編集長ヘッドライン日記 バックナンバー
2003.4月

4月24日(木) 1989年・オウム

 1989年は歴史的な年だった。

 日本では昭和天皇がなくなり、世界では、ベルリンの壁が崩壊した。東西の冷戦構造 が崩壊した。その1989年なるものが、アフガン、イラクの悲劇を生んだ。

 個人的に言えば、その年の春、サンデー毎日が報じた「総理大臣のスキャンダル」で 宇野内閣が69日で崩壊した。自民党は参院選で敗れ、単独政権は崩壊した。

 秋、我々が展開した「オウム真理教の狂気・追及キャンペーン」に協力してくれた坂 本弁護士一家が殺害された。

 凄まじい年だった。

 それから13年半。僕は幾つかの「悲しみ」「しがらみ」「課題」を引きずって生き てきた。

 昨日の日記(4月23日)で触れた「宇野首相スキャンダル」で勇気ある告発に踏み 切った女性にも、その後、様々な仕打ちがあった。このことも、我々が引きずっている 「悲しさ」とは無縁ではない。

 しかし、何と言っても、オウム事件に対する「悲しさ」は比べモノにならないほど底 なしだった。

 朝、昔の日記を読んでみた。

 「1989年9月23日(土曜日)オウム真理教問題で、このところ、編集部への訴 えが続いている。一口で言えば『息子や娘がこの宗教に入って、家に帰ってこない』と いう訴えである。

 昭和55年『イエスの方舟』が社会問題になったことがある。あの時も最初は『娘が 戻ってこない』だった。その折、サンデー毎日は徹底した追跡取材を行い、世間が言う ような『反社会的』な集団ではないことを報道した。『イエスの方舟』のメンバーは、 現在も福岡市で布教活動を続けている。『宗教の自由』は最大限に保障されるべきで ある。

 果たして『オウム真理教』とは、どんな集団なのか。事実関係を確かめるため、明日 の日曜日を利用して家族の方々に集まって貰うことにする」

 これが、オウムとの出会いだった。

 オウムの正体はすぐ分かった。宗教という仮面を被った悪魔だった。詐欺のバブル化 である。宗教性なんて微塵もない犯罪集団だった。

 しかし、多くのマスコミは「オウムの悪行」を無視するか、取り上げても、一つのフ ァッションとして伝え、メディアによってはオウム支持し、我々のキャンペーンを「宗 教弾圧」と批判した。

 多分、この問題をはじめから追及していた江川招子さんが「週刊文春」を舞台に、共 同歩調を取っていなければ、サンデー毎日は孤立無援の戦いを強いられただろう。

 そして、我々の取材協力者・坂本弁護士が殺害された。裁判で「ポアする人間は牧だ った」という証言が飛び出した。悩んだ。

 坂本さんが拉致された11月4日。日記を読むと、僕は早稲田祭で「週刊誌が世の中 を動かす時代」という講演をしている。母校の仲間と会い、そのまま、帰宅しなかった 。僕のマンションに張り付いて信者が、僕の不在を報告、オウムは仕方なく、標的を僕 から坂本さんに変えた。

 痛恨である。取材協力者を失い、さらに大きいテロ犯罪を止めることが出来なかった 痛恨。何度も泣いた。

 そのオウム裁判で、夕方、麻原に死刑求刑。当然であり、さらに痛恨の思いは晴れな い。

 江川さんがコメントを求められ「果実はなかった」というようなことを言っている。 その意味は分からないではないが、「果実」は報道段階で手にするものだった。

 夜、地元の区議候補の個人演説会を覗く。義理ではない。この候補の人柄に惚れてい る。昭和32年頃、人口35万だった東京・台東区が、今、人口16万人。下町再生に 、この人物の力がある。

 帰って、テレビで改めてオウム裁判のニュースを見る。何か、テレビは最初から、オ ウム追及をしていたような雰囲気。まるで裁判が、何も解明できなかったかのように伝 えている。

 マスコミって勝手だ。オウムの超能力をおもしろおかしく伝え、その一方で「宗教の 自由」は守らなくてはならない、と第三者ぶったテレビ。その自己矛盾たっぷりのテレ ビが、検察の論告を批判する。

 そのくらいなら、はじめから「あんなモノを宗教ではない」とはっきり言えば良いの に。オウムの異常を「高視聴率」に変えただけのテレビが、裁判を批判するなんて滑稽 だ。少し、疲れている。

 ゴールデンウィークの間、日記を休ませてもらう。

<何だか分からない今日の名文句>

狂気は凶器

4月23日(水) 小言幸兵衛

 週刊文春ゴールデンウイーク特大号を買う。「愛人対談」がトップだ。山崎拓さんの 「山田かな子さん」、宇野宗佑さんの「中西ミツ子さん」の対談。中西さんが、どんな ことを話すのか、興味があった。

 中西さんは、僕が脳卒中で倒れた時、一番最初に見舞いの花を贈ってくれたが、当時 、彼女がどこにいるのか、全く分からなかった。

 サンデー毎日で現職総理とのスキャンダルを告白した後、彼女が苦難の道を歩かれた ことは想像に難くない。この対談を読んで、その後の生き様が少しだが、分かった気が する。

 対談を読むと、あの頃(1989年)中西さんも危険を感じていたようだが、僕も地 下鉄のホームで、誰かがぶつかってくるのではないかと、不安だった。

 機会があれば「表の権力・闇の権力とスキャンダル」について、書いて置かねば…… と思うのだが。

 今井理髪店で脂取りシャンプーをして貰う。頭の頂上あたりが、薄くなっている。脂 が詰まった毛に養毛剤をかけても、毛は抜けるばかりだと主人は言う。我が髪の毛、い よいよ危険ゾーンに入ったか。

 出社したら4階の踊り場で、久ぶりに斉藤明社長とバッタリ。顔が丸々としている。 「太りましたか?」と聞くと「太った。でも、その後、痩せたんだが」。

 このところ、特ダネラッシュで、毎日新聞の評判は上々。「うれしいネ」と社長もニ コニコしている。斉藤さんは強運なのか。

 別れ際に「ここだけの話、毎回、読んでいる。おもしろいけどが、小言幸兵衛みたい じゃないか。少しは誉めてくれよ」とアドバイスしてくれた。確かにそうかも知れない 。

 落語の「小言幸兵衛」は口やかましい家主が、長屋を借りにきた人に、難癖をつけて 断る話。難癖を付けているつもりはないのだが、読者に、そんな印象を与えているとし たら……。

 不景気だ、不景気だ、無能国家だ、無能内閣だ、と書いても、確かに読者は喜ばない だろう。少し、肩に力が入っているのかも知れない。明るい話題を探すか。

 斉藤社長、アドバイス、ありがとう。

 夜、銀座の懐石「K」で、知人と会食。健康談議。仲居さんの話では、この店のメン バーは全員「カスピ海ヨーグルトの菌」を持っている。ちょっと聞きかじったことはあ るが、大体「カスピ海ヨーグルト」って何ものだ。

 グルジア共和国の黒海とカスピ海の間に、謎の長寿村があるらしい。この村に「菌の 株」があるらしいが、どういうことか、よく分からない。

 知人は、詳しいのに……俺って、遅れてる。

 明日(24日)、注目のオウム裁判。

<何だか分からない今日の名文句>

小言は洒脱に

4月22日(火) 哲学

 朝から夕まで、モバイルの前に座り、原稿を書き(打ち)続ける。GWを意識して、 今のうちに書けるものは書いておこう、という姑息な努力。珍しく「予定稿」まで書い てしまった。と、言っても3本書くのが精一杯。

 8時間ぐらい書き続けると、ボヤッとする。途中で30分弱、休む。

 仮眠しようと思うのだが、ここで寝たら頭が働かないような気もする。

 手元にあった小雑誌「草思」を読む。特集は「哲学はどこへいったのか」。妙な特集 である。

 大体「哲学」とは、何たるか、を説明するところから始まる文章だから「どこへ行っ たか?」と質問したって、答えが出るはずもない。

 学生時代「存在と無」を読んだ。良く分からなかった。これは「分かるように書いた ら飯のタネにならない」と筆者が思っているからだ、と理解した。

 分からないように諭すから、一時「哲学」は売れた。「哲学」は混乱を誘うから商売 になった。

 「哲学を読む」のは不得意だが「哲学する」のは誰でも出来る。

 僕に取って「哲学」とは「何があっても自分で考えること」と心得る。他人の代わり に飯を食ったり、他人の代わりに酒を飲んだり、他人の代わりにセックスしたりしない のと同じように、他人の代わりに人は考えない(ハズである)。「考える行為」には“ 代わり”がない。飯を食うように、酒を飲むように、自分で考える。これが「哲学する こと」である。「哲学を読む」なんて簡単だが「哲学する」のは難しい。飯を食う、酒 を飲むより数段、難しい。

 「読む哲学」は、そこに登場する難解な言葉に騙され、何か、努力しているように思 いがちだが、それより「哲学する」のは、もっと難しい。読んだから分かる、というの が人生ではない。

 よく「君は原稿はウンと書くが、本はあまり読まないね」と言われるが、それは若干 「俺の哲学」と関係があるかも知れない。

 いくら「哲学書」を読んでも、自分で考えなければ、人生「味」が出ないじゃないか 。といったようなことを思いながら、モバイルに向かい直し、午後5時まで原稿。頑張 った。

 運動していないので、日本橋三越まで歩く。2階の紳士服売場で衝動買い。衝動は、 それに止まらず「大井競馬をやりたい」。

 汐留のWINSが大井の場外も売るようになったので、タクシーで駆けつけ、8レー スだけ参加。見事、的中。新橋駅前で一杯やろうと、歩くが、店を閉めている居酒屋が 極端に増えている。

 草思社の4月の新刊「やはり金融庁が中小企業をつぶした」の題名が頭をよぎる。血 も涙も常識もない、金融庁マニュアルが町を疲弊させている。

<何だか分からない今日の名文句>

金融庁ありて哲学なし

4月21日(月) 「BOSS」  午前8時、柳橋を通ると、何やらテレビの撮影をしている。橋の脇の船宿を背景にカ メラを回している。

 午後8時、また用事で通りかかると、まだ撮影している。午前はスタッフが少なかっ たが、夜はやたら多い。別の番組なのか。「何ですか?」と聞いてみると「火曜サスペ ンス劇場」だという。

 そう言えば、テレビで良く見かける女優さんが、欄干に手を添えて、半袖姿で演技し ている。橋の上を猛烈な風が吹き、寒くて寒くて。春の嵐だ、というのに、半袖は可哀 想である。

 それにしても、最近は、この辺りはテレビ映画の舞台になっている。恋愛のスタイル が、何となく、下町チックになっているからか。確かに、お台場とか、評判の六本木6 6は舞台になっていない。まるで遊園地のようで、人情の欠片もないから、大人の恋に は不向きなんだろう。

 「ここだけの話」はスーパーに勤める知人?が「仕入れ価格の交渉でグタグタだ」と 話しているのを聞いて「勧工場もの」をテーマに書いた。「勧工場もの」は今や死語。 多分、デパートの古参が知るぐらいだろうが……。

 「ここだけの話」はこれで片づいたが、スポニチの「おけら街道」のネタがない。た まちゃんに「何か良いネタないか?」と電話すると、携帯の向こうはヒューヒューとい う雑音。「どこにいるんだ?」と聞くと「大井ですよ。今日がナイターの初日。寒くて 寒くて」。

 何で、誘ってくれないんだ。誰と行っているんだ。たまちゃんに恋模様?

 「一人ですよ。一人」。まあ、良いか。で、大井競馬の関係者にナイター初日の話を 聞いて「おけら」のネタにすることになった。

 月刊経済誌「経営塾・さよなら特大号」が2冊も送られてきた。7月から名前が「月 刊BOSS」に変わるという。「平成サクセスマガジン」だそうだ。

 1996、7年頃「BOSS」という名の雑誌があったと記憶している。名手・諸井 薫さんの手で発刊されたが、5,6号で廃刊したように覚えている。

 どういう経過で「BOSS」が「経営塾」の針木康雄氏の手で生まれ変わるのか。

 突然、雑誌が名前を変える意味は何なのか。変える心境が分からない。「経営塾」も 定着しているのに。

 今では「BOSS」と言えばサントリーの缶コーヒー。その辺の商標権はどうなって いるのか。ちょっと興味がある。

 でも「ボス」は響きの良い言葉だ。西洋語でありながら、東京下町の面倒見の良いオ ヤジをイメージさせる。

 テレビドラマに最近、やたら登場する「キャップ」より暖かみがあるじゃないか。

 たまちゃん、最後まで的中はなかったらしいが……夜半まで、強風。

  
<何だか分からない今日の名文句>

BOSSは武士道

4月20日(日) 皐月賞は惨敗でも……

 朝、TBSラジオ。皐月賞の予想。止せばいいのに「桜花賞と皐月賞には連動学説が ある」と蘊蓄。

 桜花賞が固く収まれば、皐月賞も固い。桜花賞が万馬券なら皐月賞も万馬券。これが 連動学説。ことしは、桜花賞が万馬券だったから……と話す。

 相手をしてくれる美人タレント・江口女史(タケシ軍団の某氏の奥さん)の洋服が、 白ワンピースに青のセーター。そこで「荒れる可能性大。枠の1−4はどうでしょか」 といい加減なことを話す。1枠には、狙っている、藤田の乗る穴馬がいる。

 放送を終え、三多摩方面で野暮用。午後2時過ぎ、やっと中山競馬場に到着。

 馬券は9レースからスタート。狙いのサムソンハッピーが頭差の4着。3連復は1着 2着4着。1着3着4着で涙、涙、涙。

 10レース。バイラリーナは10着。勘違いの馬券。

 同僚の事件記者を皐月賞に誘って置いたが、なかなか来ない。何か、大事件があった のか。

 その予想はぴたり当っていて、皐月賞スタート10分前に滑り込んだ事件記者君が「実 は、名古屋で誘拐殺人ですよ」。何か、名古屋方面で妙な事件が多発している。

 皐月賞は例の藤田・ラントゥフリーフから入って4着。惨敗。ああ、恥をかいた。何 と馬連は一番人気だった。

 それにしてももう少し、頑張っていれば三連単に引っかかっていたのに。ああ、涙。

 最終レース。レース後、安藤勝美騎手をインタビューするので、彼の乗るヒノデダイ ドウから入った。最終に勝ってくれれば、いい気分で受け答えしてくれるだろう。儲け より仕事本位馬券。それが単勝、馬連、ワイドすべて的中。一気に負けを取り返す。痛 快、痛快。

 全レース終了後、スタンドでアンカツのインタビュー。アンカツは好漢だった。何で も平気で答えてくれる。彼の意外な生い立ちにびっくりする。これはエコノミスト誌で 書く予定。

 その後、たまちゃん、井崎脩五郎さんらと馬場詰め所で、スタッフご苦労会。東京競 馬場の改築で、長い長い中山開催。芝の管理は大変だったろう。

 JRAの高橋理事長、農水省の競馬監督課長も顔を見せていた。

 深夜「花屋の親父」からメール。彼の住む某県某市の市議会議員選挙、立候補者が定 数通りで、彼は無投票当選。2期目に突入した。2年後、隣の市と合併するので「任期 2年」に嫌気が指したのか、立候補を取りやめた人も多かったらしい。

 定数27人が、合併で6人になる次回が、正念場。頑張れよ。

    
<何だか分からない今日の名文句>

今泣いたカラスがもう笑う

4月17日(木) 皐月賞で会おう

 気分はもう皐月賞。かつて5万円馬券を取ったこともあるので、このレースには力が 入る。

 タイガーモーションが逃げれば……と思ったり、嫌々、チキリテイオーが逃げるのか ……と展開から検討をはじめ、もう2時間。楽しめる。

 お遊びの例の「3連単」をやれば良かった。失敗、失敗。そう言えば、ロマン掲示版 の予想が記者仲間の話題になっているらしい。

 昼間は野暮用。夜、社会部送別会。5月1日の人事異動で社会部から10数人(多分 14人)出ていく。

 異動する全員が一人一人挨拶するが、それぞれに親しい友人が異動する人間の思い出 話をする。それが社会部流。

 6時半から始まって、終わったのは10時近くになる。

 何故、そんなに時間がかかるかと言うと、今の若い記者さんはトークが得意。笑わせ ることに長けている。吉本流?それがおもしろいのだ。時間が経つのを忘れるほどゲ ラゲラ笑う。(原稿はそれほどおもしろくないけど?)

 何度も出る話は「合コン」。それがきっかけでゴールインしたケースが幾つもある。 微笑ましい。が「合コン」で結ばれた記者さんが、連夜午前2時に帰宅するのに、日曜 日は奥さんより早く起き、必ず食事を作ると聞いて、唖然とした。時代は変わった。

 バグダットに入った女性記者も外信部に異動する。FAXで参加。「日本に帰ったら 社会部に席がないのでしょう。中面(外信面)より社会面の方が好き」と挨拶した。分 かる。

 社会部長さんは「マスコミに対する世間の目が厳しくなる」とまじめな挨拶をした。 それぞれのフィールドで油断なきよう、という意味か。長老扱いされる僕も挨拶させられ たが、当たり障りのないものにした。

 二次会を誘われたが辞退。社を出ようとしたら前政治部長、現政治部長にばったり。 それこそ気になっていた政治面の新企画「気になる人々」について「筆者は?」と聞い た。参院のドン、青木さんの動きを書いた秀逸な作品。誰がこんなに器用に書くのか 、と興味があったが「あれ、Kですよ」。

 K君は僕が首相官邸キャップをしていた頃、地方支局から政治部にやってきた若者。 K君が、こんなに上手に書くのか。びっくりした。

 成長著しい後輩を見るうにつけ、遅々として進まぬ、我が道。落ち込む。

<何だか分からない今日の名文句>

青葉の季節

4月16日(水) 石鹸を盗まれた

 数日前からカラスがやって来るようになった。毎朝毎朝、隅田川の上流の方からやっ て来る。7階の仕事場のガラス窓の側を通りすぎるのを見てびっくりした。カラスは翼 を広げるとやたら大きい。後ずさりする。

 ちょうど数日前、ゴミ倉庫に置いてあった石鹸が盗まれた。新しい石鹸を置いておく と、翌日、また盗まれる。

 今日はカラスの数が増えた。今日は何羽いるのか、数え切れない。集団で来た。怖い 。石鹸の盗難被害が増えたのと、カラスは関係があるのか。カラスは雑食と聞いてい るが、油も好きなのか。9000種類の鳥のなかでもっとも脳の働きが良いカラスだか ら、集団窃盗を企てているかも知れない。

 もし、獲物があれば仲間に教え合う態度を見上げたものだ。

 石鹸を隠す。当分、カラスの動向を監視しなければならない。

 昼、有希がお父さんとやって来るというので「こごめ大福」を食べさせようと思い、 松ヶ谷の「竹隆庵岡埜」に行った。が、何とお休み。秋葉原の店まで足を伸ばしたので 、計4・5キロの大散歩になった。

 お父さんも元気、有希も一段と綺麗になった。何か良いことが……と期待したが、別 にこれという話題もなく、一緒に蕎麦を食べた。ちょっと当て外れ。

 2時頃、近くの信用金庫の人が遊びに来てくれた。元気の良い人で、散歩の度に声を かけてくれる。声をかけられると、元気が出て、何となく、俺も見捨てられていない、 と思う。

 彼、ちょっと前まで、別の信金に勤めていたが、吸収合併されて、新しい店に来たと いう。苦労しているハズだが、微塵も見せない。

 四国の愛媛の出身。同級生が監督をしている故郷の高校野球部に倅を”留学”させて いる。何か、ほのぼのとした話だ。

 「どうですか、積み立て預金でも」と言われ、ちょっと苦しいが月に3万円の積み立 てをする事にした。

 その分、残念だが、競馬、競輪は慎重にならざるを得ない。

 「農林年金」という雑誌から、コラムの注文を受けた。その締め切り。「正義」の価 値観より「色とカネ」の価値観の方が分かり易いし、本物かも知れない……と言ったよ うなことを書く。続いて「競馬ロマン」。一時間弱で書き上げたら、たまちゃんから「 企画特集の前文を書け!」と命令。(親友・たまちゃんは後輩だが、競馬ページの編集 長格なので、社内では上役?)合点承知の助!で、これも30分で書き上げた。

 少しだが、このところ、原稿のスピードが早くなったように思う。毎日、この日記を 書く訓練が役に立っているのだろう。失語症を治すには書くこと。しゃべること。半身 麻痺を治すには歩くこと。

 週刊文春が明日発売号で「山崎拓の女」を実名、素顔で登場させる、と言う話。山田 かな子さんなる女性が、今後、テレビに出るかどうか。

 しかし、こんなことより、小泉さんの言いなりになっているマスコミの「意気地なし 」に腹が立つ。毎日、毎日、小泉節を流すだけで、時代を記録できるのか!

 マスコミ仲間は団結しなければ。

    
<何だか分からない今日の名文句>

カラスの連帯

4月15日(火) 石塚稲荷

 朝から小雨。カッパを着て2・1キロ歩いて「たいとう診療所」へ。傘が差せないの が痛い。

 今井医師に昨夜の災難を話すと「痛かったでしょう。爪の中が内出血しているから」 。そういえば、ドンドンと薬指の爪が紫色に変色している。

 それにしても、あのタクシーの運転手。我慢できない。どうして、僕が乗ろうとした 時、突然、窓ガラスが閉まったのか。「痛い」と言っても完全無視。「両国橋までお願 いします」というと「正式な住所を言ってください」。何か妙だ。その後、無言のまま 。降りる時、5000円札を出したが、何もしない。料金900円なのに。「領収書! 」と言えば、黙ってレシートは出したが、お釣りを出そうとしない。

 「お釣り!」と叫ぶと百円玉を一つ出した。

 「5000円だぞ」と言うと「気がつきませんでした」と1000円を4枚出した。 不愉快だった。

 当方の顔が半面麻痺で歪んでいるので、知的に劣っているとでも思ったのか。我慢出 来ない。

 車を降りてから、ナンバープレートを記憶しようとすると、運転手、車を降りてきて 「申し訳ありません。慣れないモノで」と頭を下げた。頭を下げ、下げながら、前に 前に、威嚇の前進。後ずさりするしかない。ああ、怖かった。

 指がつぶされたぐらいで助かった、と思うべきか。妙な人間がいるものだ。

 診療所から戻ると、仕事場のドアのところに袋に入った野菜がどっさり。約100メ ートル離れた石塚稲荷が14日に例祭。その「お供え」のお裾分けだろう。見事な大根 、人参、レンコン……。

 江戸時代、この辺りは「代地」と言った。火事と喧嘩は江戸の華で、大名屋敷が火事 になると、江戸幕府は隅田川を西側から埋め立て、新しい「代地」を造った。「代地」 が火事になっては仕方ないので「火防の稲荷」を祀った。それが「火防守護・石塚稲荷 」。以来、この界隈、火事がない。

 大正か、昭和の始めか、新しいお社を造った時、僕のおじいちゃん・牧文次郎が発起 人の一人になった。牧文次郎の名前が刻まれている。これはちょっとした自慢。

 最近は、時々、外人が見に来るが、お祭りになっても、手を合わせる人も疎らである 。こうした稲荷を長年、守っている「牛乳屋の井浦さん」「天ぷら・江戸平のおやじ」 には、頭が下がる。(二人とも、育英小学校の先輩である)

 東京の下町は、土地が高騰した頃、稲荷の敷地が争いのタネになった。この辺りでも 稲荷の居場所がなくなり、幾つか稲荷が「大六天榊神社」に居候している。

 それに引き替え「石塚稲荷」には、そんな話は全くなかった。「火防」の成果が認め られているからである。

 情報では北朝鮮問題の多国間協議は2週間後には行われるという。そうなると、アメ リカは「八月北爆」のシナリオを書き直し、シリアに矛を向け、侵攻する気配。いずれ にしても恐ろしい。

 掲示板を熟読する。結構、激しいやり取りが展開されていて、勉強になる。

 ちょっと気になったこと。「有田芳生さんの掲示板は右翼に乗っ取られた」という記 述があった。真偽はハッキリしないし、軽々しく言及するのは、どうだろうか。

 色々と苦労しながら、掲示板を維持し、節度有る言論を守っている人に対して、幾分 、失礼なような気がするのだ。

 たとえ、そうであっても、僕は「右翼に乗っ取られた」なんて書かない。有田さんは そんなちゃちな人ではない、と僕は思う。(このことは彼と話したこともない)掲示 板に参加する人は、見えないところで、自分の自由な言論が守られていることは認識し て欲しい。

 ガキの落書きではないのだから。

    
<何だか分からない今日の名文句>

中東に火防

4月14日(月) 薬指が痛い

 午後7時すぎ、退社後、小川町まで歩いていたら雨。タクシーを拾おうとして、災難 に遭遇した。

 ドアの枠を左手で掴んだ瞬間、ガラス戸が何故か急に閉まって、指が挟まっってしま った。

 猛烈に痛かった。今でも痛くて日記が打てない。

 災難だ。シリアの国民の困惑が分かるような気がする。

    
<何だか分からない今日の名文句>

災難なら畳の上でも死

4月13日(日) 6354本の余録

 11日の金曜日。JRA六本木事務所の記者クラブに顔を出すと「武豊の選挙応援」 が話題になっていた。

 北海道知事選。新聞では泡沫候補並の扱い?になっていた酒井芳秀候補を豊は応援し た。北海道では大変な話題だったらしい。

 「よりによって」という記者さんもいた。が、馬産地・日高のただ一人の候補。縁が あれば応援するのが人情だろう。

 「勝ち負けに関係すると、行く行く面倒な怨念になる。が、初めから負けると決まっ た候補を応援するのは恨みを残さないから良いじゃないか。これも豊流ではないか」と 豊の応援に回った。

 今回の統一地方選はイラク戦争の陰に隠れて、話題が少なかった。

 週末は書類整理。12日はやらずの雨。13日は快晴で、野暮用のついでに千葉市土 気に足を伸ばした。千葉の桜は幾分、遅咲きと聞いた。

 「土気」の区画整理事業は大胆で「あすみが丘」の街づくりは評判になった。が、バ ブル期に3億円の大邸宅が並ぶヒルズが昼話題になった。それがバブル崩壊で住み人も なく、草茫々になっている、と週刊誌に伝えられていた。どうなっているのか。他人の 不幸は密の味。覗いてみた。

 ところが、聞くと見るとは大違い。土気の町は活気に満ちて、生き生きしていた。新 しく出来た町のコンセプトは「郊外の一戸建て」。人々は、かなり広い土地に、庭付き 一戸建ての生活を楽しんでいる。

 3億円の豪邸はその一角にあった。200坪〜500坪の敷地に、迎賓館のような建 物が並んでいる。確かに豪邸である。

 新緑に包まれた美しい街で、こんなところに住むなんて、夢のようだ。

 2億、3億はべらぼうに高いが、ニューヨーク郊外には、こうした街がある。先進国 なら、この程度の「本当のお屋敷」はごく普通にある。

 週刊誌では「バブルに狂った不動産屋が造った豪邸は入る人もなく、草茫々」と書か れていたが、そんな光景は全くない。新緑がキラキラしている。ともかく夢を見ている ようだ。

 豪邸は100。その内、63が売れている。確かに売れ行きは止まっているのだろう 。とても採算が取れるハズもない。が、多分、この事業を手がけた大手不動産は、圧倒 的に多い「普通の住宅」で儲けているのだろう。

 「土気」は区画整備事業の数少ない成功例だった。

 大先輩の諏訪正人さんから単行本「余録」(毎日新聞社刊・2400円)が送られて 来た。

 諏訪さんが、1979年4月17付朝刊から2002年6月18日まで書き続けた「 余録」の内から500本を収録した。

 実は、先輩は6345本の「余録」を書いた。天文学的数字である。

 多分、誰も、この記録を破ることはないだろう。

 500本でも550ページ。全部、読み終わるのには2週間ぐらいかかるだろう。ま あ、一日に1本、1年半で読むとするか。

 夜、地方選開票。石原さんの300万票は中央政界を揺るがす数字。

 県議選で共産党苦戦は「北朝鮮拉致事件」の余波?

 一番の激戦・北海道知事選。高橋はるみさんの勝因は「公明党の推薦」。

 豊が応援した候補は予定通り、5位だった。

<何だか分からない今日の名文句>

正規の記録にない記録を「余録」という

4月10日(木) アメリカを支持しない理由

 イラクは民主主義が似合う国ではない。群雄割拠の地方部族がつねに覇を競い、時に 外国と勢力の力を借り、戦いを繰り返した。が、ほとんどの時代、厳密な意味で国家統 一が出来なかった。族長の部分支配がこの地域の宿命だった。

 フセイン王国もその一つの形態である。一族独裁の悪巧み国家である。

 この地域に民主主義が似合わない。純粋封建主義の族長国家が、そう簡単に民主主義 を理解出来るハズがない。それは砂嵐という自然現象によるものかも知れない。

 アメリカと現時点で「良い関係」にある中東の国々も族長支配の国である。民主主義 と縁がない。アメリカは、その国の封建制度を巧みに利用して、アラブの利権を手に入 れてきた。それは、それで良いと思う。正義は民主主義だけではないのだから。

 イラクを民主主義的に解放するなんて無理だ。アメリカは無理と承知で「イラク人民 の解放」に乗り出した。

 綺麗事で言えば「解放」だが、正確に言えば(利権を得るためにはイラクが封建主義 国家でも良いのだが)首を縦にしないので、野蛮国家に武力行使した。

 「民主主義的イラク解放」なんて、神の名を借りた詐術。どう見ても「侵略」である 。フセインの悪政は困ったものだ。が、超大国の「正義の戦い」も困ったものだ。

 9・11は大アメリカの野望に火をつけ、世界のバランスを失わせた。その手始めが イラク戦争だ。

 何度か、日記で書いたが、僕は「限定的戦争論」である。現実に武力紛争が起き、自 国民の生命・安全を守るケース以外は戦争を認めない。そう考えている。主権国家に絶 対的交戦権があるという「絶対的戦争論」とは立場が違う。

 アメリカに取って、イラクが差し迫った脅威とは思えない。この開戦を認めれば、あ らゆる主権国家に「絶対的戦争権」を認めることになる。だから、今回のイラク戦争に 反対である。

 その結果、たとえ同盟国アメリカの圧勝であれ、一時的に、若干の無政府状態を経て 、アメリカ統治の平和が来たとしても、これは筋が通らない。

 戦争技術論に触れる前に、このイラク開戦の誤りを総括すべきだ、と僕は考えている 。この単純民主主義の開戦は行く行く、裏目にでるようでならないのだ。強大国・ア メリカが地球のバランスを欠く政策を続けるのなら、テロの連鎖は避けられないし、経済 的にもアメリカはバブル崩壊前夜。闇夜が来るかも知れない。

 掲示板に、僕の意見に反対する方が多いのは知っている。傾聴に値する意見ばかりだ 。勉強させて貰っている。が、以上が、僕の「イラク戦争に関する視点」である。

 副編が人事異動で東京を離れる。「二代目魁」のメンバーがプレスセンターのレスト ランで送別会。

 今まで、面倒を見てくれたレストランの女性従業員が「私も定年よ。5月11日で終 わり。会えなくなって淋しいワ」。

 えっ、彼女、そんな年齢なのか。僕より、10は若いと思ったけど……びっくりした 。淋しいなぁ。

 人は出会い、必ず別れが待っている、けれど……。

 二次会は例によって浅草観音裏「ひまわり」。全員、自慢のノドを披露した。

 Jr.は井上陽水の「少年時代」、有希は松任谷由実の「守ってあげたい」、俳句塾の 中島さんは、中島みゆきの「地上の星」。みんな上手だ。

 僕より一つ歳上の石寛太は元気良く、松村和子の「帰ってこいよ」。

 副編は万感込めて尾崎紀世彦の「また逢う日まで」。

 夜がふけた。

<何だか分からない今日の名文句>

ネットに別れなし

4月9日(水) 医療費が安くなった?

 朝、東京専売病院で検診。血圧138−88。下が少し高いような気がする。

 医療費3割負担が実施されて、はじめての通院。気のせいか、患者さんが少ないよう な気もする。大山ドクターは、予約患者の数に影響はないという。でも、ちょっとした 体の不調ではお客さんは来なくなる。病院から足が遠うのくのは人情だろう。

 僕の場合、一ヶ月分の薬を貰うので、負担が増える、と予想したが、大山ドクターは 「君の場合、むしろ安くなるはず」

 診療費請求(領収)書を確かめてみると、3月12日の請求は負担割合20%、基本 診療料174円、投薬費2698円、薬剤負担額3000円。計5870円。

 4月9日の請求は負担割合30%、基本診療料261円、投薬料4047円。計43 10円。

 1560円安くなっていた。薬剤負担がなくなって、薬は投薬の仕事としてカウント されるのだろう。そこで結果的に安くなった。

 ただ、医療費の3割負担は、すでに「保険」とは言えない。もともと、負担0%が保 険というものだ。

 日本医師会の青柳副会長が数字をあげて「3割負担撤回」を叫んでいるが、財務省の 試算だけで、官僚の無駄使いの穴埋めのために、イラク戦争の戦後処理のために、受診 抑制を強要するやり方には反対だ。

 内科の受付で、痩せぎすの男性とすすれ違った。どこかで会ったような気がする。ベ ージュのセーターに紺のジーンズ。ラフな格好だが、誰だろう?どこで会ったのだろ う。一度は薬の受付に向かったが、どうも気になる。もう一度、内科に戻って、やっ と気づいた。テレビで何度となく見たタレントさん。テレビって凄い。テレビに出た奴 が、すべて知り合いと勘違いさせる。

 何と言ったけ、あの俳優。好きな奴だったのに、どうしても名前が思い出せない。

 ああ、歳だなあ。記憶力の衰えが激しい。

 このまま、やり過ごして良いのだが、どうしても、この人物の名前を確認したい。変 な衝動。

 考えた末、物知りの友人に携帯で「こんなCMに出ていた、あいつ、何と言ったけ? 」と聞く。仕事中に突然、電話がかかり「あれ、何という名前?」と聞かれた友人の困 惑ぶりが目に見える。でも「頼むから教えてくれ」。

 「K・Kさんだろう。競馬好きの」と言われて、やっと気がついた。そうそうK・K さんだ。思い出したぞ。

 内科の待合い室に戻ると、K・Kさん、目をつぶっていた。具合が悪いのかしら。前 のソファーに座ると、彼が目を開いた。その途端、僕の質問が飛ぶ。

 「あの馬、元気ですか?」

 びっくりするK・Kさん。実は、彼は「B」という牝馬の馬主さんなのだ。あの馬、 強い「B」はどうしているのか、聞きたい。これも妙な衝動。

 K・Kさんは見知らぬファンから「どうしました?風邪ですか?」と聞かれることは 覚悟していたのだろうが、突然「馬の近況」を聞かれて、キョットンとしている。

 「……駄目ですね。あの馬」とぶっきらぼうに答える。ああ、失礼をした。改めて「 どうしました。身体の方は?」と尋ね、二言三言。「府中で会いましょう」で、別れた が、彼「変な奴だ」と、当方を何度も振り返っていた。

 病院を出て芝公園を歩く。増上寺の茶屋で山菜そば700円。桜の葉がどんぶりに進 入する。晴れ晴れとしたいい天気だ。新橋まで歩いて、ケーキを買おうと思ったが、4 00円は高すぎると断念。そこからタクシーで仕事場に。

 午後2時、大事な野暮用。先方は当方の主張を認めてくれた。

 3時、遅い出社。部長から「編集委員の寄り合いを開く」という提案。歓迎。ひとり ぼっちの存在だから「編集委員の会」らしいものが出来れば、仲間が増える。大歓迎。

 馬小屋に顔を出すと、たまちゃん、元気がない。「あす、倅が大分に赴任するので」 。聞いてみると、倅は深夜帰宅するたまちゃんの酒の相手を、長いこと勤めていた。奥 さんはすでに寝ていて、相手はいつも長男だけだった。その酒の友がいなくなる。だか ら落ち込んでいる。

 倅と「最後の晩餐」をするたまちゃんと分かれて、夜、神保町の焼き肉「三幸苑」で カルビ。まあまあの味。

 外に出たら、ゾクゾクするほど寒かった。

 見たくないイラク情報。バグダット陥落。アメリカ統治。まだ、大量殺害兵器は発見 されない。

 アメリカさんよ、やり過ぎでは、ございませんか。

<何だか分からない今日の名文句>

過ぎたるはなお及ばざるが如し

4月8日(水) 「れんぎょう」と「花かいどう」

 仕事場のある隅田川沿いビル。ビルと川の間にある小さな小さな空き地に「れんぎょ う」が咲き乱れた。

 高さ2メートルぐらい。枝が長く伸び、先端がやや垂れ下がる。葉の先に鮮黄色・四 弁の筒のような花が咲いている。

 華やかだ。風にそよいで、我、感ぜず、という風情である。

 数年前、ビルの掃除をしてくれた女性が植えてくれたと記憶するが、こんなに大きく なるのか。我が早春の象徴?

 新しい「たいとう診療所」まで仕事場から2・1キロ。もちろんの歩いて行く。が、 ちょっと疲れる。と、言うより右脚がスムーズに動かない。

 リハビリの最中、脚のふくらはぎを掴んでみると、筋肉質らしいものがまるでない。 冬の間、やれ寒い、やれ雨だ、やれ風が強い、と難癖を付けては、歩かなかったのがい けなかった。ツケが回ってきた。

 歩かねば、歩かねば……。

 ところが帰る段になって強風。突然、スコールのように雨が降る。困った。

 それでも合間を見て、歩く。

 小島町の花屋で「花かいどう」を見つけた。薄紅色のあでやかな五弁花。うっとりす る。

 ことしの桜は嫌に白かった。遠くから見ると雪のように見えた。ピンクとは大分違っ た。花びらの脱色現象。町の汚れた空気に原因がある。これは環境問題だ。

 それに引き替え「花かいどう」は見事だ。抱きしめてぐらいに妖艶だ。

 財布を開いてみる。1万円札は1枚。「えぃ、ままよ」と4500円の「花かいどう 」を買い求めた。

 「れんぎょう」の隣に植えるか。

 フセインは”バグ脱兎”のように逃げ、アメリカは泥沼に”ブッシュブッシュ”と踏 み込み、瓦礫の山を作って追う。

 ああ、無情。

 記者団に「大量兵器は見つからないようだが?」と質問され小泉さんは「いずれ出る 」。いずれ出た、としても、アメリカが密かに持ってきた「証拠」だった、と邪推する 向きも出るだろう。

 これからは大国の石油戦争。悲しいことだが、花を見る幸せを味わう以外の「春」は ない。

 夕方、野暮用の電話。相手の立場はよく分かるが、相互理解にほど遠いよう思いもし て、つい大声を出す。

 花のように、無抵抗で生きなければ、と反省しきり。

<何だか分からない今日の名文句>

花のように、風のように

4月7日(月) ある「放火事件」

 一日中、アメリカがイラク大統領宮殿を制圧した、というニュース。強大国アメリカ の大キャンペーン。うんざりする。

 テレビから逃れる気分で、送られてきた雑誌類を読む。「創」5月号に気になる部分 があった。人気コラム「鈴木邦男主義」。新右翼「一水会」代表の鈴木さんのコラムだ 。これまで、何度かパーティーなどで、挨拶した程度のつき合い。例の朝日新聞襲撃の 「赤報隊」と中核人物ーーと当局が目星をつけた人物でもある。(鈴木さんはもちろん 、否定している)

 その彼が3月11日の「赤報隊事件」時効を機に、彼のアパートで起こった放火事件 を告白している。去年の3月15日、彼が講道館の稽古でぐたぐたになって、眠った夜 、玄関が放火された。午前2時ごろだった。現場写真も掲載されているが、気がつかな かったら、死んでいたかも知れない。

 2日後「民族独立義勇軍再建委員会声明」という犯行声明が送られてきた。だが、彼 は警察に届けなかった。

 放火はどんな意図で行われたのか。今になって、放火事件を公表する彼の意図は?極 めて興味深い。

 今日のように、すべてのテレビが大騒ぎをすればするほど、変わり者なのか、見たく ない。

 活字に逃れる。と、新聞、雑誌の新鮮さに出会う。「月刊現代」の野中広務研究など は、わくわくさせられた。

 「ここだけの話」は「なぜ臨床政治学?」と題して、テレビのお祭り騒ぎが日本を衰 弱させている、というようなことを書いた。過激な表現も使ったが……読んでくれ!

競馬競輪ロマン掲示板を覗くと、万馬券造さんの快挙が話題になっている。中山の日 曜のメイン。12−2を的中している。彼の良宮、波乱宮がともに2,12だった。も ちろん万馬券だ。

 実は僕は12から流したが、2は無視してしまって1着3着。悔しい!それにして も、万馬券造さんはただ者ではない。

 掲示板の常連だったキーちゃんから、楽しいメール。5回にわたって「福祉用具専門 相談員」講習を受け、個人的にレポートしてくれた。その最終回。彼は僕に介護制度の 不備を追求してほしいと、提案してくれた。

 分かりました。考えてみます。キーちゃん、ご苦労様。そろそろ、G1の季節。彼の 予想も期待しているのだが。

 夕方、ちょっと気になることがあった。社会部から「○○という人が電話を貰いたい 、とのことです」と伝言。○○さんは13,4年前の事件(「騒動」と言った方が良い かも知らないが)の当事者。僕が11年前、脳卒中に倒れた直後、病室に花を送ってく れた記憶がある。住所が分からず、お礼も出来ず、10年以上音信不通だったが……。

 8時過ぎ、連絡が取れた。何が引き金か全く分からないが、あの事件以降の精神的苦 痛を吐露される。世間の冷たい目もあったろう。十分、想像できる。取材した者とし て、複雑な思いだ。

 あの事件が古傷になってしまっているのだろう。電話の向こうの激情が気になる。

<何だか分からない今日の名文句>

万物、時効なし

4月6日(日) ネット投票の時代

 金曜日(4日)は東京で一番綺麗な桜並木と評判の某所で若返ってデート?樹齢7 0年。確かに枝振りが良い。花見の酔っぱらいがいないから静かで良いじゃないか。京 都の哲学の道を思い出して歩く。桜は学園都市にかぎる。

 でも途中で雨。「本当に桜の命は儚いね」なんて古くさいセリフを吐く。俺って、い つまでたっても、ぶきっちょなんだ。

 5日は一日中、強い雨。桜の花びらが舗石にこびりついている。

 午後から専修大学の「日本臨床政治学会」設立総会に出席。医療以外に「臨床」とい う分野はなかった。政治に臨床が必要になった。(この学会の話は「ここだけの話」で 書くつもり)

 会場で苫米地重亨さんに会う。何年ぶりだろう。苫米地さんは毎日政治部の先輩。彼 が野党クラブのキャップだった頃、仕えたことがあるが、退職後、会ったことはなかっ た。差し出された名刺には「青森中央学院大学経営法学部教授」とある。青森と東京を 行ったり来たりしているという。お元気だ。

 政治部出身の先輩は「第二の人生は教壇で」という人が多いようだが、どうも、僕は 苦手で……。定年の60歳まで時間はない。現在のポスト「専門編集委員」は定年延長 が許されているので、出来うる限り毎日新聞に居座るつもり。大学から声が掛かっても 「セクハラ教授になりそうだから辞退する」と断るつもり。第一、大学教授の仕事は激 務らしい。

 学会は岡野元明大学長を会長に選んだ。彼とも話がしたかったが、野暮用があってパ ーティーには欠席する。

 6日は晴れたが、強風に次ぐ強風。外に出られない。転びそうになるし、何か飛んで きても避けることが出来ない。やっぱり半身麻痺は使いモノにならない。

 少し落ち込む。

 都知事戦はあと一週間。石原慎太郎が当選確実。今度の地方選はおもしろくない。現 職が安定しているし、争点がはっきりしていない。投票率がもっと下がるだろう。

 次回の都知事戦はインターネット運動、インターネット投票にしたらいい。東京はパ ソコンの利用者がかなり多いはず。投票率もあがるし、意外な結果も期待出来る。

 インターネット社会になれば、代議員制、議員内閣制も究極的に意味がなくなる。国 民投票のインターネット化は結構、早く実現するかも知れない。

 イラク戦争。米英、バグダット侵攻。戦争情報も慢性化している。

<何だか分からない今日の名文句>

インターネットは直接民主主義

4月3日(木) リトアニア1番切手

 花ぐもり。午前中、郵便友の会の仲間・荒木寛隆氏、来訪。7年ぶり。懐かしい。髪 が白くなっている。

 荒木さんは、僕が郵便友の会全国委員長を勤めていた頃の信越地区委員長。僕は日大 1高の2年生、彼が松本深志の3年生だった。

 全学連の運動が過激になり「全高連」を組織しようとした高校生グループが生まれつ つあった。彼らの狙いは、会員14万人になっていた青少年団体・郵便友の会の組織を 乗っ取ろうとしていた。高校生が政治的運動を行うことを全否定するものではないが、 彼らの目的は郵便友の会の設立の趣旨とあまりに違う、と言うのが、僕らの立場。荒木 さんには、色々と助けれた記憶がある。

 年上の彼は早稲田に1年先に入り、早稲田大学に郵便友の会OBのサークルを作った 。だから大学に入ってからは先輩後輩の仲である。

 彼は三菱銀行に就職して、僕の仕事場に近い浅草橋支店長になったりして、2人の付 き合いは続いていたが、7年ほど前に、彼がコンクリート会社の役員に天下って?から 没交渉だった。

 「断じて天下ったのではない。骨を拾ってもらったのさ」と冗談をしながら、世間話 。彼は「中途半端な規制緩和に苦しんでいる」と嘆く。

 政治家が「規制緩和」という名の下で、技術を持たない地元企業に仕事を回すので、 技術のない地元企業が中央の企業に”マル投げ”にる奇妙な現象が生まれているという 。これを「上投げ」と言う。知らなかった。

 しかし、そんな話はどうでも良い。僕が知りたいのは彼の切手収集のその後。彼は日 本でも指よりの切手収集家でもある。(郵便友の会は国際文通の団体で、切手集めとは 無関係だが、初代全国委員長の平岩道夫さんも「日本1の収集家」になった。ちなみに 、毎日新聞のA記者の収集も凄いゾ)

 荒木さんの得意分野は郵便史。切手や郵便物の上に残された痕跡を文献に基づく知識 、資料とともに拾い上げて編み上げていく、地道な収集分野である。高価な切手を集め るのとは違う。

 ベルリンの壁が崩壊した時、彼は「リトアニアが独立する」と直感した。リトラニア はバルト海に面した小国。しかし、14,5世紀にはゲディミナス大公の元でヨーロッ パ最大の領土を持つ王国だった。それが一次、二次大戦でロシア、ドイツ、ポーランド の政治的争いに翻弄され、独立の機会がなかった。

 荒木さんは「独立のチャンス」と読み、「復活1番切手」の入手に走った。当時、彼 の収集の手助けをしたことがあったので、その思い出話はおもしろかった。

 同時に彼は1918年12月27日の「リトアニア1番切手」も入手している。これ も大変なことだ。

 彼は「切手は小さな外交官」と題して、コンクリート業界の社団法人全国宅地擁壁技 術協会の会報「ようへき」38号で紹介している。

 一業界の会報で紹介するには、勿体ないような貴重な情報である。

 彼の来訪の目的は「業界の集まりで講演してくれないか」という注文。もちろん、喜 んで話させてもらうが、彼の切手話の方がおもしろいような気がする。

 興味があるので、彼が帰ってからリトアニアのことを調べてみる。要するに人間の歴 史は領土争いに起因するのか。

 午後はTBSで野暮用。終わってJRAで取材。期待された種牡馬の近況を聞く。

 風は強いが、桜はもう一日ぐらいもつらしい。

<何だか分からない今日の名文句>

残る桜も散る桜

4月2日(水) 新聞が見捨てらた理由

 花冷え。終日雨。午前中に「競馬はロマン」を書き上げてから出社。

 メール受けに読者からの葉書類が数枚入っていた。かなり刺激的な「お叱り」もある 。ちょっと脅迫めいたところもあってちょっと気分が悪い。ブン屋の宿命。こんなこと もたまにはある。「お叱り」が来るのも、本音のコラムを書き続けているからだ、と誇 りに思うことにした。

 日本を戦争に巻き込みたい「時代の気分」のようなものを肌で感じる。

 夜、内幸町のプレスセンター日本記者クラブのレストランで友人と3人で食事。ミニ 会席が3000円とお値打ち。

 友人のひとりが「某新聞一面トップに大島農水相辞任の記事。終わりに『金と政治が 再び問われている』というようなことが書いてあった。どこか滑稽で、みんなで大笑い した」と話す。彼はマスコミ関係者ではない。ごく普通のサラリーマンである。

 もっともだ。「金と政治」のことなど、数十年も、数百年も昔から続いている。何を 今更、新聞に教えて貰わなくても良いじゃないか。

 「これはナリチュウと言うんだ。『成り行きが注目されている』といつも書く奴がい るんだ。出来の悪い記事の典型さ」と説明した。

 どうして、日本を代表する?あの新聞は、そんな常套句を使うのか。自分たちはいつ も安全地帯にいて、良識を気取り、本音を書かず、きれい事を並べ、その癖、権力にぴ ったりの、常套句新聞を日本の教師どもは「良識のある新聞」と生徒に教えたのか。理 解に苦しむ。

 この日本を代表する新聞が「新聞というものは、おもしろくない、役に立たない、威 張っている」を証明したところに、若者が新聞を見捨てた原因がある。

 毎日新聞の一部の人は一時、この新聞を真似したようなところがあった。今でも、真 似ている先輩もいる。地方紙にも、この傾向が残っている。そして、全体として新聞は 読者から見捨てれれた。そんな気がする。

 友人は童顔。いつもニコニコしながら、ズバリと本質を抉るから、話していて痛快だ 。彼が長いこと駐在したシドニーの話は興味深かった。「シドニーは相続税がない」 という辺りに、何か、日本経済再生のカギがあるような気がする。

 もう一人は後輩記者。彼と酒を飲んだのは10年ぶり。「あの時はとても怖かった」 と言うが、そうなんだろうか。「怖かった」というセリフは、彼が記者として自信を持 った証拠なのだろう。

 雨が激しくなったが、あえて観音裏の「ひまわり」へ。店内に本物の桜の木を飾った 「桜まつり」開催中。桜まつりの間に、一度は顔を見せる、と約束したが、忙しくて行 けなかった。

 女将の話では、業者が大きい冷蔵庫にいれていた蕾の桜を飾ったのが先月20日。3 日後満開。すでに葉桜になっていた。

<何だか分からない今日の名文句>

悪口疲れ

4月1日(火) 診療所は「こころ」のモデル?

 たいとう診療所が今日から東京都台東区元浅草1−6−17(TEL03−5828 −8051)に移転した。都立白鳳高校の隣である。

 新築8階建て。診療所というより病院のような感じ。「訪問看護ステーションわっか 」「居宅介護支援事業所」が併設されている。

 東京に高知から進出して5年。診療所は大きく大きくなった。僕が「赤ひげ」と尊敬 する今井院長は朝早くから、診療所前の道路を箒で掃除するような男。時間をかけて、 丁寧に病状を説明するので患者の信頼が厚い。

 今井君に「おめでとう」と挨拶してから、4階のリハビリ室へ。窓が広く明るい。新 しい器具も備えている。若いから、今井君は冒険も出来るのだろう。

 「実は……」と男性スタッフが「秘密」を話してくれた。

 3月31日から始まったNHKの朝ドラ「こころ」。浅草が舞台の人情恋愛もの。う なぎ屋の娘がヒロインらしく、ヒロインが若手医師と知り合うところからドラマが始ま る。その青年医師を演じるのが、人気俳優・仲村とおる。仲村は何度か「たいとう診療 所」に出向き、診察の仕方から、往診の仕方まで勉強した。一度は今井君の往診に同行 して”助手”を勤めたこともあるらしい。

 診療所の面々は、そう言わないが、たいとう診療所の今井さんがモデルなのだろう。 ちょっとうれしい。

 テレビを改めて見たら、確かにエレベーターホールは本物とそっくりである。

 いつか「こころ」が人気番組になったら「こころ」のモデル散策記事が書けるかも知 れない。多分、うなぎ屋は、小さいけど、味は一番の「H」だろう。これは、当方の勝 手な推理。

 視聴率が上がると良いのだが、その時間帯、鳥ちゃんと渡辺さんが出る「スーパーモ ーニング」とかち合うので、どうしようか。

 リハビリが終わって、上野の山へ。桜は今日が満開。真っ白い、雪が積もったような 桜並木。3時ごろから花曇りになった。

 夜、たまちゃんの奥さんが九州から送ってくれた大量の車海老。どうしたものか、と 思案したが、名案が浮かばない。結局、近くの豚カツ屋のオヤジにフライにしてもらっ た。実にうまい。

 イラクは一進一退。ちょっと書きたくない心境。

 金沢の広岩君から清酒「太郎」が送られてきた。エビフライに日本酒も乙なもの。つ くづく平和って良いな、と「太郎」を傾ける。

 ちょっと酔って「フセインの馬鹿!ブッシュの馬鹿野郎!」と叫んでみた。

<何だか分からない今日の名文句>

友ごころ、遠方から来たる

3月31日(月) 誰が戦争を止めさせるのか?国会は機能せよ!

 血統評論家の山野浩一さんから愛馬・ゴールドアリユールのフェブラリーS優勝記念 QUOカードが贈られてきた。おめでとう。

 彼は多分”日本一の一口馬主”だろう。アリユールをはじめタイキトレジャー、アッ ミラール、ペイトリオティック、テンカタイヘイ……と持ち馬の数は数え切れない。種 牡馬ダンスングザダーク、ステイゴールドも彼の馬である。

 実に羨ましい。彼は「これは運ではない。才能だ」と自慢してばかりいる。が、確か に馬を見る目は確かなのだろう。(でも馬券は下手なような気もするけど)

 どの位、儲けているのか。今度、会ったら聞いてみよう。

 社台サラブレットクラブから「会員ご紹介キャンペーン」のお知らせがくる。会員を 紹介するとバックが貰える。会員がかなり減っている模様。やはり大部分の一口馬主も 損している証拠?

 要するに、この世は、どこもかしこも勝ち組、負け組の二極化。

 4月26日(土)にリニューアルオープンする東京競馬場。ついに改修工事が終わり 、31日午前11時から試走会が開かれた。

 素晴らしい芝。直線が長くなる。傾斜が微妙に変わった。武豊は「東京の2000は かなりタイムが短くなる」という。(興味津々の試走会の話はスポニチ「おけら街道」 でレポートする)

 試走会が終わってから気の合う仲間と調布・電通大近くの店で一杯。魚がメチャ新鮮 。おやじは、この辺りでは”指折り”の職人だろう。特に今日は、タコの刺身が抜群だ った。(お客が増えるので、店の名前は秘密)

 誰、言うとなく「イラク戦争を止めさせられるのは誰か?」という話になってしまっ た。

 戦争は泥沼に入ってしまった。日記で再三、書いているが、非戦を貫かねばテロの連 鎖が終わらない。

 抑止力を持つアメリカが我慢しなければいけないのに軽々しく「戦争ゲーム」に走る 。すでに500ぐらいの犠牲者が出ているだろう。

 ブッシュの無謀に「待った」をかけることが出来ない小泉さん。当然だが、中東を裏 切った?日本もテロの舞台になってしまう。

 フセインが悪者かどうか、は判断材料ではない。宗教戦争になってしまうか、どうか ーーが判断材料だ。

 国会は非戦決議をすべきだ。日本が出来ることは、まず、国権の最高機関が非戦の意 志表示をすることだ。

 今週の「ここだけの話」紙面の関係でお休み。先週、書いた「イラク戦争・非戦コラ ム」が何とも平凡で、少し気が滅入っていたが、これが意外にも好評?で(読者の手紙 が多かった、という程度の「好評」だが)第二弾を!と力が入っていた。だから、ちょ っぴり残念。

 夜、高速から千鳥ケ淵の桜を見ると、どうやら満開寸前。

 力の籠もった昨今の掲示板。うれしい限りだが、たまには、各地の桜便りを読んでみ たい気分。

 桜を見ると平和の尊さがよく分かる。

<何だか分からない今日の名文句>

団子より花
経済覇権より平和