2009-06-10 Wed
時々だが、原稿を書き上げてから「恐怖」を感じることがある。こんなことを書いて、俺は「安全」だろうか?
9日の毎日新聞夕刊の「大きな声では言えないが・タイトー君の”運因運果”」を出稿した時も「書かなければ良かったのに」と思ったりした。
書かなければ良かった個所は「絶対善、絶対悪を主張して千何百年も宗教戦争を繰り返す一神教は「悪」の象徴?」というクダリ。厳密に言えば・・・キリスト教、イスラム教、ユダヤ教を敵に回すことになる。
書かない方が良いかな? と思いながら、いや、書かなければ! と思い直す。正直に言えばやっぱり「宗教戦争が無数の命を奪ったこと」は事実である。だから、書かなければならない! と思う。で、覚悟する。
大袈裟でなく「神の怒り=信者の怒り」を覚悟する瞬間。ドギマギしている自分が情けなくなる。(オウム真理教に狙われたこともあるので)
でも「無数の生命を犠牲にする行為」を我々地球人は許してはいけないと思う。言論の究極の目的は宗教戦争をなくすことだ、とまで思っている。
地球はユダヤ教が生まれるまで多神教だった。「唯一の神的存在者だけを認めて、これを信仰する一神教」はユダヤ教が初めて。次なる一神教のキリスト教、イスラム教が加わり7世紀頃から、この3つの宗教が戦争を始める。それが、21世紀の現在まで続いている。今、地球で50を越す紛争が起こり、その殆どが、宗教戦争である。
多神教の世界なら、こんなことは起こらなかったかも知れない。(不勉強だから、確かなことは言えないが「世間 我と戦う。されど、我、世間と戦わず」というのが仏教の教え)
時に「戦う宗教」はナショナリズムと結託する。「ナショナリズムという宗教が生まれた」と表現した方が良いのかも知れない。とにかく「国粋主義」という宗教が戦争を激化させる。これが地球の歴史だ。
(送られてくる原始福音信仰の雑誌「生命之光」は「我らは、キリスト教の純化を願うが、日本の他の諸宗教を愛し、祖師たちの人格を崇敬するものである」と明らかにしている。それが、本来のキリスト教ではないのか? と僕は思っている)
絶対に悪いこと、絶対に正しいことは存在しない。絶対悪、絶対善を主張する宗教はただがむしゃらに闘い続ける。
その一神教の存在が「悪」なんだ! と僕は思う。
神の存在は信じる。神にすがる事がある。でも「戦う宗教」に加わりたくない。そう思っている。
なのに「一神教の限界」を書かないのは「物書き」として卑怯な感じする。で、書いてしまった。
で、書いた後、理由もなく「恐怖」を感じる。宗教は「人間の内なるもの」だから、書くべきではない! という教えも存在する。だから「恐怖」を感じる。でも、書かなければ、第3次世界戦争が始まるかも知らない。(核兵器を持つべきだ!という意見まである昨今だ)
ともかく、筆で飯を喰うのには「覚悟」がいる。
9日は午後から国会村へ。珍しく国会バッチを付け、議員会館を廻る。国会村の住民は、どちらかと言うの以前と比べるとトゲトゲしい。衆院選は臨戦態勢なのだろう。
9日の毎日新聞夕刊の「大きな声では言えないが・タイトー君の”運因運果”」を出稿した時も「書かなければ良かったのに」と思ったりした。
書かなければ良かった個所は「絶対善、絶対悪を主張して千何百年も宗教戦争を繰り返す一神教は「悪」の象徴?」というクダリ。厳密に言えば・・・キリスト教、イスラム教、ユダヤ教を敵に回すことになる。
書かない方が良いかな? と思いながら、いや、書かなければ! と思い直す。正直に言えばやっぱり「宗教戦争が無数の命を奪ったこと」は事実である。だから、書かなければならない! と思う。で、覚悟する。
大袈裟でなく「神の怒り=信者の怒り」を覚悟する瞬間。ドギマギしている自分が情けなくなる。(オウム真理教に狙われたこともあるので)
でも「無数の生命を犠牲にする行為」を我々地球人は許してはいけないと思う。言論の究極の目的は宗教戦争をなくすことだ、とまで思っている。
地球はユダヤ教が生まれるまで多神教だった。「唯一の神的存在者だけを認めて、これを信仰する一神教」はユダヤ教が初めて。次なる一神教のキリスト教、イスラム教が加わり7世紀頃から、この3つの宗教が戦争を始める。それが、21世紀の現在まで続いている。今、地球で50を越す紛争が起こり、その殆どが、宗教戦争である。
多神教の世界なら、こんなことは起こらなかったかも知れない。(不勉強だから、確かなことは言えないが「世間 我と戦う。されど、我、世間と戦わず」というのが仏教の教え)
時に「戦う宗教」はナショナリズムと結託する。「ナショナリズムという宗教が生まれた」と表現した方が良いのかも知れない。とにかく「国粋主義」という宗教が戦争を激化させる。これが地球の歴史だ。
(送られてくる原始福音信仰の雑誌「生命之光」は「我らは、キリスト教の純化を願うが、日本の他の諸宗教を愛し、祖師たちの人格を崇敬するものである」と明らかにしている。それが、本来のキリスト教ではないのか? と僕は思っている)
絶対に悪いこと、絶対に正しいことは存在しない。絶対悪、絶対善を主張する宗教はただがむしゃらに闘い続ける。
その一神教の存在が「悪」なんだ! と僕は思う。
神の存在は信じる。神にすがる事がある。でも「戦う宗教」に加わりたくない。そう思っている。
なのに「一神教の限界」を書かないのは「物書き」として卑怯な感じする。で、書いてしまった。
で、書いた後、理由もなく「恐怖」を感じる。宗教は「人間の内なるもの」だから、書くべきではない! という教えも存在する。だから「恐怖」を感じる。でも、書かなければ、第3次世界戦争が始まるかも知らない。(核兵器を持つべきだ!という意見まである昨今だ)
ともかく、筆で飯を喰うのには「覚悟」がいる。
9日は午後から国会村へ。珍しく国会バッチを付け、議員会館を廻る。国会村の住民は、どちらかと言うの以前と比べるとトゲトゲしい。衆院選は臨戦態勢なのだろう。
<何だか分からない今日の名文句>
「神」がいるから戦争がある
| 牧太郎 | 10:48 | comments (x) | trackback (x) | 編集長ヘッドライン日記 |