描いた人気作家、渡辺淳一先生が4月30日午後11時42分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去されていた。
 ご病気であることは知っていたが、5日のテレビニュースまで、まったく知らなかった。勝手に「前立腺がんは命に別状はない」と思い込んでいた。
 渡辺先生は素晴らしい「遊び人」だった。
 編集者の経験がなく、新聞記者から週刊誌の編集長になったので、当方、作家先生との「お付き合い」「礼儀作法」が分からず、ドギマギしていた。そんな時、先生は「一緒に遊んでいれば良い」と教えてくれた。
 編集者仲間の「先生を囲む薮の会」のメンバーに入れて貰い、北海道にゴルフに行ったり、連日、銀座で飲んだり……「遊んでいれば良い」という教えを忠実に守り、楽しいことばかりだった。
 サンデー毎日では「渡辺淳一の美女対談」をやらせて貰った。
 「当代の美女」と大箱根ゴルフ場で一ラウンドした後、対談をする。先生には「楽しい仕事」だったと思う。
 大箱根ゴルフ場の支配人がタダで会場を貸してくれたので、豪華な対談も費用は格安。美人の方も、喜んで、お相手になってくれた。
 で、次なる「大作」を書いてもらおうと、画策して、先生にお願いしたのだが……ところが、当方、脳卒中で倒れ、次作争奪戦では途中欠場せざるをえなかった(笑)
 「失楽園」を日本経済新聞に持っていかれた。
 大箱根ゴルフ場の支配人は、その後、「鎌倉プリンスホテルの総支配人」になって、渡辺先生に頼み込み「失楽園」の主人公が自殺する名場面に鎌倉プリンスホテルを選んで貰った。
 鎌倉プリンス ホテルの夕日は「失楽園」の大ヒットで全国的に知れ渡り、支配人は大儲けした(笑)
 とにかく、先生とは良く遊んだ。向島の料亭から、深夜、銀座のバーに御一緒して、やっと、解放され、市川の自宅に帰ると、先生から「これから、ゴルフに付き合え」という電話。
 何時間も眠れなかったこともあった。そんな時、事件記者の方が楽チン、と思ったりした。
 それも、今となっては、いい思い出。半身不随にらなければ、もっと先生と遊べたのに。
 一つだけ気になることがあった。
 三島に先生の別荘が出来た日のことである。
 初めて、お会いした奥様が、先生の作風に批判的で「私は恥ずかしくて、恥ずかしくて」と言われたのだ。
 あの世に行ったら「 小説のために、不倫する」のは、やめた方が良いかも知れない。
 さようなら、渡辺先生!

<何だか分からない今日の名文句>
編集者を引き連れ銀座を歩く「最後の小説家」