編集長ヘッドライン日記 バックナンバー
2006.6月

6月29日(木) 滋さん、早紀江さんの思いを‥‥

 28年ぶりに家族と再開した金英男さんの記者会見。どうせ、練習に練習を重ねた北のパフォーマンス。 見る必要はない!と思いながら、ついテレビを見てしまった。

 「86年初め、めぐみさんと、仕事上、特殊部署で出会い、日本語を学んだ。しとやかな女性だった。 結婚3年間は娘もでき、うまくいっていたが、病気の症状が現れた。結婚前から病的症状があったらしい。 子どもの時に事故にあって脳を傷つけたことがあると聞いたこともある。数回も(自殺を)図り、結局、病院に行って自殺した。 死亡の日付は94年4月13日だ」。

 まるで、血も涙もない広報官?(英男さんも、こう話せなければならない運命をなじっているだろうが) 北の主張どおりのシナリオを子供まで作った「めぐみさんの夫」が平然と喋る。テレビに映った横田夫妻の表情。 苦しみが深い。とても見ていられなかった。

 娘を、孫を愛するご両親の苦渋。怒り。何故、こんなにも、横田夫妻が苦しまなければならないのか。 神は一体、何を考えているのだ!

 テレビを見ているのが辛い。

 早紀江さんは、娘の病気について「出産も育児も何も教えられていないことを初めて経験して、どんなに大変だったか、 いつも想像してきた。うつ病にはなったかもしれない」「あまりにも孤独で、それでも生きていかなければならない。 13歳まで本当に幸せに暮らしていたのに(うつ病に)なって当たり前だと思う」と淡々と話した。 早紀江さんは強い女性だ。頭が下がる。

 でも‥‥ご夫妻は2人だけになったら泣き崩れるのではないか。例え、嘘と知りつつも。北の謀略と知りつつも‥‥

 そう思うと、胸が詰まって‥‥何も出来なくなった。日記なんて書く気持ちになれない。

愛は真実!

6月28日(水) ゴミ記事が教える「この世の欺瞞」

 1億円ヤミ献金事件を覚えているだろうか。日本歯科医師連盟が自民党旧橋本派に1億円のヤミ献金を渡していた事件。 日銀・福井総裁事件のように新聞をにぎわしたが、最後の、最後の結論?が出た。そして、多分、小さなニュースとして扱われるだろう。 あるいは出ないかも知れない。何か、やるせない気分になるが、キチッと記録しておきたい。

 事件は‥‥自民党厚労族トップ・橋本龍太郎元首相と親しい日歯連臼田貞夫会長(当時)は、02年度の診療報酬改定に向け、 有利な取り計らいを求めるため、01年7月2日夜、赤坂の料亭「口悦」で橋本元首相、野中広務・自民党元幹事長、青木幹雄・ 自民党参院議員会長と会食し、1億円の小切手を渡した。

 翌日3日、橋本元首相は、派閥事務所で旧橋本派の政治団体「平成研究会」の滝川俊行・会計責任者にこの小切手を手渡した。 1億円の大部分は01年末の派閥議員70人へのモチ代として配られた。

 02年3月、村岡兼造・元官房長官、野中・元幹事長、青木・党参院会長が派閥幹部会で、 この1億円を「裏金」処理することを決め、01年分平成研の政治資金収支報告書の寄付内訳欄に記載せず、 02年3月29日に総務大臣に提出した。日歯連も、01年政治資金報告書にこの1億円を記載しなかった。

 04年4月、元社会保険庁長官が絡む汚職事件で臼田会長らが東京地検特捜部に逮捕され、この1億円ヤミ献金が発覚した。

 平成研は04年7月、1億円寄付を政治資金収支報告書に訂正報告。あわてて会計帳簿類を廃棄して、 橋本元首相も7月30日の派閥総会で「思い当たらない」と発言し、責任を取って派閥会長を辞任した。

 この事件に関して、地検特捜部は04年9月、臼田会長を追起訴するとともに、政治資金規正法違反(不記載)の罪で滝川・ 元会計責任者を起訴(いずれも有罪判決確定)。さらに村岡・元官房長官を在宅起訴した。

 滝川・会計責任者が「02年3月、病気で入院していた橋本・元首相の代わりに派閥会長代理を務めていた村岡・元官房長官から “政治資金収支報告書に記載しないよう”と指示された」と証言したからである。しかし、村岡さんは一貫して全面否認した。

 地検特捜部は、裏金にすることを決めた派閥幹部会に参加した野中・元幹事長については「関与したが、積極的ではなかった」 という訳の分からない理由で起訴猶予、青木・党参院議員会長と橋本元首相については嫌疑不十分で不起訴にした。(これが僕には理解できない)

 東京地裁は、当然ながら、村岡さんに無罪を言い渡した。滝川さんの供述を「派閥幹部や党全体に累が及ぶのを阻止する目的で、 虚偽の供述をした可能性がある」として信用性を否定したのだ。村岡さんの無罪は喜ばしいことだったが、それでは、 この1億円ヤミ献金事件(僕は政治資金規正法違反ではなく、贈収賄と思っている)の本当の主犯は誰なのか?

 僕の知る限りでは、特捜部の現場では、村岡さんと野中さんの二人を在宅起訴する方向で捜査を進めたらしいのだが、 最終段階で検察上層部から「二人も起訴するような事件ではない」という消極意見が出て、最終的には派閥ナンバー2だった村岡さんだけを 起訴したという。これはあくまでも、僕の推測だが、上層部には「議員を引退した村岡さんが全て被るから」というサインが何処からかあったのだろう。

 「橋本龍太郎元首相」を守る為の日本国上層部の大芝居だった。引退した村岡元長官に罪をかぶせようとした陰謀。 当時の自民党経理部・某氏に捜査が伸びるのを恐れた、という証言もある。ともかく、これは、平成陰謀史に残る事件だった。

 (特捜部は某氏を数回、事情聴取して「迂回(うかい)献金疑惑」について調べたようだが、 これについては、僕は不案内で、ここでは特に触れない)

 多くの人が疑問に思った。橋本さんらは04年7月の段階で、01年、02年分の収支報告書を訂正し、 1億円は既に派閥議員に配って残っていないにも関わらず「繰越金」として計上したのではないか。橋本さん以下、3人が告発された。 当然ではないか。

 今日2006年6月28日、東京地検は、この1億円ヤミ献金事件で、実体のない「繰越金」として政治資金収支報告書に記載したとして、 政治資金規正法違反(虚偽記載)の疑いで告発されていた橋本さん(他に2人)について、嫌疑不十分で不起訴処分としたのだ。 これが、事件の完全な幕引きだった。

 多分、このことは、明日の新聞に小さく小さく報じられるだろう。書かない新聞もあるだろいう。 本当の犯人・橋本龍太郎さんが無理やり「シロ」とされた記念すべき出来事なのに。

 初めから分かっていた事だ。闇から闇に葬られた事件の記念日。日銀総裁が「何もわるいことはしていない」 と開き直り気持ちが分かるではないか。

 もらい物が多い日。義弟が「家庭菜園で作った」というタマネギを大量に送ってくれた。デカイ。直径10センチ?

 デカイ。競馬サークルの長老からは「鰻」。これもデカイ。英国へ出張していた「六本木のニコニコ野郎」 からは本場のチーズ。どれから、食べようか、と思い悩む。うれしいものだ。

 友情でものを貰う。自慢できる。橋本さんは、ワイロを貰い、これを隠し、他人に罪をかぶせ‥‥どんな気分なんだろう。

因果応報

6月27日(火) 福井さんで「円」が?

 午前9時過ぎに京都を発って、新幹線で帰京。途中、何度か、社から問い合わせがあった。夕刊のコラム「大きな声では言えないが・ 日銀の前科?」について、デスク陣が十分、精査してくれたお陰で、無造作に書いてしまった「形容詞」を削除することが出来た。どうし ても必要な「形容詞」でもない。テンポを取るような役割で書いたのだが、この「5字の形容詞」のお陰で、イチャモンを付けられると 面倒だ。時事モノのコラムには神経を使う。

 そのコラムの主人公・福井さんの金融資産が公表された。夫婦で資産3億4000万円。多いのか、少ないのか、僕には分からない。 ちょっと気になるのは、奥さんが00年8月に購入した阪神電鉄株2000株。村上ファンドと関係が深い株だ。

 それより気になるのは、このコラムでも触れたが、最大の焦点であるゼロ金利解除の行方の見通しが不透明であることだ。海外では 「総裁辞任」の憶測から円が急落している。(22日のニューヨーク外国為替市場では「福井総裁が48時間以内に辞任する」とのうわさ がかけめぐり、1ドル=116円台まで売り込まれた) 日銀総裁の信頼低下は国境を越えている。だから、小さなコラムでも神経を使う。

 政府に「借り」をつくった日銀は、簡単には利上げに踏み切れないのか。それとも、政治圧力に屈しない姿勢を誇示するために、早めに 「ゼロ金利解除」を打ち出すのか。

 京都に行っていた留守中に、親しい同僚から日光名物の湯葉が送られてきた。日光は奥さんの出身地らしい。

 同僚は「55歳検診」で腎細胞ガンが発見され手術した。病院生活2週間、自宅での静養が3週間。職場復帰した。

 手紙がついていた。「早期発見で第一ステージ」とある。良かった。思いもよらぬ闘病で、家族の絆、特に奥さんの「ありがたさ」を 痛感したらしい。家族の絆。幸せである。彼が論説室に戻って、我が社の外交、防衛モノは一段と深みを増す。

 彼が退院して、すぐ自宅に見舞いに行ったが、手ぶらだった(半身不随で持てないので)。それなのに、ワザワザ気をつかって貰って 恐縮。近々、仲間と快気祝いをするか。

ガンで連帯する夫婦、金融で連帯する夫婦

6月26日(月) 古都の雨

 京都のホテルで、朝まで「世界週報」を執筆。途中でテーマを変えたので、時間が掛かった。 窓から外を見ると雨。仕方なくベットに横になる。眠たい。ただ眠たい。

 昼、目が覚めたが雨。雨が降ると、右半身不随の当方、傘がさせないから外出できない。ちょっとサイフが不用意なので、 タクシーも使えない。「おけら」になった翌日は最悪である。

 で、また眠る。嗚呼、味気ない。折角の古都の一日なのに。宝塚記念は「大損でも気分爽快」と思ったが、一夜明けると、 カネがないのは首がないのも同じ。身動きできない。我慢、我慢、辛抱、辛抱。

 夕方、ベットでボサッとしていたら、ヤッとATMの存在に気づいた。俺、どうしたんだろう。 ATMでカネが下ろせるのに。何故、こんな簡単なことに気づかなかったのか。 徹夜で原稿を書いていたので、頭が空っぽになったのか。ともかく、斑ボケ的状態?である。

 カネを引き出して、小雨の三条通り辺りを散策。床屋に行きたい。頭を洗いたい。 行けども行けども、床屋の赤、青、白のサインボートが見つからない。どうしたんだろう。 しばらくして「月曜日」と気づく。床屋は全国的に月曜日はお休み。まだ、斑ボケ?

 京都駅構内の床屋でシャンプー、髭剃り。さっぱりしたところで、祇園新橋通りの「清水」へ顔出し、水菜サラダで一杯。 「一人で寂しそうですね」とオヤジに言われ「良いスナックでも紹介してくれよ」。

 で、美人のママが迎えに来てくれた。演歌歌手のような艶やかな和服姿。祇園・中末吉町のビルの三階「凛々」のママ。 ふくよかな、気さくな女性だ。建築関係の専門学校に通う美紀クンが相手になってくれて約30分。 娘と言おうか、孫と言おうか‥‥ともかく若い女の子と話すのは久しぶり。

 ホテルに帰って「アッ?スポニチの“おけら街道”を書くのを忘れていた!」。で、またぞろ、深夜の執筆になってしまった。

しばし「辛抱」という棒を飲む

6月25日(日) 大損したけど「淀」は気分爽快

 週末、京都へ来た。

 もちろん、目的は凱旋門賞に遠征する“侍インパクトを壮行? する宝塚記念。もしかすると、国内最終戦になるかもしれない。馬券を 楽しむというより「名馬と同時代を過ごした」という中年ロマンに誘われた京都紀行。

 と、言っても、京都にはインパクト以外にも楽しむことが幾つもある。北政所ゆかりの高台寺が開設400年。記念特別展が行われてい る。5月19日からライトアップ。週末は庭園でライトアップコンサートが開かれる。臥龍池の水面に映し出された伽藍。伝統美とのハー モニー。鴨川では納涼床も始まっている。

 高台寺あたりから、西山に沈む夕日を見て、先斗町あたりで、ひとり、酒を酌む‥‥そうは言っても「淀の稼ぎ」で、お遊びのスケール も大分違う。

 24日は8レースに苦敗続きの愛馬・ロックスピリッツが出走した。京都の芝2000。赤木騎手が怪我をして乗り代わり。ところが、 その交代ジョッキーがナンと武豊。赤木騎手は真面目な若者らしく、六本木のニコニコ野郎が「大好きな騎手の一人」と言っているので、 何とか、赤木で2勝目を! と祈っていたのだが‥‥どうしても勝てないのなら‥‥とも思っていた。が、ナンと武が乗る。幸せなのか、 不幸なのか‥‥武は上手かった。そつなく乗って2着に持って来てくれた。賞金は「500万下」のヒラ場で2着は300万円。40人の 一口馬主で分ける計算である。経費を除いて、一人7万円程度か。取りあえず、京都行きの交通費、ホテル代は出た。後は“お遊び”の 元手?

 そのレースを含め4レースで馬券を買い、3レース的中した。が、3連単、3連複で点数が増えて、意外にも、ちょっと損をする。 手広く3連単で勝負すると、堅く収まると、損をする。

 夕飯は、東京から追いかけてきた競馬仲間と、祇園・新橋通りの「清水」。最近、行きつけになった店だがなかなかの味。冷たい「茶碗 蒸し」が美味。8時過ぎ、仕事で遅れた、たまちゃん、合流。宝塚記念の検討。たまちゃんは、飲み足りな様子だったが、当方は10時 過ぎに分かれて、ホテルでコラム「大きな声では言えないが」執筆。

 一眠りしてから、朝7時過ぎ、いつものTBSラジオ「牧太郎のザ・コラム」を電話で済まし、一服していると、たまちゃんから「ホテ ルに来ましたよ」と携帯。午前9時前なのに‥‥「早いな」と言うと「9時半に集合、と言ったら、牧さんが遅いと言ったじゃないです か」とたまちゃん、プンプン。本当か? そんなこと、言うわけないじゃないか。第1レースから参加したら、絶対負ける?

 当方のタクシーを吉田勝哉さんが乗ったタクシーが追い抜いていく。インパクトの生産者は気合が入っている。もちろん、JRAの関係 者も気合が入っていて、開催委員長の後藤ちゃんは、朝7時には、競馬場の隅から隅まで歩き、異常がないか確認してから、神様に手を合 わせ「雨が降りませんように」とお祈り。降雨確率、午前中50%、午後40%。売上げが気になる。

 宝塚記念の馬主、生産者ら関係者が入った部屋の隣で観戦することが出来た。インパクトの金子夫妻に挨拶。奥さんは、もう凱旋門賞の 話ばかり。「あんまり強い強いと言われると、外国馬に邪魔をされるから」と、当方、本音のアドバイス。「そうね、日本では道を開ける けど、パリではそうかないわね」と心配そうな奥さん。凱旋門賞はNHKで放送する。深夜になるが、サッカーのように、スポーツパブで 集団観戦と相成るのか。

 2レースから勝負。午前中は浮いていたのだが、後半、沈む。メインレースの頃には6000円負けていた。一気に逆転! と、宝塚記 念に2万円投入。2着は‥‥やや重なら、Aトウカイカムカムで行こう、重なら、道悪上手なLバランスオブケームで行こうと、腹を決め た。

 表示は「やや重」。迷わずG−A−ら総流し。G−総流し−Aの3連単で大勝負。倅から携帯。彼はG−@−Hを3千円。飲んじゃおう かと思ったが、Hカンパニーが無視できず、取りあえず、たまちゃんに買ってきて貰う。

 インパクトは強かった。羽が付いているようだった。天皇賞では3角捲くりだったが、今回は直線で一気。こんなに強い馬がいるのか。 酔った。馬券を忘れて、酔った。カムカムは何処にいたのか、分からなかった。でもいいや。

 気がつくと、Lが逃げ残って3着。ちょっと残念だったが、インパクトの快勝で気分爽快。強い馬の強い勝ち方。気分爽快。

 最終も、田中勝の穴馬と心中。(ゴール寸前まで2番手だったが、一瞬のうちに抜かれ5着。これは残念だった) サイフは概ね空に なった。

 ホテルに帰り、コンビニの海苔弁で、空腹を満たし、3時間熟睡。深夜は「世界週報」を執筆。

インパクトなら馬券はいらない

6月22日(木) インパクトの1mは3万6699円

 朝から「青い空 白い雲」の執筆。あまり書きたくはないテーマだが、 佐藤ゆかりセンセイの「言い訳」が気になる。チルドレンだから許される、 というものでもないだろう。ゆかりセンセイに「大人の女性」になってもらいたいので、 あえて書いた。

 昼飯を食べながら、CSの朝日ニュースターを見ていたら、 キャスターが「福井日銀総裁の騒動には新聞、雑誌、テレビ、週刊誌と色々の意見があるが、 私は毎日新聞の牧という人のコラムが本質を突いている」と僕の 「大きい声では言えないが・日銀銀総の八百長」を読んでいた。

 びっくりした。解説の新しいやり方である。キャスターがどういう人なのか分からないが、 一部だけ引用するのではなく、核心部分を全て読んでくれると、筆者の意図が正確に伝わる。 助かる。それよりも、ここにも、僕のコラムを読んでいる人がいると思うと励みになる。 ありがとう。

 夕方、仕事場に、スーパーに勤める倅が遊びに来た。すこぶる元気。 だが、オヤジから見ると、疲れが蓄積しているような気配もある。少し眠ってもらった。 経営がスリムになりすぎて、結構、負担が重いのだろう。まあ、若いのだから、頑張るしかない。

 限界が来たら、その時はその時だ。頑張った!と胸を張れるのなら、出来の悪いオヤジだが、 応援する。安心しろ!

 早寝して、23日午前4時に起き、ブラジル戦。4対1で惜敗 (惨敗という人がいるが、僕は善戦だと思う)キーパーの川口は素晴らしかった。 彼のセーブがなかったら7対1だったかも知れない。

 さあ、25日は宝塚記念である。Gインパクトが5冠に挑む。 強い馬がキッチリ勝つのを見るのが気持ち良い。宝塚記念に勝つと、 インパクトは史上7頭目の10億円獲得馬になる。計算すると、 インパクトは1メートル前に進むだけで3万6699円獲得したことになる。 これは文句なく史上1位である。

 で、相手は@リンカーン?

 馬連@−Gは予想オッズで290円?

 京都まで行って、290円では、どうしようもない。穴党、苦心の宝塚。 競馬は走らなくては、分からない。苦敗続きの愛馬・ロックスピリットは24日、 京都2000芝で走る。

 いずれにしても、インパクト国内最終戦ということも考えられるから、 競馬ファンは淀に集合しなければならない。

勝負は時の運

6月21日(水) 歌舞伎町の夜

 10日ほど前、葉書が来た。「6月21日岡部きみよライブ、時間7:30、料金6000円 6月24日サスケと仲間達ライブ 時間 7:30分 料金6000円 新宿区歌舞伎町2−20ー9 ミニ一番館」という簡単な案内。「プロ歌手岡部きみよ」らしき女性のカラ ー写真と地図が載っている。挨拶文もない“手抜きの案内状”。何だろう? そのまま、机の上に置いておいた。

 数日前の夜、携帯に「西村だよ。ミニ一番館の西村だよ」という電話が来た。誰だか分からない。「野球部の西村だよ」と言う。 「西村? 一高の西村か?」と聞いた瞬間、何故か、電話は切れてしまった。

 「一高の西村」というのは、僕の母校・日大一高の同級生。昭和38年ごろ、ピッチャー兼二塁手で甲子園に出場した男だ。勉強はまる で駄目で、教室では居眠りばかりしていた。午後、皆が勉強している時間帯に、野球の練習を始め、日が暮れるまで甲子園を目指して、 遮二無二、走り回っていた。

 あの西村か。新宿でスナックでも開いているのか。それにしても、40年以上、会っていないような気がする。懐かしい。

 どうしたんだろう。突然、電話が切れたのが気がかりだった。で、その21日がやって来た。「ミニ・一番館」に行かなければならない。 気になったら行く! のが牧流好奇心である。

 地図を見る。新宿・職安通りと区役所通りが交差する辺りである。JRA六本木事務所で世間話の最中に、地図を見せ「今夜は、ここへ 行くんだ」と話すと「ここは、新宿でも、危うい所だよ」と言う。そう言えば、身障者になってから、その辺りに行ったことはほとんどな い。10年ぐらい前に、たまちゃんと藤圭子と風林会館の「ロック」で飲んで以来である。まだ、藤圭子の娘・宇多田ひかるがデビューす る前の話だ。

 「そんな怖いのか?」と聞くと「危険ではないと思うけれど‥‥あの辺り、立ちんぼの女性が集まっているところだ。誰かに、一緒に行 って貰ったら良い」とアドバイスする。

 と、いうことで、たまちゃんとJRA職員のホンダ君が、まるでガードマンのように付き添ってくれた。

 午後7時半「ミニ・一番館」を見つけた。ビルは立派だった。でも、人の出入りはない。時間が早いのか。それにしても、寒々としてい る。

 バー、スナックが入っている雑居ビルの5階の奥に「ミニ・一番館」はあった。ドアを押して入ると、65歳ぐらいの女性と20代後半 の女性が、アンプの準備をしていた。

 「牧と言いますが」と声を掛けると、カウンターの奥から、ヌーッと相撲の親方のような大男が顔を出した。初めは、この体重80キロ はありそうな巨漢が西村とは気づかなかった。何しろ、野球部のスターだったころの、スリムな面影はまるでない。

 「卒業以来だよな」と言うと「いや、お前がサンデー毎日の編集長だった頃、同窓会で会ってる。その時の名刺を持っている」という。 そうだったのか。その時の名刺を頼りに案内状を送ってきたのか。

 席に着く。「この間はゴメン。携帯が通じなくなって‥‥修理に出しているんだ」「ここで38年、スナックをやっているんだけど、 歌舞伎町も変わった。韓国の店が多くなって‥‥疲れたよ」。何やら、昔の迫力がない。「明日、肝臓の検査に行くんだ」。病気がちなの か。「でも、子供が小さいから、頑張らなくちゃならない。女房は40代で若いんだ、と自慢した時だけ、笑った。

 客らしい人間はいない。「ここで、ライブをやるのか?」と聞く。「うん。アレが岡部きみよ、だ」。20台後半の女性を指差した。 10分、20分‥‥客は誰も来ない。サラリーマン風の中年男性がやって来た。良かった、と安堵する。と「あの人、岡部きみよのお父さ んだ」と西村。だから、まだ、本当のお客は我ら3人だけである。

 また、10分経った。アロハ姿の二人組がやって来た。助かった。お客が来た! 祈る思いだったから、内心、喝采する。しかし、であ る。西村が「紹介するよ。これがサスケだ」という。つまり、24日にここでライブをする二人組だった。

 サスケは結構、名の売れたヴォーカルだそうだが、僕は知らなかった。で、その2人組も、いわば、身内である。

 さらに10分。誰一人「本物のお客」が来ないまま、8時過ぎ「岡部きみよ」のライブが始まった。お父さん、サスケ、それに我が3 人組。ミニもミニのライブである。

 岡部さんは山口県下関の出身。平成8年にデビューした。平成10年「せめて夢であいたい」と言う曲でCDも出している。趣味が 「空を見ること」。歌の実力は「アマとプロの間」という感じ(ちょっと厳しいかな。ゴメン!)

 ただ、特徴がある。手話をしながら歌うのだ。その彼女の優しさが、歌声に滲み出ているから、ひょっとすると、歌手として化けるかも 知れない。オリジナルを含め7曲歌ってくれた。

 ライブが終ると、手持ち無沙汰である。どうして良いものか、分からない。次のお客が来るまで待つべきか、悩む。大いに悩む。

 しばらくして、意を決して「約束があるので、悪いけど帰る」というと西村はしきりに「ありがとう」を連発する。料金を払う。「土曜 日にも来てくれよな」。「悪い。24日は宝塚記念で京都なんだ」

 ビルの玄関まで送ってくれて「38年、疲れたよ。今日も、もっと客がくると思ったけど‥‥」と塩らしい。

 ビルを出ると、どっと疲労感が襲ってきた。新宿で生活する人々。その情熱とその疲労感。そして、街はチグハグな虚飾。何か、やるせ なくなって‥‥大都会の夜に棲むのは疲れる。

沙漠のような東京で

6月20日(火) 「悪魔の弁護士」の言い分

 大きなニュースが二つ。

 一つは イラクに駐留する陸上自衛隊に撤退命令。二年半で終止符が打たれる。「人道支援」とは名ばかり。 「日米同盟」を象徴づける駐留だった。

 気になるのは、クウェート→イラク南部タリル空港間で陸自物資などを輸送してきた航空自衛隊の活動を陸自撤退後も継続。 輸送先がバグダッド空港と北部アルビル空港に拡大することである。バグダッドは米軍の拠点。 空自は米軍など多国籍軍と国連の物資・人員を輸送するから、以前より、 内戦のイラクで「参戦色」が強まるが、それに対するメディアの反応はほとんどない。批判を忘れたカナリア?

 むしろ、我々が注目しなければならないのは、アメリカ国内に於ける反戦の機運。すでに、 イラクからの米軍の即時撤兵を求める大規模なデモがニューヨークで行われ、約30万人が参加している。不法な戦争をやめよ!

 息子を返して!の叫びに説得力がある。

 もう一つのニュースは光市の母子殺人事件の最高裁判決。1999年4月14日、山口県光市のアパートで、 本村洋さんの妻・弥生さん=当時(23)=が首を絞められて殺害され、生後11ヶ月の長女・夕夏ちゃんも床にたたきつけられ、 絞殺された。4日後、殺人容疑で当時18歳の男性が逮捕され、1審の山口地裁の公判で、検察側は死刑を求刑したのだが、 同地裁は2000年3月、無期懲役の判決を言い渡した。検察側が控訴。 02年3月の2審広島高裁判決も無期懲役を支持したため、検察側が上告していた。

 この間、被害者の本村洋さんは「被害者の人権」を守る運動の先頭に立ち、死刑を強く求めていた。世論形成の立役者だ。

 この日の判決は「2審判決が死刑を選択しなかったことに十分な理由があるとは認められない。 死刑回避に足りる特に酌量すべき事情があるかどうか、さらに慎重な審理を尽くせ」と高裁に差し戻し判決。 これで、新たに酌量する事情が認定されない限り、死刑を選択する公算が大きくなったが、最高裁が「差し戻し」では 「自判で死刑」を期待したマスコミもあったようだ。

 女性暴行の目的で母子を殺す非人間の所業。特に酌量すべき事情がないとすれば、死刑を選択するのは当然だろう。 正直言って、当然だと思う。

 が、その反面「死刑」に対する国民感情もそれほど単純ではないだろう。完全な終身刑がなく、 無期懲役と言っても、7,8年で娑婆に帰ってくる。これでは法の正義がないも同じ。だからと言って、 死刑が相応しい刑罰であるかどうかは意見が分かれる。法は報復ではない。事実、ヨーロッパでは死刑廃止が一つの流れになっている。 (僕は、正義の審判が行われ、誤審が存在しないという前提で死刑を支持しているが)民間人が裁判官になると、 この辺りの判断に苦しむ人も出るだろう。その意味でも、注目され続ける裁判だ。

 例の「悪魔の弁護人」と揶揄される安田好弘弁護士が、この裁判の弁護人。相変わらず 「1、2審判決が認定した犯罪事実は遺体の状況や鑑定書などの客観的証拠と矛盾し、殺人などは成立せず、 事実誤認が存在することは明らかで、今回の判決は不当だ」と話したそうだ。あまりに国民感情を無視した言い分だ。

 「人道派弁護士」と言いながら、死刑制度には反対という持論を無理やり押し通すために、 大した理由もなく裁判を欠席、期日の変更。被害者の人権を侵害している言行もある。こうした、ムチャクチャな論法で 「死刑反対!」を言い続けられると、まともな死刑廃止論者に取っては、甚だ迷惑ではないのか。 むしろ、死刑賛成側が「悪魔の弁護士」を露出すことを画策して、死刑廃止の流れを堰き止めようとしているのではないか。

 雑誌「世界」7月号には「弁護士の職責とは何か、悪魔の弁護人・安田好弘氏に聞く」というインタビューが載っている。 聞き手は国策捜査?の刑事被告人となった佐藤 優氏(起訴休職外務事務官・(元主任分析官)。これは読む価値がある。  安田さんのバランスに欠けた論法の背景に、現在の裁判制度の問題点が幾つか、存在することが分かる。 例えば、新しい刑事訴訟法で裁判官、検察官、弁護士の立場が変わり、裁判官が絶対的な力を持つようになったこと。 (戦前、戦中は検察官、裁判官が高い壇上にいて、被告人と弁護士は下の壇にいた。それを連想させる事態)

 検察官が法律をどのようなレベルで適用するか、判断する場面では「時代の世論」が優先される。 が、現代は、そのレベルがかなり低くなり、世論に迎合して、冷静に判断できにくい雰囲気がある。 色々な問題が裁判制度に隠れていることがよく分かる。安田さんは相変わらず、バランスに欠けているが、 佐藤さんが見事に、問題を整理している。読んだら良いと思う。

 午前中「おけら街道」を書き上げてから、夕方、例の「六本木の帝王」を見舞い。途中、携帯で相談事一件。

 注文していたDVDレコーダーが到着したので「風と共に去りぬ」を鑑賞。(駅前の本屋で500円だったので買った)

 何という長さだ。上映時間228分。ヒロインのスカーレットが南北戦争とその戦後を力強く生き抜く姿。 感動する。でも、未明になってしまった。

三百代言に申し上げる 世の中、三思一言

6月19日(月) 「六本木の帝王」の夫婦喧嘩

 サッカーのテレビ観戦で寝不足。午前中は「新ここだけの話」を書くのが精一杯。 それもウツラウツラ。体力低下、甚だしい。

 何時に寝ても、遅くとも5時には起きてしまうのが、寝不足の原因。午前2時に寝て5時に起きたら、寝不足になるのは当たり前だ。

 ブラジル戦は午前4時スタートだから、僕に取っては好都合。前夜9時に寝て、翌日4時にはテレビの前、 と言うのはベストである。情けないが、最近、時間の使い方が、爺さんぽくなってしまった。

 浅草橋のおもちゃ屋、伊藤さんが社台の牧場見学から帰ってきた。「牧さんの狙っている馬はどこも悪くない」とファックスで報告してくれた。 伊藤さんは昨年、一年間で愛馬が24勝もした。「目利き」である。「プロの一口馬主」と言っても良いだろう。 彼は毎年、何頭も買うけれど、僕は経済力の問題で1頭だけ。それも二年に1頭である。間違いは許されない。 ことしは、かつての愛馬・リングレットの子供に応募するつもりだが‥‥伊藤さんの「見利き」では問題なさそう。

 ところが、社台のテレホンサービスの人気馬情報では意外にも人気になっている。倍率が高すぎて、ハズレそうな予感。 それでも、初心貫徹。「リンクレットの05」「レースの05」と書き、封筒を投函する。「レースの05」はかつての愛馬・レースウインクの妹。

 夕方、JRAで世間話をしてから、たいとう診療所へ。7月から高知に戻る院長の今井ドクターとお別れ会をする約束だった。

 ところが、そこへ救急車がやって来た。医師は今井君一人だから‥‥困ったな、大分、遅れるな、と思っていたら、 患者は比較的軽く、20分後、診療室から車椅子で出て来た。見ると、何と「六本木の帝王」ではないか。どうしたんだ!

 コンピューターの魁で、社員36人の会社を経営、六本木の夜の街で遊びほうけていた彼、十数年前に脳卒中に倒れた。 診療所で知り合いになり、お互いに家を訪問するようになった。言語障害でロクに話せないが、裕次郎の歌は歌える。 それも美声。ヘンな脳卒中と思っていたが、数年前、再発した。意識不明が何日も続き「もう駄目だ」と大病院の医師も思ったが 「六本木の帝王」は奇跡的に回復した。言葉は不自由だが、診療所の訓練で、杖で歩けるようになった。

 その彼が?

 どうしたんだろう。救急車で運び込まれるなんて。

 今井君が内緒話で「原因は夫婦喧嘩らしいですよ」。何か行き違いがあったのだろう。言語障害はいらぬ喧嘩を引き起こす。 奥さんが留守の間に、一人、足に装具を付け、家を出て、タクシーに拾い、渋谷まで行ってしまった。 おぼつかない歩行で、雑踏の中、ひっくり返ってしまった。

 救急車がやって来た。血が出ている。彼、言語障害で、ほとんど言葉による意思疎通が出来ないのだが「たいとうしんりょうじょ」 だけは言えたらしい。救急車からの連絡で「帝王」は診療所に運ばれた。脚にキズが出来たが、それほど、重症ではないらしい。

 僕の顔を見て、うれしそうに握手してくれた。が、何時にない厳しい顔?相当激しい夫婦喧嘩らしい。 今井君「この状態では、家に帰すのは難しいですよ」と判断して、一晩、入院してもらうことにした。診療所ではイロイロなことが起きる。

 一時間ぐらい遅れて、プレスセンターのレストランで、今井君と二人だけの送別会。診療所以外では話したことのないのだが、何でも話してくれた。

 お父上は丁度、一年前、心筋梗塞でなくなった。早稲田出のお父上は運悪く、勤め先が倒産したので、ハイヤーの運転手で生計を立てた。 朝日新聞の専属だったころ、事件の現場にいち早く記者を届け、大スクープ写真がモノにして、表彰された。 「歩くナビのようなオヤジでした」‥‥といった家族の話に始まって、約3時間、話す。

 「実は、NHKの朝ドラ『こころ』のモデルになったのには秘密があるんです。牧さんがJR EASTに僕のことを書いたでしょう。 国立高校の出身の医師が浅草で頑張っている、って。それを国立高校OBのNHKの人が読んで、これは行ける!って電話を掛けてきてくれたんです。 だから、牧さんの記事がなかったら、あのドラマは出来なかった」

 本当か。僕だって、少しは役に立つんだ。

 仕事場に寄ってくれたので、もう一杯。柳橋2丁目の日本料理「赤兎」のオヤジは大分、回復したので、 診療所挙げて「特殊車椅子」を作った。調理場で、作業できるように、上下する車椅子。150万円ぐらい掛かったが、 元力士のオヤジはついに調理場に立てる。後は「赤兎」のリフォーム。出来るだけ、彼が自由に動けるようにしたい。 行政の力も必要だ、と今井君。「赤兎」の前を歩いて「次はここで、会いましょう」と約束した。今井さんは7月、高知に発つ。

ありがとう、浅草の「赤ひげ」

6月18日(日) 反戦自衛官・小西三曹は今

 16日の金曜日、毎日新聞前橋支局の滝野君から手紙が来た。「支局内を整理していたら、昭和45年当時の地方部報が出てきました。 そうしたら、35年前の若き牧さんが“受賞”してるではありませんか。おかしくなったので、コーピして送ります」

 昭和45年? 1970年と言えば「70年安保」である。結構、騒然としていた。あの頃、毎日新聞東京本社には、地方記者を対象に した地方部長賞という特ダネ賞があった。(あるいは今でもあるのかもしれない)。頑張って「特ダネ賞」を獲得して、実績を挙げ、本社 に栄転しようとする人も多かった。「特ダネ賞」は地方部報に掲載され、励みになる。

 滝野君が発見したという古びた地方部報を開いてみると、確かに、僕の名前が幾つも載っている。ヘェー、それなりに頑張ったのか。自 分でも、妙な感じがする。「賞」には無関心な方だったので、政治部のデスク時代は「賞狙いで取材するな」と後輩に言っていて、滝野君 が「おかしくなった」と言うのも当然である。

 何故「賞取り」に熱心だったのか。考えてみると、部長賞には1000円〜3000円の賞金がついたので「25歳で2人の子持ち」の 当方、小遣い稼ぎで、頑張ったのかもしれない。当時、一般の会社では初任給が2万円から3万円ぐらいだった。

 「小西事件の一連の報道 新潟支局・牧太郎」と書かれていた。1969年秋、70年安保闘争を前にして、自衛隊は全国的に治安出動 態勢に突入した。ところが、ビックリする事件が起こった。航空自衛隊佐渡レーダー基地所属の小西誠三曹が基地内に「治安出動訓練拒否」 「自衛隊に自由を、民主主義を!」などと書かれたビラ百数十枚を張り出し、自ら69年10月18日の治安出動訓練を全隊員の前で拒絶 した。自衛隊では考えられないことである。これが反戦自衛官・小西三曹事件である。小西君は当時、20歳だった。

 小西三曹は11月1日、自衛隊警務隊に逮捕され、11月22日、自衛隊法第64条違反「政府の活動能率を低下させるサボタージュを 煽動した」として新潟地裁に起訴された。こんなことが、佐渡の自衛隊で進行していることなんて、全く知らず、新潟日報に載って初めて 知った。25歳の新米記者は事件の重大さより「日報に全国ニュースを抜かれた!」という衝撃で、何をして良いのか、唖然、呆然‥‥た だドギマギしたことを覚えている。

 とにかく、本人に会わなければ‥‥ということになり、かなり経ってから、彼を支援した新潟大学の学生の協力で小西君に会った。古街 の喫茶店だった。25歳の僕より、20歳の小西君の方が理路整然としていた。自衛隊は憲法違反だ。これを裁判所が認めるために事件を 起こした、というようなことを力説した。

 地方部報が「一連の報道」と言うのは、このインタビューを中心にした「追いかけ記事」のことである。だから、恥ずかしい範疇の特ダ ネだ。

 小西裁判は70年7月から始まり、75年3月、新潟地裁は「検察官の証明不十分」という理由で小西君に無罪を宣告した。憲法判断を 回避したのだ。控訴審・東京高裁では「審理不十分」として差し戻し判決が下されたが、差し戻し審の新潟地裁では81年、再び小西誠三 曹に無罪判決が言い渡された。この判決に検察は控訴せず、判決は確定した。長い裁判だった。もし、今、同じような事件が起こったら、 司法はどう判断するのだろうか。当時、反戦は大きなうねりだったが‥‥日本全体が、好戦的である。

 小西君はその後、どうしたのだろうか。聞くところによると、東京の西武新宿線野方駅近くの古びた自社ビルで「社会批判社」という小 さな出版社を開いているらしい。「マルクス主義軍事論」という本を書き、執筆活動を開始。最近では「防衛庁の組織ぐるみの情報公開請 求者リストづくりを弾劾し、有事法制・個人情報保護法案を廃案に追いこもう」と叫び、反基地、反戦自衛官運動を続けているらしい。 でも、そんなニュースは全くメディアには載らない。時代の流れ。滝野君が送ってくれた、散逸した「小さな記録」で時代を振り返ることが出来た。ありがとう。良い思い出になった。

 週末は日本列島、サッカー一色。青のユニホーム一色。ジーコ・ジャパンは引き分け。スピードももちろんだが、スタミナ不足?  よほどのことがないかぎり、決勝進出は絶望的? それでも、23日も、ブラジル戦を見てしまうだろう。

昔、ハンセン! 今、ニッポン!

6月15日(木) 下町の赤ひげ、高知に帰る

 朝、たいとう診療所。衝撃的なニュースがあった。診療所長で「在宅総合ケアセンター元浅草」の センター長も兼務する今井稔也医師が高知に帰るという。月に1度のリハビリなので、まったく知らなかった。

 新しい勤務先は高知市の近森リハビリテーション病院院長。栄転である。

 この病院は日本でもっとも進んだリハビリ病院で、この道の先駆者・石川誠医師が作った施設だ。 今井さんも「石川組」と呼ばれるグループの一員で「近森」の訪問医療で大活躍した。 訪問医療と言っても、今井さんは片道80キロも離れた無医村まで往診する「赤ひげ医師」。 「石川組」(医療法人財団・新誠会)が東京で「本当のリハビリ」を実践しようと決意した約9年前 “切り込み隊”として、たいとう診療所を開設、初代の所長になった。何故、台東区を選んだかというと、 23区で一番人口が少なく、高齢者率が23・5%と最も高い地域だからだ。大都会の過疎地帯、事実上、 無医村的状態になっている地域がある。そこで診療所を作って「本当のリハビリ」を実践する。大きい夢だった。

 31歳の今井さんは遮二無二に働いた。人柄が温厚で、朝早く、自ら診療所の前を掃除してから、午前中は外来。 午後は訪問医療。台東区内をオートバイで駆け巡る。

 童顔で31歳の下町院長は評判になった。地域の柱になった。6年経って、たいとう診療所は 8階建ての新しい施設に生まれ変わった。彼はNHKの朝ドラのモデルにもなった。

 僕は、9年前に彼が開業した頃からの患者である。直ぐ、今井さんのファンになった。 普通の病院なら3分で終る問診が10分でも20分でも、付き合ってくれる。何でも相談できるお医者さんだ。 今井さんに会うと元気になる、とお年寄り。童顔が良い。

 それに、今井さんには、素晴らしい相棒・伊藤療法士がいた。良い男だ。僕は特別、気が合った。 (伊藤さんは早稲田の後輩。元革マルの闘士。実に素晴らしい男だ)

 そのうちに「石川組」が、日本一のリハビリ施設を東京に作る、と決意して、新宿副都心に「初台リハビリテーション病院」 (医療法人社団・輝生会)を作った。石川先生が院長で、伊藤さんは「初台」のリハビリ部長に起用された。今井さんは相棒をなくしたが、 彼の人柄で、患者さんは増え続けた。(伊藤さんは「初台」でミスター長嶋さんのリハビリを担当して、その奇跡的な回復が話題になった)

 赤ひげ・今井は、お祭りにると、神輿を担ぎ、下町ライフを楽しんでいた。土曜日も診療所を開いているので、 殆ど、休みもなかったが、地域に溶け込んだ。いつの間にか、浅草生まれ、になっていた。

 それが、突然の「石川組」の人事異動だ、という。石川先生が作った、しかも、今井さんには古巣の「近森リハビリテーション病院」。 「どうしても、今井さんが必要だ」と言われ、断ることが出来なかったのか。

 リハビリを終えて、受付にいたら、今井さんに会った。異動を聞き、呆然としていたので、こちらが、ドギマギした。 何か「死ぬまで一緒にいられるような仲間」と思っていたから。

 思わず「寂しい!」と言うと、今井さん「僕も寂しい」という。下町・浅草と分かれるのが寂しいのだ。 誰も知り合いもない浅草で、診療所を立ち上げ、8階建ての大リハビリ・センターにまで成長させた。友達も増えたろう。 浅草は彼の故郷、青春なのだろう。受付の脇で20分、二人で、話しこんでしまった。

 高知に行けば、また困難な地域医療の問題が山積している。全館が回復期リハビリテーション病棟の「近森」は、 病床数180床。大きな病院だから、周囲は「栄転」と喜んでくれるかも知れないが‥‥今井さんの本心は 「東京・下町リハビリのモデルケースを完成させたい」という願いがあったから、不本意かも知れない。僕には痛いほど、 彼の「寂しい」が良く分かるような気がする。

 「高知に行く前に一杯、やろう」と約束する。

 診療所の所長さんは人気の女性医師。(僕は見てもらったことはないけど、美人である)  センター長の後任に「初台」から伊藤さんが戻って来る。また、伊藤さんと「ひまわり」で山谷ブルースが歌える。これは万々歳!

 昼、相続税の納税。義理の母が亡くなって15年。柳橋の土地を守るため、相続税を年賦で納税している。あと5年。歯を食い縛る。

 午後「青い空 白い雲」執筆。本格的な梅雨。夜、雨が強くなった。

一陽来復

6月14日(水) 山口組は卑怯だ

 朝、国際医療福祉大三田病院で大山ドクターの問診。血圧134−82。順調。僕から、がんセンターの「がん検診」の結果を報告する。 気になる肺の影について、大山ドクターは「3年前のCTでもあった。結核の跡ではないか」とのこと。その頃のCTを預かり、再検査の 折に、がんセンターに持っていくことにした。「結核の跡」ならうれしいのだが。

 13日から三田病院に検査入院していた「調布の親友」と落ち合い、ケーキとお茶。腰痛で苦しんでいるが、彼、今回「神経ブロック」 をした。しばらく様子を見るらしい。経過が良ければいいのだが、腰痛はしつこい。

 日本橋、表参道あたりを歩いて街ダネ取材。ついでに「MIYAKE ISSEI」で、ちょっと贅沢なシャツを買う。これで、GT三 連勝の儲けは、すべてなくなった。また、夏競馬で頑張るか。今週から福島、函館競馬スタート。

 JRAの高橋理事長が昼、成田を立って、パリ・ロンドンに向かった。国際会議とローヤル・アスコットのオープニング。「府中のニコ ニコ野郎」も随行する。「お土産、頼む!」と携帯で強要。語学が得意な奴は、人生、2倍楽しいのだろう。

 夜、仕事場近くの「亀清楼」で、尊敬する先輩と一緒に「尊敬する後輩の昇進祝い」をする。彼が、混迷する新聞界の救世主になる、と 信ずる当方。あまり負担にならないように激励する。いつものように談論風発。「ひまわり」に持ち越して、零時ごろまで。

 真剣な話は‥‥ことし1月8日午前10時40分ごろ、暴力団のルポで知られるノンフィクションライター溝口敦さんの長男(33)が 指定暴力団山口組の元組員に右太ももを後ろから刃物で刺された。6月1日に犯人が逮捕されたが、ご本人も、以前、男に腹を刺されたこ ともある。

 溝口さんは出版社勤務を経てフリーライター。暴力団に関する著作が多く、食肉業界の内幕を描いた「食肉の帝王」で日本ジャーナリス ト会議(JCJ)賞を受賞した人物である。

 前後の事情から、これは明らか山口組による言論潰し! 家族をまき添いにするなんて卑怯だぞ。何故、新聞は、この実態を書かないの か?!

 ヤクザが怖くて、新聞記者が勤まるか。暴力団告発キャンペーンを始める時期ではないか‥‥といった、かなり真剣な話。

 愉快な世間話は‥‥「WiLL」の花田紀凱編集長が結婚するらしい。週刊文春を週刊誌売上トップへ育て上げた名編集長は、62歳? にして、元気ハツラツ‥‥という話。

馬と武士(と記者)はみかけによらず

6月13日(火) 第二のリクルート事件?

 サッカー報道で新聞社は大忙し。普段なら月曜日の夕方には出来るはずのコラム「大きな声では言えないが」のゲラが13日の朝になっ てしまった。少ない陣容で、我が同僚は頑張っている。

 その「大きな声では言えないが“高利で富豪”を笑う」。夕刊配達直後からメールに「同感だ!」という反響が相次いだ。

 庶民がゼロ金利で銀行に預ける資金を銀行が消費者金融に貸す。この資金を消費者金融が「力なき庶民」に15%〜29.2%の高利で 貸す。そのペテンの結果、消費者金融トップの二人が米フォーブス誌の“日本の富豪トップ10”に入った。こんな理不尽なこと、許せな い、というのが、このコラムの趣旨である。

 「マスメディアは消費者金融の広告を工夫すべきだ」と書いた。ちょっと緊張して書いた。新聞も、テレビほどではないが、消費者金融 の広告で稼いでいる。だから自己批判しているようなコラムになるが、あえて書かなければならないと思った。(個人的には「消費者金融 の広告は止めるべきだ」と思っているし、武富士から編集協力費を貰っていた朝日新聞などは新聞経営のレッドカードじゃないか、とも思 う。しかし、表向き「広告の自由」もあるし、ギリギリの表現で「工夫すべきだ」と主張した)

 読者から「同感!」というご意見をもらえると助かる。正論を恐れるのか、いつも意識的に当方に「嫌がらせ」をする向きがある。 「アメリカでは金利は自由だ」なんて、もっともらしい暴論が飛び出すことも十分、予想されるからだ。

 「同感!」という意見が早々とやって来った「理由」が夕方になって分かった(気がした)。日銀の福井俊彦総裁が午前中の参院財政 金融委員会で、インサイダー取引事件で逮捕された村上世彰容疑者の「村上ファンド」に、富士通総研理事長だった1999年秋に、有志 数人と1人1000万円を拠出した、と認めていたのである。総裁になっても、解約することはなく(村上捜査が囁かれた)数ヶ月前に解 約した。

 村上ファンドの運営利率は20%と言われている。ゼロ金利を続ける「銀行の銀行」の日銀トップが村上ファンドで利ザヤを稼いでいる。 そんなことが許せるか。そんな怒りが僕のコラムの「高利で富豪」と重なり合って「同感!」のメールが増えたのだろう。

 夜、本社9階の「アラスカ」で、毎日新聞社会部出身の取締役3人が社を去るので「ご苦労さんパーティ」。北村社長が挨拶した。その 中で、北村さん、福井総裁の件に触れ「リクルート事件のようだ」と話した。

 そう言えば、未公開株を有力者にばら撒いて利益を約束した、あの事件と似ている。リクルート事件は1988年6月18日、朝日新聞 が「川崎市助役へ一億円利益供与疑惑」をスクープしてから始まった。その後、関連会社リクルート・コスモス社未公開株が、中曽根康弘、 竹下登、宮沢喜一など大物政治家に、店頭公開前に譲渡されていたことが相次いで発覚した。儲かるのが分かっている未公開株。東京地検 特捜部は、翌年、政界・文部省・労働省・NTTの4ルートで江副浩正リクルート社元会長ら贈賄側と藤波孝生元官房長官ら収賄側計12 人を起訴した。大事件だった。内閣が潰れた。

 何か、村上事件にも、同じようなものが匂う。日銀総裁だけでなく、あの人にも、この政治家にも「拠出という上手い話」を持ちかけた のではないのか。

 これは第二のリクルート事件かも知れない。それにしても、北村社長は「正義の新聞社」を目指す。だから毎日新聞では「正論」が書け る。給料は安いけど。

カネはあの世の土産にゃならぬ

6月12日(月) 驚きの早乙女太一を見た!

 東京・柳橋の仕事場から江戸通りを北に約2.5キロ。浅草六区は時々、僕の散歩の終着点になる。

 浅草六区は昭和中期まで日本一の興行街だった。ザッと挙げただけで、この街が生んだ芸人は‥‥エノケン(榎本健一)、ロッパ(古川 緑波)、シミキン(清水金一)、堺駿二、木戸新太郎、大宮デン助、柳家金語桜、八波むと志、伴淳三郎、山茶花究、森川信、川田晴久、 徳川夢声、松田春翠‥‥数え切れない。

 江戸時代から芝居小屋・見世物小屋が並んだ、この界隈は、明治になって浅草寺全体が公園に指定されたのと同時に、7区に分割されて 整備された。その後、7区(「奥山」と呼ばれたところ)は削除され、地図の上の“6番目の地区”に併合され、芝居小屋は一ヶ所に集中 した。これが浅草六区である。

 明治には、日本初の活動写真が電気館で始まった。写真が動く。日本人は驚いた。次々に映画館が立ち並び、徳川夢声(「無声映画」 と「夢精」を掛けた芸名)ら活動弁士が大スターになった。

 大正時代に入ると浅草オペラ全盛。田谷力三や藤原義江が新しいスターになる。昭和は榎本健一(エノケン)や古川緑波(ロッパ)など の喜劇ブーム。木馬館では安来節に長蛇の列が出来た。映画も昭和に入ると、無声映画からトーキーに変わり、昭和13年帝国館で上映さ れた「愛染かつら」は空前の大ヒットになった。

 終戦。昭和23年頃(団塊の世代が生まれた頃)にはストリップが隆盛期を迎える。浅草座、セントラル座、常磐座、ロック座、大都座 などがストリップを開業したり、芝居小屋から転業する。小説家、永井荷風は常磐座のストリッパー、桜むつ子のもとに通い詰めた話は有 名である。佐山俊二、由利徹、南利明、長門勇、南伸介、八波むと志、渥美清、萩原欽一、コント55号、ビートたけし‥‥その後、 テレビのスターになる人物は、ロック座、フランス座のストリップの合間の寸劇で世に出たものだ。僕が始めてストリップを見たのは、 多分、坊主頭の高校2年生の時、フランス座だったように記憶している。文芸部の小川という先輩が無理やり、後輩の僕を連れて行った。 感激した。一枚一枚、着物を脱いでいく。感激した。この頃、ストリップは、未成年に取って衝撃的な芸術だった。

 11日夜、穴馬券の競馬評論家・阿部幸太郎から「お願いがあります。明日、大勝館に来てくれませんか」という突然の携帯陳情を受け た。阿部幸は、大衆演劇を支える使命に燃えている変わった男だ。競馬場で会っても競馬の話はしない。いうも、大衆演劇の話になる。

 サッカー・ワールドカップの日本初戦があるので、12日の大勝館はガラ空きになる。それが我慢できないので、一人でも、多くのお客 さんに見てもらいたい、というのが、彼の願いなのだ。阿部幸は「大衆演劇のサポーター」なのだ。

 俺も男だ。それほど親しいという訳ではないが、頭を下げて頼まれて、断る訳には行かない。こちとら、江戸っ子だい。

 仕事を終えてから、浅草六区の大勝館に出かけた。昭和12年に建築された大勝館は立派な骨格だが、流石に古びている。昭和40年代 から一時閉鎖されていたが、平成13年に復活して、舞踊ショー、芝居、歌謡ショーの3部構成の大衆演劇の舞台になっている。阿部幸は、 すでに、やって来ていて、当方を見つけると、手を合わせる。入場券1700円の負担に、手を合わせられると、恐縮である。止めてくれ!

 阿部幸が応援するのは‥‥橘大五郎と早乙女太一。浅草出身の北野武監督の映画「座頭市」におせい役で出演した18歳の橘大五郎 (橘劇団若座長)と14歳の早乙女太一(劇団朱雀)の二人である。

 今回は太一の父・葵陽之介率いる劇団「朱雀」(南の方角を守る神様。陽之介座長の吉方位が南なので命名。“すじゃく”と読む)の 一ヶ月公演。確かにガラガラである。お客さんは50人弱。しかも、である。失礼ながら、始まった股旅物のお芝居はまるで素人のよう。 これではカネが取れない、と思ったが‥‥第二部の舞踊ショーが始まって驚いた。これは、超一流のものだった。従来のいわゆる「和もの」 だけでなく、フラメンコやレビューの要素が盛り込まれ、ともかく、美しいのだ。全員が高レベルだ。

 太一はその中でも抜群だった。幻想的である。せりふのない舞踊劇とでも言えば良いのか、舞踊を超えた劇的な説得力がある。気がつく と、舞踊ショーがお目当ての人がいるらしく、観客は100人を越えていた。

 浅草にスター誕生ではないか。早乙女太一。本名・西村 太一、1991年9月24日生まれの中学生。福岡県出身の少年は、一度、 舞台に上がると妖艶な美女になる。

 すでに2004年、 第13回東京スポーツ大賞のエンターテイメント部門 「日本芸能大賞」を受賞しているそうだが、これは隠れた大 スターかも知れない。

 トイレに行く廊下に煎餅布団がうず高く重ねてある。阿部幸に聞くと、座員は全員、楽屋と、この廊下に布団を引き、眠るのだそうだ。 貧しいのだ。家を持たない人たちだ。「稼ぎを全て、踊りの衣装に使ってしまう」という。だから、立派な衣装ばかりだ。今は、辛抱だ。 感激した。

 舞台が終って、今度はサッカー。何か、初めから押され気味で、一点リードしていたが「これは負けるぞ」と言い残して早く眠る。午前 4時に目覚めると、やっぱり負けていた。

辛抱する木にカネがなる

6月11日(日) 梅雨入り

 9日に東京は梅雨入り。野暮用の合間に銀座・松屋で、お中元の手配。シトシトと雨が降り続く。一年中で一番嫌な季節。コピー機の インクがなくなり、ほぼ同時に、パソコンの方もインクがなくなっていた。ヘンだよな、この季節。コピーが出来ないと、仕事にならない。 最近、親しくなった若者を呼んで、協力を依頼。何しろ、半身麻痺で片手しか動かないから、インクを取り替えることも出来ない。 <ああ、情けない。それなりのリハビリはやってはいるが、何時になったら自立できるのか?> ホンのちょっと落ち込む。

 土・日は知り合いの、大事な老婦人がぎっくり腰で難儀。その辛さが分かるから‥‥どこかに良い医者はないか、と情報収集に動いたが、 なかなか上手くいかない‥‥中年新聞記者は役に立たない。カネもなければ、力もない。その上、色男でもない。それに梅雨。ああ、嫌に なっちゃう。原稿にも力が入らず、寝たり起きたり、夜は一人、発泡酒。

 11日夜9時、テレ朝の日曜洋画劇場で「トゥルー・クライム」を見る。1999年製作の記者モノ。記者モノ映画は大体、見るように しているが、はたして観たような、観なかったような‥‥細かいストーリーが記憶にない。でも、何か、カッコいい記者が登場したような 印象もある。

 お話は‥‥北カリフォルニアのオークランド・トリビューン紙の中年記者エヴェレットは女癖の悪さでは人後に落ちない。デスクの妻に まで手を出してしまうほど。無頼である。

 その夜も、パブに同僚の女性記者を誘い、手を出そうとするのだが「貴方には奥さんいるわ」と相手にされない。パブのオヤジが「振ら れたな」と苦笑い。仕方なく、彼はデスクの妻とベットインする。<相手がいれば良いじゃないか。俺なんて‥‥>と、二本目の発泡酒。

 その頃、帰宅途中の女性記者は酒気帯び運転で交通事故を起こし、死んでしまう。彼女は刑務所で、明日0時1分に死刑執行が決まって いる黒人死刑囚を取材する予定だった。

 デスクは妻に電話して「エヴェレットと変われ!」と言う。デスクは妻の不倫を知っていたのだ。<このデスク野郎、嫌な奴だ。記者の 癖に官僚的で、浮気されても当然だ。それにしても、日本でも、アメリカでも、デスク稼業は敵役だ。俺も嫌味なデスクだった時もあった っけ>で、発泡酒3本目。

 デスクは、不慮の事故で急死した女性記者の代役を命じる。死刑囚の事件を調査し直したエヴェレットは、現場の物的証拠と証人の証言 に重大な誤りがあるに気づく。ところが、取材に夢中になるあまり、仕事の合間に動物園へ連れて行った幼い愛娘に怪我をさせてしまう。 妻バーバラは愛想を尽かす。<無頼記者は大ピンチ。でも、奥さん、新聞記者はそうよ稼業よ。君は家族ではない!君は遺族なんだ!>と ちょっと悪酔い。

 夕方、刑務所で死刑囚と面会したエヴェレットは彼の無罪を確信する。彼を助けるぞ! しかし、死刑執行まであと8時間。彼は、現場 に黒人少年がいたことを発見して、少年の居所を突き止めるが、なんと彼はすでに死んでいた‥‥といったサスペンス映画。

 面白かった。女狂いの記者さんが、実は「事実」だけを追う敏腕記者なのだ。黒人差別に抗議する記者でもある。記者クラブなんかには 行かない無頼記者。カッコ良いじゃないか。

 ちょっと良い気持ちになった頃、携帯が鳴り響く。穴馬券の競馬評論家・阿部幸太郎だった。「お願いがあります。明日(12日)大勝 館に来てくれませんか」という突然の陳情。昭和40年代から一時閉鎖されていた浅草大勝館は平成13年に復活。舞台ショー、芝居、 歌謡ショーの3部構成の大衆演劇の舞台になっている。阿部幸ちゃんは、熱心なファン。応援する役者の晴れの舞台が、サッカーと同じ日 になって、入りが悪いらしい。「一人でも、二人でも、お客さんが来てもらえば‥‥」と阿部幸。よし、分かった。君も気の良い中年記者 なんだから。

無頼の強さ、無頼の悲しみ、無頼の心意気

6月8日(木) 三百字小説

 小さな雑誌「遊歩人」(文源庫刊 200円)が送られてきた。実は楽しみにしていた。 理由は2つ。一つは、伊藤謙介さん(元京セラ社長)の巻頭エッセイ「心に吹く風」のファンだからだ。 今回は、伊藤さんが、斎藤真一の「鼓女(ごぜ)」の画に誘われて、上越を旅した話。三味線を弾き、歌をうたい、 銭を乞う盲目の女の足跡を行く伊藤さん。

 もう一つの理由は「三百字小説」である。この雑誌は、三百字以内の読みきり小説を募集している。 これが面白いのだ。300字で十分、楽しめる小説が存在する。

 掲載作品には図書カード1000円進呈。もっと面白いのは、応募作品に審査員?の川又千秋さん(小樽出身の作家)が 手を入れることであるのだ。「大幅な書き換えを許可願える作品には『改作可』と付記して下さい」と断り書きがある。

 どの程度の改作が行われているのか、興味もあるが、どの作品も、いつも洒落た逸品になっている。勉強になる。

 8日は一日がかりで「青い空 白い雲」を書く。小泉さんより小渕恵三の方が立派、というようなことを書く。

 午後6時、やっと書き上げ、浅草まで歩いて、小さなレストランで生ビール。どうして、生ビールは美味しいんだろう。 夜空は晴れているが、明日9日に、東京は梅雨入りするらしい。

五風十雨

6月7日(水) 久さんが書いた「自分の死亡記事」

 恩人は数限りなく存在するが、久さん(高橋久勝・元毎日新聞新潟支局長)は“命の恩人”である。

 1970年12月、新米記者の僕は豪雪で孤立した新潟・長野県境の秋山郷・大赤沢を決死の覚悟で突撃取材して 新潟支局に戻ると、鬼の山崎デスク(この人もイロイロと厄介を掛けた恩人)に「写真の出来が悪い。撮り直してこい!」と 命令された。積雪が5,6メートルの秘境。孤立する部落に入るのには並大抵のことではない。 やっとのことで辿り着いたのに。もう一度、行け!

 理不尽な。あまりに理不尽だ。当時の新聞社って、どうしようもない封建職場?だった。

 その頃、胆石で入院していた支局長・久さんに直訴した。「僕、新聞記者やめます」と言うようなことを言ったような記憶がある。

 久さんは「お前が記者を辞めるのは勝手だが、辞めるならデスクに言われたことをやってから辞めろ!

 しかし、だ。太郎、もう一度、秋山郷に入ったら死ぬか?」と聞く。「絶対に死にます」と自信を持って答えた。 事実、新潟の山間部では、この年も、雪崩で何人か死んでいた。

 「そうか、幾ら出来の悪い新米でも、お前が死ぬと、俺の立場が悪くなるな?」と久さんは笑う。 「絶対に悪くなります。栄転して社会部長になるなんて、絶対に無理ですよ」と僕。

 「そうか、分かった。俺の社会部長実現のためにも、デスクに命令撤回を頼んでやらないとまずいよな」と笑ってくれた。 久さんは“命の恩人”。手を合わせたものだ。(因みに、鬼のデスクが「駄目だ」と言った記事は東京本社正月紙面コンクールで 堂々第一位。問題の写真も第2位だった。その時、鬼デスクさんは何と言ったと思う。「撮り直しすれば1位になったのに」。 その鬼デスク山崎さんは、後に毎日新聞社総務部長に出世した。仕事のやりすぎもあったのか、病に倒れ、 お亡くなりになってしまった。一方、命を助けてくれた?久さんは、まあ運がなかったのか「夢の社会部長」にはなれなかったが、 毎日新聞の要職を次々に歴任、退社後は東京国際空港公団千葉事務所長になった)

 今日、その久さんから「句集以前 空往きて 高橋久勝」という本が届いた。俳句を本格的に始めた、 と聞いていたが「句集以前」というネーミングが、いかにも久さんらしい。「あとがき」がまた面白い。

 「高橋久勝氏(元毎日新聞記者・俳人) 2026年10月20日死去。百二歳であった。 祖母ムネは曾孫毅(久勝長男)の誕生日の4月23日、百歳の天寿を全うした。それにならい本人は孫拓(久勝長女久美の長男)の 誕生日を命日と決めていた。その通りになった奇跡に満足して逝ったに違いない。葬儀・告別式は、故人の意志により、 近親者のみによって行われた。柩は、50年前の毎日新聞旧社旗で覆われ、往年の事件記者を送るのに相応しいものであった」

 久さんの「自ら書いた死亡記事」はまだまだ続く。「下山事件」で世紀のスクープをした久さん。 社旗に覆われて逝くのか。

 この「句集以前 空往きて」を読んで、初めて、久さんが朝鮮京城府生まれ、釜山府育ち。国学院大学予科を修了して、 第13期海軍予備学生として土浦海軍航空隊に入隊。僕が生まれた昭和19年ごろは、海軍中尉だったことを知った。 20歳の中尉。ひたすら、敵艦に突入し、爆弾を正確に的中させる任務だった。

 戦後、新聞社に入り「一度は捨てた命 何でも出来る」と思ったのだろう。夜も寝ないでスター記者の道を突進する。 でも、吹っ切れないものがあった。戦友への思い。久さんは、その思いを「俳句らしきもの」として残して置いた。

 勧める人もあり「句集」を作ろう、と思ったが、久さん、おこがましいから「句集以前」にしたらしい。

 一気に読んだ。僕には俳句を評論する能力はないが、若かりし頃の海軍の「記録句」は猛烈に胸を打つ。 学友2人の墓参記‥‥そして「散華せし戦友の待ちゐる黄泉路かな」の辞世?

 胸がつまった。

 その昔、久さんに「太郎、死ぬか?」と聞いたときのことを思い出した。久さんの「学即在戦場」の 緊張した学生時代を思うと「怖くて、もう行けない」なんて嘆願した己が恥ずかしい。

 7日は午後からTBSラジオで収録。その後、JRA六本木事務所で世間話。 夜は大井の東京ダービーに挑戦。惨敗。惨敗の方が僕らしい。

足を万里の流れに濯ぐ

6月6日(火) 社台(などクラブ法人)と税金

 社台から2006年度一歳馬会員募集カタログが届いた。ワクワクする。

 かつて愛馬だった(競走馬として「40分の1の権利」を持っていた)デリキット、 リングレットの2頭の繁殖牝馬が生んだ子供。彼らはどこに行くのか。もし、会員枠に入れば、 どうしても手に入れたいと思っていたが‥‥これまで、そんなチャンスはなかった。 ところが、今回、リングレットの子供が「会員枠」に入った。万歳!

 お父さんはファルブラヴ。2月12日生まれ。若干、早生まれで、案内には「精神的に子供」のように書かれている。 そんなこと、どうでも良いんだ。リングレットの子供であれば、どうでも良いんだ。別に活躍してくれなくても良いんだから。

 ただ、社台の募集は「これまでの出資実績」を考慮して、お金を使った人を優先的に扱うので (それは当然、という気もするし、一部、抽選もあるが)あまり高額な馬を買ったこともない当方はどうしても不利。 いつもハズレている。今回も、お目当ての「リンクレットの05」は手に入るか、当分、ドキドキする。

 今回の会員募集では「会計変更が求めれた場合に予想されている主な変更点」という文書が入っていた。 実は、去年暮れ辺りから、国税庁がクラブ法人19社の納税形式について是正を求め、ちょっと、ややこしいことになっている。 これはニュースと思ってはいるが、中途半端で報道すると滅茶苦茶なことになりかねない。差し控えていた。 (スポニチ06年3月29日付「おけら街道 トキの声630回・社台寡占に疑問噴出」で、 さりげなく「社台はルール通りに競争しているのか(例えば税、情報開示)」と書いておいたので、 限られた関係者は牧は“税務指導騒ぎ”を嗅ぎ付けているな、と気づいたかもしれないが)

 この税務指導はかなり重要なことである。弱小クラブ法人の存続はもちろん、会員の損得に関係するから、 良く「説明文」を読んだ方が良いと思う。ただし、僕の知る限りでは、まだハッキリとした結論が固まった訳でもないようで、 会員が慌ててアクションを起こすような段階ではないように思う。

 会員優先の交渉は当然だが、クラブ法人が有利な結論を引き出すために、大物政治家のチカラを借りるのは、 場合によっては世間の誤解を生むので、控えられた方が良い、と思ってはいるが。

 隅田川沿いのネコの額のような裏庭に、アジサイが咲いた。まだ小さいが来週辺りは見ごろになるだろう。 散歩の途中、蔵前の花屋に小粒のモミジがあるのを発見した。3150円とお値打ち。配達してもらう。 6月にアジサイがあって、10月に紅葉がないのは、おかしいような気がして。

 昼過ぎ、出社。早くも夕刊のコラム「大きな声では言えないが・結婚しないのは」に対する厳しいメールが来た。 夕刊が配達された直後である。待ってました、という感じ。「自分の劣等感を新聞に書くな!」というお叱り。 どう言う意味の抗議か、良く理解できないが、小泉さんの信奉者の方なのか、 小泉さんを批判する個所が気に入らない様子である。

 それ以外は「面白い」という好意的な反応が多い。愉快な小噺のような形を取りながら「同一労働同一賃金」 という民主主義の柱を主張したつもり。稼ぎが悪けりゃ、そう簡単に結婚できない。改めて書くつもりだが、 韓国では、若者が結婚出来ず、子供が生まれない事態に対処するため「非正規労働者保護法」が成立するらしい。 同じように働き、一方は裕福、一方は貧困では、まともな社会ではない。僕は確信している。 貧乏人の劣等感で小泉批判をしているわけではない。まあ、コラムを書いて、メシを食べる以上、この位の批判は仕方ないけど。

 たまちゃんに「このところ、勝ち逃げですね」と嫌味を言われながら退社して、御徒町まで散歩。 その後「ひまわり」に借金を払いに行くと雨。「雷が来る」と女将が脅かすので退散。

馬は馬連れ

6月5日(月) 「金儲け」は軽蔑の対象

 5月29日発売のサンデー毎日(6月11日号)が「追い詰められた村上ファンド」を書き、 31日に村上世彰さんが帰国。翌6月1日に週刊文春、夕刊フジが“捜査開始”を書き、 村上インサイダー疑惑追及はついに現実のものになった。

 今日発売のサンデー毎日最新号(6月18日号)を朝一番で買う。「(捜査の)決め手は与謝野金融相」 「保釈ホリエモンと(村上が)極秘会談」など核心に触れる内幕を書いている。金融相が竹中さんだったら、 捜査が進んだか微妙だったろう。

 ここに至っても、村上さんは逮捕か、在宅起訴か、まだ微妙だった。村上さん側は素直にシンガポールから帰国して、 任意の事情聴取に応じれば、あっさり容疑を認めれば起訴はあっても、逮捕することはないと思っていたのではないか。 盟友・竹中さんの力を過信していた。「市場原理主義の星・村上」が逮捕されれば小泉・竹中路線にキズがつく。

 ホリエモン摘発の頃、この日記で書いた竹中グループの「ルール破りMHK組」。H(ホリエモン)M(村上)がお縄になればKも危ない。 東大卒、元日銀のKが、今でも雑誌に登場して「本物のおカネ持ちになるにはサラリーマンではなく、 オーナーになることだ」なんて聞いたようなことをほざいている。全ての価値はカネに通ず、という人。 竹中市場原理主義の先端にいる3人が全滅になったら、小泉さんだって困るだろう。安倍ちゃん有利の総裁選に影響するだろう。 「竹中さんだって危ない」という永田町の雀もいる。だから、村上逮捕はないだろう、と思っていた向きも多かったようだ。

 午前11時からの記者会見。饒舌。謝ったようで勝手な言い訳。でも、検察当局に最後のお願いメッセージを送った。 「儲けるつもりではなかったが(インサイダー情報を)聞いてしまった、というロジックは認めざるを得ない。 だから起訴されるだろう。争わない」と話す。在宅起訴でどうか、という意味である。誰が知恵を付けたのか。 政治家の場合は議員を辞めれば逮捕しないことも多い、と言ったのだろう。「ファンド業界から引退」という “お願いの切り札”まで出して検察にご慈悲を乞うた。逮捕されても、ファンドの仲間には手を出さないでくれ! という発信。そこまで、やると株価がおかしくなる、といい続けているのだろう。

 しかし、検察は甘くない。小泉政権末期と見ている検察は強気だ。饒舌の村上さん。壁の中であらぬことを言い出したら‥‥ 任意の事情聴取と逮捕・取調べでは、検事の態度が全く違う。

 最後に村上さん「儲けることが悪いのか?」と開き直った。それを言ったらお終いだ。餓鬼だって、そんことは言わない。 「儲けること」を否定する人はいない。が「儲けを自慢する人」は軽蔑の対象である。金儲けは、その程度のこと。 小学校の頃から、会社四季報を読んで金儲けを教えられた村上さんはそれに気づかないのか。可愛そうだ。

 弱いボクサーをタイあたりで物色して、ノックアウトの××兄弟で金儲けする人だって「金儲けは悪いんですか。 儲けすぎたからいけないの?」なんて言わない。八百長が許されたとしても「金儲け」を誇りに思ってはいけない。 村上さん、一度は公務員だった人のセリフではないよ。

 儲ける人がいれば、必ず、泣く人が出る。資本主義はそういうものと知っているから、人々は節度を守る。 ダイエーの中西さんは「資本主義は行き着くところ戦争になる」と嘆いたが、それを避けるために、人々は節度を守る。 「儲けることは悪いんですか?」なんて言葉が、一度は、出来の悪いマスコミから「時代の寵児」と持て囃された村上さんから 聞くなって情けなくなる。「金儲け」はどちらかと言うと「軽蔑」される部類の話だ。

 午後、浅草のWINSで当たり馬券の換金。ギャンブルは興奮を買い、時に儲ける。だから軽蔑される行為ではあるが、 普段は負け続けて、国庫納付金を払い続けているから、尊敬されている。

 WINSで競馬専門紙「1馬」のスター記者だった清水成駿さんにバッタリ。最近はネットを立ち上げて大活躍。 「昨日は大阪に行っていた」と元気そう。大阪で買った馬券を翌日、浅草で払い戻すなんてカッコ良いじゃん。 しかも、それが半端でない金額?

 夜「おけら街道」を書いていると、たまちゃんから携帯。「どこにいるんですか」と怒られた。 競馬記者会の懇親会をすっかり忘れていた。申し訳ない。

悪銭 身につかず

6月4日(日) 気になる深夜の逮捕

 秋田県藤里町立藤里小1年、米山豪憲君が殺害され、草むらに遺棄された事件。 朝から秋田県警は、すでに週刊新潮が「犯人」と名指しした「畠山鈴香」を朝から事情聴取した。 あの彩香ちゃんの母親である。

 必ずしも、事情聴取は順調に行かなかったのか、16時間後、今から、 ちょっと前(5日午前1時ごろ)になって逮捕となった。「死体遺棄」について認めた、 ということだが、何で、こんな時間になるのか。本人は否定しているが、 物的証拠があるので逮捕という方がよっぽどすっきりする。

 動機が分からないのも気になる。殺人を認めない、というのも気になる。警察の能力に疑問?

 裁判になったら、苦労するぞ。

 もう一つの大事件。6月1日の日記では「村上流高等戦術!“週刊誌の早打ち”で事件を潰す?」 と書いたが、検察は本気らしい。村上逮捕は時間の問題?

 週末は野暮用。ちょっと遠くへ行ったりして、かなり疲れていたが、 4日は愛馬・ロックスピリッツが東京7レース芝2400メートルに出るので府中に。 2400メートルは初めの距離。3番手で4角を向かえたが、直線で失走して4着。 どうしても勝てない。

 ところが、メインのGT安田記念。アサクサデンエンから3連単の100円券の流し馬券で挑んだ。 オークス、ダービーと珍しい連続的中。資金に余裕があるので、マルチにした。 マルチなら2着、3着でもOKである。

 それが‥‥香港のCブリッシュラックが抜け出し、アサクサデンエンは直線でも馬群の中。 ゴールが僕の席からは良く見えなかったので、駄目だ!と思った。ところが、アサクサデンエンは しぶとい馬だ。ゴール前3メートルぐらいのところで2着にもぐり込んでいた。 3連単的中。何と4−15−16は288270円。(それにワイドも少々)オークスの 16万馬券的中に次ぐ快挙。GT3連勝なんて、僕に取っては奇跡の部類である。

 交通事故に注意しなければならない。

運、不運は首ひとつの差

6月1日(木) 週刊文春が書いてしまった

 朝、TBSの「朝ズバッ!」が3人の総裁選候補が参加したクールビズ・ファッションショーの 模様を流している。3人とも、不細工な「いでたち」だが、安倍ちゃんの顔に「疲れ」が目立つ。 大丈夫かなあ、と言う感じだ。せめて菅直人のようにエステに通ったら良いのに。 まあ、それも無理かな。

 永田町では、執拗に「安倍病気説」が流されている。父・晋太郎の無念の死と重ね合わせて 「実はかなり重たい」と流す輩がいる。闘いになると、福田陣営に「海千山千」が多い。

 週刊文春がついに村上逮捕説を書いた。昼には夕刊フジが追っている。 シンガポールに拠点を移した村上ファンドの村上さん、チョイ不良オヤジに変装して、 31日、中部国際空港に戻ってきたが、その前から、一部に「村上逮捕説」が踊って、 テレビ局が追いかけた。このタイミングに合わせて訳ではないが、今朝(6月1日)発売の 週刊文春が「阪神売却か、村上逮捕情報に踊る大マスコミ」と書いてしまった。

 この日記でも、かなり前に地検の狙いは「ホリエモンの次にMとK」‥‥と書いたが、 そのM・村上さんの捜査はこのところ急ピッチ。ライフドア事件で「カン落ち」 状態になったライブドアのNO2・宮内亮治被告が事情聴取に協力的で、 村上さんのニッポン放送株のインサイダー取引が立件できる状態になりつつあった。 週刊文春の報道が、どう響くか。

 それより、僕の関心は‥‥竹中グループのK。どうした、放置するのか。

 昼から「青い空 白い雲」の執筆。また、マスメディアの悪口を書いてしまった。

 愛馬・ロックスピリッツ(10戦1勝2着2回・池江泰寿厩舎)が4日の東京7レース 芝2000メートルで走る。土曜日の1600メートルに出る予定だったが、 除外が間違いないので、こちらに回った。ここ2走一番人気で凡走しているが、ここら辺りで、 走ってもらいたいのだが。

 もちろん、府中に応援に行く。

村上流高等戦術!「週刊誌の早打ち」で事件を潰す?

5月31日(水) 安倍応援?の100日戦争

 銀座・田屋の「ネクタイ銀座十二趣」という案内が来た。日本で始めて国産ネクタイを製作した田屋が、毎月一本づつ、一年間に亘って、 自慢のネクタイを頒布する企画。田屋のネクタイはプリントではなく、10色以上の糸で織り上げるオーバーテン。落ち着いた、それでい て、結構、お洒落心をくすぐるユニークな柄ばかりだ。

 1回12180円。結構なお値段だが、田屋のものにしてはリーズナブル?(これに、ネクタイ箪笥29400円が別売り。このネクタ イ箪笥は重宝である)

 田屋のような銀座4丁目の老舗が通販ショッピングに参加するのは、多分、小泉内閣の「ノータイ政策」に追い込まれているからだろう。 (もっとも、僕などは遠うの昔から、よほどのことがないとネクタイを締めない)権力者の思いつきで、ファッションも変わり、老舗も変 わる。

 明日から6月。勝手気ままな小泉内閣も、あと3ヶ月で終ろうとしている。小泉さん「国会の会期延長はない」と明言した。多くの法案 を継続審議、あるいは廃案にしてでも、安倍ちゃんに早く「総裁選」に突っ走ってもらおうという意向である。

 閉会と同時に、安倍ちゃん、官房長官を辞めるだろう。安倍ちゃんを自由にさせて、頃合を見計らって「安倍支持」を表明する。もっと も、ウルトラCが用意されていて、小泉・安倍そろっての北朝鮮訪問、横田めぐみさん救出! なんてこともあるかも知れないが。 これまで、小泉内閣の「男の大奥」では、陰湿な闘いが次から次へ繰る広げられた。大きなところでは‥‥飯島主席秘書官vs福田官房長 官の戦い。官僚群を一手に味方にした福田さんだが、2回目の訪朝を巡って、総連ルートの飯島さんと正面衝突した。その結果、福田さん 下野。

 その後は飯島vs竹中の戦い。小泉さんが竹中さんを重用したので、飯島がふくれることが再三あった。が、竹中が金融担当相から総務 相になった頃ころから「竹中降ろし」が小泉周辺で徐々に表面化する。今、その最終局面に差し掛かっている。

 自民党3馬鹿の一人、山本太一さんは飯島さんのお稚児のような存在で、安倍さんを支持するテーマソングまで作って舞い上がっている が、彼の動きをみると飯島さんの意向が分かる。「小泉内閣の本当の総理大臣は俺」と思っている飯島さんは、安倍内閣でもキーマンとし て残ろうとしている。

 竹中さんも「小泉の政策を継承すると言うことは竹中路線の継承」と考える。ホリエモン逮捕がキッカケで、村上ファンド、日本振興銀 行の木村剛さん、中央青山監査法人と言った「竹中グループ」がそろってピンチになっている。「竹中の言いなりになると危険」と飯島 さんが小泉さんに進言している。

 その闘いに、ご存知、イエスマン幹事長さんも加わって、9月の総裁選まで「安倍支持」の手柄争いが展開される。もちろん、福田グル ープも黙っていないだろう。かなり卑劣な100日戦争が始まる。

 31日は気温28度。午後、浅草の「麦とろ」で「とろろバイキング」なるもの食した。釜に1000円札を入れる趣向。トロロご飯に、 玉子焼きなど、食べ放題。味は結構だが、割り箸が粗悪品。指に棘が二本も刺さった。それに「貧乏人に食べさせてやる」というような ヘンな老舗の優越感が従業員にある。不快である。

 夕方、八重洲口の床屋。夜、某若手官僚のお誘いで銀座・三献で夕飯。「外交にバランスを」という官僚群の切なる思いが端々に滲み出 ている。二次会は例によって「ひまわり」。浅草の靴職人の給料は晦日払い。職人さんが奥さんと仲良くカラオケで「二輪草」を歌うのが 微笑ましい。この辺り「誰がなっても自民党!」という感じだ。

○○さんの落日は××さんの日の出