「権力」との距離感
※申し訳ございませんが18日も多忙のためお休みします

 14日の早稲田大学第一政治経済学部新聞学科OB会には、19人が参加した。
 最高齢は昭和24年卒の宗田文隆先輩(元朝日新聞記者・巨樹に親しむ会会長)。
 昭和42年卒の同期は山野勝(元講談社常務で今は「坂道研究者」)、高山武生(元大阪読売記者で、今は不動産会社社長)それに僕。清水港の僧侶、鶴谷俊昭は檀家に不幸があって「葬式が商売だから」と欠席だった。
 びっくりしたのは、毎日新聞の同僚”夕刊編集長”の近藤勝重さんが参加したこと。実は彼が一期下の「新聞学科卒」とは知らなかった。
 昭和38年卒の鈴木恒夫先輩(福田内閣で「54日の短命文部科学大臣」)から「急用で出席できないが、牧に渡してくれ」という伝言。小冊「恒さんの小論集」、確かに受け取りました。
 大阪、鳥取からやってきた方もいて、大いに盛り上がったが、昭和44年に消滅した「小さな学科」なので、OBは徐々にいなくなるのだろう。ちょっぴり、やるせない。
 幹事の下桐治(日刊ゲンダイ社長)大森慎(芸能の「渡辺プロダクション」の初の大卒社員で話題になった)のご両人、ご苦労様でした。
 このOB会でも話題になったのだが、昨今「新聞の無力」を感じてならない。
 4月12日発売の週刊文春がいつものように「新聞不信」欄で「政治記事が面白くない!とイチャモンをつけている。
 週刊文春に言われる筋合いでもないが、確かに、昨今の新聞には「度胸」がない。
 「権力」にケチをつけられても(場合に寄っては、読者の総攻撃を受けても)確かな取材と確かな見通し、を書かなければ、新聞の存在意義はない。
 それが出来なくなったのは、新聞記者が「権力」に、にじり寄って「目」が霞んでいるからだ。
 15日の産経新聞の「産経抄」が、こんなこと書いている。一部、引用する。
 1971(昭和46)年秋、中国で重大事件が起きた。ナンバー2だった林彪副主席がトップの毛沢東主席を爆殺しようとして失敗、飛行機で逃げる途中、墜落して死亡したとされている。しかし当の中国は、これほどの事件を1年近くもひた隠しにしたのだ。
 当時、産経新聞など日本のメディアの多くは、文化大革命以来中国から追放されていた。それでも流れてくるわずかな情報をもとに「異変説」を打ち出した。逆に1社だけ記者が北京に残っていた朝日新聞は、表面的な理由を挙げてこれを否定し続けた。
 確かに、こんなことがあった。「権力」に、にじり寄って、既得権を守ろうとすると、この時の朝日新聞のように「意識的に誤報せざるを得ないメディア」になってしまう。
 「権力」との距離感が大事だ。
 昨今、気になるのだが、力不足の記者が「メモ」を取ることに汲々として、記者会見が迫力に欠けている。「権力」に対峙する緊張感を感じさせない。
「権力」のそばに居られるのが、新聞記者の特権である。彼らが、その役割を発揮出来ないのは残念で、残念で。新聞の「権力チェック」が出来ないと、日本はダメになる。
 (「メモ」は大事だが、一字一句、記録するのではなく、要領良く「キーワード」をメモることがプロの仕事だ!)
 ネットの時代だからこそ、新聞は自らの「保身」ではなく「度胸」で行ける!
「度胸」で報道し、その癖、上手に、強かに、生き延びようではないか!

<何だか分からない今日の名文句>
新聞の真髄「茶さじ一杯の毒」