このままでは、新聞は「政府公報」になる

 18日のコラムで、毎日新聞夕刊コラム「牧太郎の大きな声では言えないが」の“書き直し騒動”に触れ「物書きには、窮屈な時代になった感じ?」と書いたが……「窮屈な状態」はアチコチで見られる。
 17日付の日経新聞朝刊に
 <13日付政治面で民主党の選挙対策委員長に岡田克也元代表、14日付総合・政治面で政調会長に大塚耕平参院議員を起用すると報じたのは誤りでした。おわびして訂正します>
 という記事が載った。日刊ゲンダイで、知った。
 「内定」「見通し」などの表現で、新聞は「決定してはいないが、ほぼ確実な政界人事」を書く。
 たまに、見通しを誤る。そんなことは、結構ある。
 権力者は、わざわざ「内定」をリークして、この人事を潰すこともある。
 結果として、外れたとしても、これは「誤報」という範疇だろうか?訂正して「お詫び」するものだろうか?
 むしろ、人事が変わった「背景」をキチッと書くべきではないだろうか。
 人事がひっくり返るたびに、いちいち謝っていたのではキリがない。
 読売新聞も、安倍内閣の改造が行われた翌日(今月4日)、小渕優子の幹事長起用を誤報と認め、「今後とも正確で迅速な報道に努める」と書いたようだが、読売新聞の「この種の勘違い報道」はしょっちゅうである。今まで、謝ったことはほとんどない。
 多分、「朝日新聞の慰安婦強制の誤報」騒ぎが、背景にあるんだろう。
 ともかく、謝っておこう!というのが、読売方式?
 しかし、これでは、人事の予測記事すら書けないことになる。
 ああ、息苦しい!
 報道姿勢は萎縮する。
 まるで、戦前のような「暗黒の自己規制時代」がやって来る。
 まあ、読売も、日経も、もともと「政府の御用新聞」という一面もあったから、ある意味で「致し方ない」が……毎日新聞は(東京新聞も、であるが)“政府広報”にはならない!と信じたい。
 知恵を絞って、自由な報道を完遂する!
 新聞が、民主主義を守る「最後の砦」なんだから。
 18日は毎日フォーラムの原稿を書いてから、一杯、飲みに行くつもりだったが、相棒が見つからないので、やむなく仕事場でお勉強。
 送られてきた「講座 臨床政治学 第五巻 第二次安倍内閣ーー発足と課題」を読んだ。
 拓殖大学准教授・丹羽文生さんの「安倍外交」、東海大学非常勤講師・池田美智代さんの「菅義偉内閣官房長官ーー影の総理大臣」が面白かった。
 この週末は、育英小学校の同窓会など、結構、忙しそうだ。

<何だか分からない今日の名文句>
「自由」には
山あり、谷あり、絶壁あり