編集長ヘッドライン日記 バックナンバー
2001.8月



8月30日(木) ことし最後の花火

 朝、ファックスの整理。朝日新聞大阪本社からゲラ。赤報隊事件に関するインタービュ ーをまとめたので、ゲラを点検して欲しい、とのこと。

 一時間も話したので、上手にまとまっているか、心配だったが、さすがに朝日のベテ ラン、確かに上手だ。9月4日付けの大阪、九州版に載る。

 原稿の締め切りを知らせるFAX数件。ちょっと留守をすると、仕事が山積み?にな る。これが原稿依頼がなくなると、落ち込むだろう。仕事があるのは幸せだ。

 午前中、政界取材。さるたることなし。

 社台から「優勝賞金」の分配に関するお知らせの文書。トンと優勝していなかったの で、システムが変わっていたのに気づかなかった。

 愛馬・デリッキットは「3歳500万円下」のレースで優勝した。JRAから優勝受賞 賞金が出る。その賞金を出資者、つまり40人の一口馬主で分配することになったらし い。

 JRAが買った純金メダルは450・10グラム。50万円。市場価格は493 310円。これを一口馬主40人で分けるとしたらどうすれば良いのか。

 メダルを壊す訳にはいかないから、金に換える方法を考えた。会員に「メダルが欲し い人」がいたら、その人に買ってもらう。いなかったら、市場で売る。そして、会員全 員に、換金された賞金を配るやり方である。

 とても、50万円を用意することは出来ないから「購入の意志なし」に○をつける。

 世知がない世の中。金持ちの個人馬主も、賞品の金メダルを売るひとが多いそうだが 、そのくらいなら、金の延べ棒を配った方がいい、という冗談もある。

 夕方、府中競馬場で、ことし最後?の花火大会。地元サービスの行事で、JRAは3 、4000万円も使うらしい。それに相応しいファンタジックな大花輪。これで、夏も 同じか。

 親友が「うまい!」と言う「味川寿司」(調布市東つつじケ丘2−27−4、TEL 03−3309−6878)に行く。確かに旨い。凄くうまい。

 北海道の大トロ。サンマの刺身、穴子の肝。青魚を選んで食べる。オヤジが、博学だ が、偉そうなところがないのが良い。

 減食していたので、胃が小さくなったのか、すぐ腹がいっぱいになったが、こんな美 味に会うことはないから、ついつい「おみや」まで貰った。

<何だか分からない今日の名文句>

私鉄沿線に美食あり



8月29日(水) 「負」の連鎖

 旅ごころを一掃するためでもあるが、朝から新聞、週刊誌を次々に読む。旅先で新聞 を読むのと、東京に向かって読むのでは「感覚」が違う。読後感というか、緊張度が違 う。

 冷静に記事を読み返すと、内閣の経済運営は最悪のところに来ている、という感 が強い。

 森さんの「神の国」発言と小泉さんの「靖国参拝」発言。根にあるものは同じだが、 国民の受け取り方は大違い。森は悪、小泉は善。

 経済運営に関しても同じことが言える。森さんで東証平均株価が1万2000円を割 り込んだら、首相交代の声があがる。小泉さんなら、1万1000円で、どうだろうか 。

 世論を味方に付けた小泉さんは強い。マスコミも、真っ正面から、イチャモンを付け ない。

 しかし、この経済の泥沼を放置していいのか。株の値下がりから、やって来る「負の 連鎖」。力のある奴は生き延び、力のない奴は……。「痛み」という名の差別でもある 。

 その内に、テレビで「終わり値1万0979円」。大変な事態だが、新聞は冷静であ る。

 午後、スポニチのお偉いさんから携帯に電話。「タキオンが正式に引退する。いま、 記者会見をしているんですが、感想を書いてくれないか」という注文。

 タキオンは21世紀最初の3冠馬、と信じていたから、残念だ。うまく書けたどうか分 からないが約30分で50行、書き上げる。

 3000万円で60口。総額18億円のシンジケートが用意されている、と聞いてい たが、果たして、この馬、種牡馬として、それだけの稼ぎをあげられるか。

 ラムタラ・シンジケートの失敗を見ているから、不安。また、馬産地がババを引くよ うな気もする。

 深夜、株安で動き回り人の情報。忙しくなっている。

 続いて、秋の疑獄事件の予測情報。「ある金融機関が演歌歌手関連企業に莫大な貸し 倒れ。これが最初の事件」という予測。民主党の北海道選出の国会議員と某労組の癒着 。これは、噂の域を出ていない。

 それにしても、改革断行のために、国民の関心を事件に向かわせたいのが、小泉内閣 の意向?

 何回も書いているマイカルも、立ち往生が続き、ダイエーはそれより厳しいリストラ の嵐。

 9月は危機?刻々と迫っている。

<何だか分からない今日の名文句>

旅ゆけば、名血の引退



8月28日(火) 男の隠れ家

 苫小牧に泊まった。王子製紙城下町。ホテルも、病院も、住宅も、マンションも、す べて「王子」。

 北海道の中では、経済活動が盛んな街だ。「新築マンション即日完売」の看板。今時 、珍しい。市役所の近くに、地元の新聞社が並んでいる。小さな新聞社が潰れないのが 、うれしい。

 前夜は大雨。まだポツリポツリとしていので、太平洋は灰色。仕方ないので、ホテル のパソコンを動かす。

 久しぶりに掲示板を見る。なかなかの盛況。でも旅心で読むと、正直言って、やたら 固いテーマばかりと言う気がする。僕だけだろうか。

 「無粋」とは言わないが、もう少しお洒落な情報も欲しい。旅ごころ故の贅沢?

 Jrが町内の「髪結い」が作ってくれた「二代目魁」の木札(江戸根付け)を写真入 りで、紹介してくれた。

 写真が今一つで、その「芸術性」が分からない?が、本物は実に素晴らしい。江戸情 緒たっぷり。気に入った。

 「魁グッズ」第一号。これからは「当てもの」の商品にするつもりだが、出来上がる まで1ヶ月はかかる。

 11時、日が射したので、今週、ゴルフのマッチプレーの会場になる「ニドム」を見 学する。「ニドム」はアイヌ語で「豊かな森」。針葉樹が450万ヘクタールの広大な 敷地に広がる。みずみずしい。軽井沢なんて、メじゃない。

 ログハウスが併設されているようだが、男の隠れ家に最適? 新千歳空港から20分 足らず。一度は泊まってみたい。

 北海道に来れば、牧場巡り。生まれて6ヶ月のエルコンドルの子供(母親は秘密)を 見せてもらう。馬格が立派だ。これ、大物になるかも。社台の一口馬主向けになるらし いが、来年は、この馬を取りたい。この秘密の馬、誰にも教えないゾ。と、言いながら 、日記に書くなんて、馬鹿だなあ。

 そろそろ、懐が寒くなった。帰るか。夏休みもこれで終わり。明日から、徐々に、ペ ースを上げるか。

<何だか分からない今日の名文句>

旅ゆけば、名血の香り



8月27日(月) 外国人、入浴お断り

 小樽に泊まった。起きると、そぼ降る雨。古い旅籠で和洋折衷の朝飯を食う。

 食堂で新聞数紙と月刊「おとる」を読む。テレビは出来るだけ見ないでおこう。テレ ビを見ると、スピードも、興味も、趣味もワイドショー的になる。旅にいる間はせめて 「テレビなし」で行きたい。

 月刊「おたる」9月号で、編集者氏が「フォーカスの休刊の理由は発行部数の低迷。 身につまされる」と書いている。フォーカスの続投不能には判断が分かれるところだが 、編集者氏は「本離れの急激な流れが、人に取って、国に取って問題を抱えている」と 不安がっている。

 郷土誌を作っている立場から見れば、映像だけで故郷・小樽に遊びに来て、映像だけ の歴史を理解して、観光客が帰っていく。そこで「経済」が回っているのが、不安なの だろう。

 同誌の巻頭で「トウキビと開拓の歴史」を読み、知識を得る。明治4年、大麦、小麦 、燕麦の試作。その翌年のトウモロコシの試作。このころから、秋の味覚が日本のもの になった、ということか。

 部屋に戻って「ここだけの話」を書く。言葉のイメージを大事にするラジオの奮闘ぶ りを書く。

 若干の観光。雨でも、運河沿いに観光客が結構いる。

 ちょっと離れた「小樽天然温泉・湯の花」を覗く。実は、先日の日本民間放送連盟賞 の審査で聞いた北海道放送の「ジャパニーズ・オンリー 外国人『入浴お断り』の波紋 」の舞台になった銭湯である。

 入浴のマナーを知らない外国人を「入浴お断り」にしたら「人種差別だ」と訴えられ た騒ぎ。興味がある。日本は「開国半ば」のような気がして、興味がある。行く行く、 何かに書きたいと、そっと“見学”。

 今、現在は張り紙で「入浴の条件」を明示して、入浴を認めているようだが、外国人 のお客はいなかったようだ。

 有希がサンフランシスコに向かったようだが、無事、着いただろうか。ちょっと気に なる。

 夜、少し、雨が激しくなる。どこに泊まろうか。

<何だか分からない今日の名文句>

旅行けば、和洋折衷の香り



8月26日(日) 北の「勝ち組・負け組」

 土曜日から、この夏最初で最後の“本格的リフレッシュ”と称して(若干の史実調査?という側面もあるが 要するに「遊び」)根室本線の沿線に来る。

 単線の根室本線は二両編成。一両ということもあるらしい。線路に秋桜が咲いている。

 芦別の駅は寂れていた。人影がない。タクシー乗り場にタクシーが一台。女性の運転手が手持ち無沙汰だ。  その隣の赤平の駅は、駅が「交流センター」になっているモダンな駅舎。お年寄りの文化活動が盛んで、町に 幾分、活気がある。

 そこから約30キロの富良野は、ラベンダー人気で観光客が殺到している。 根室本線に勝ち組、負け組? 石炭に沸いた町が死にそうである。

 デスクから「断り」の携帯。土曜日の「競馬はロマン」で大阪本社から苦情があった。 記事に「子は鎹」とあるが、それは差別用語になり兼ねない。だから、大阪本 社は掲載しなかった、との「断り」である。

 「子供のいない人は、この表現、記事の全体的な流れで傷つく」という判断だという。

 デスクは「東京本社では、問題なし、なんですが」。

 翌朝、もう一度、自分の記事を読み返そうと、赤平で「毎日新聞販売店」を探し「毎日、下さい」と言うと、 朝刊売り切れ、スポニチ売り切れ。前夜の夕刊だけが、一部残っていた。

 読み返すと、確かに「子供がない人」が不快感を持つかもしれないが……それほど神経質にならなくても良い ようにも思う。

 万人が納得する表現だけで書いていたら、文章は死んでしまう……。日本語は死ぬ。

 多分、差別用語を見つけては、いちゃもんをつける「人権派」を意識して、自己規制するのだろう。

 僕としてはとても納得出来かねるが、編集権は当方にないのだから仕方ない。

 デリッキットが札幌の9レースに出る。これ、偶然。函館本線と並んだ道央自動車道を突っ走って、 札幌に出ると、北海道マラソンで通行止め。慌てる。

 やっとことで、北大近くの競馬場にたどり着くと、お目当てのレース。

 元気がいいと聞いていたが、ポンと出ると、そのまま。 予想もしなかった逃げ切り勝ち。これで28戦2勝。小躍りする。  気分壮快。嫌なことなど、すぐ忘れる。競馬って、最高の道楽だ。

 夕方、強いにわか雨。夕日はぼんやり。日本海がどんよりしている。

 さて、どこに泊まるか。

<何だか分からない今日の名文句>

旅行けば、携帯の追っかけ



8月23日(木) 大事件は9月中旬発覚?

 パソコンのプリンターが故障。同じビルの住民に来て貰うと、かなりの重症。

 NECのサービスセンターに助けを求めよう、と思ったが、彼の一言。 「やすい新品を買ったほうがいい」。どうしたモノか。

 昼、出社。石寒太と中島嬢と昼飯。とろろ蕎麦。石のおごり。

 没100年の松岡子規の話を聞く。「子規」とはホトトギスのこと。泣いて血を吐くホトトギス。 カリエスで余命幾ばくもない時の彼の「健啖ぶり」。驚くばかりだ。

 ウナギが好きだったらしい。その他、すいか、柿。当時としては贅沢だ。 「出戻りの妹さん」との交流もおもしろい。

 35歳でなくなるが、自ら、書いた墓碑銘(東京北区大竜寺境内)には「日本新聞社員」とあり、 文学者としてよりはジャーナリストとしての誇りを持っていた、という。 石から幾つか資料を貰う。

 石からの相談は、しりとり俳句の「レベル」について。 素人が楽しむレベルにするか、ベテランを大事にするか。石、悩んでいる。

 夕方、取材先との雑談で「大疑獄事件」が話題になる。 参院選まで鳴りを潜めていた捜査当局も9月中旬から、走り出す。

 新しい地検の特捜部長は警察とウマがあうそうで、警視庁捜査2課も張り切っている。 「小泉は改革のためには、疑獄事件をテコにする」という見方もある。

 4、5件の具体的な筋書きがあるようだが……9月中旬にも摘発?

 順次、事件は明らかにしたい。

 昔の仲間から「アイツと連絡がつかない」との心配ごとを打ち開けられる。 何かの手違いとは、思うのだが……奴、俺のHPを読んでいるハズ。 俺がを仲人したF、連絡してくれ!

 夜、体重計に乗ると、体重がかなり減っているので、少し、栄養をつけようと、町内の「赤兎」へ。 米沢牛の網焼き。美味。元力士のオヤジの腕は確か。 町内の髪結いの勧めだったが、いい店をまた一つ知った。

 週末は、秋に備えて、夏最後のレジャーと行くか。

<何だか分からない今日の名文句>

秋は、デカと賄賂野郎の100日戦争



8月22日(水)「朝日」と「新潮」はお友達?

 牛歩鈍行台風に惑わされて、外出できず、家の中でブラブラ。珍しく週刊誌の隅から隅まで読んでしまった。

 「やるだろうな」と予想していた週刊新潮の「朝日社説」批判。「靖国の次は天皇戦争責任に及んだ8月15日朝日社説の不穏」という仰々しい見出しである。

 要約すれば、朝日新聞は天皇の戦争責任と言うけれど、戦前、日本の天皇制は立憲君主制。天皇には実質的な統帥権はなかったから、開戦を「やめろ!」とは言えなかった。

 むしろ、戦争責任を追及されるべきは朝日新聞であるーーと言った論旨である。いつもの調子である。

 確かに、朝日新聞は8月15日の社説で天皇の戦争責任に言及している。(それも、かなり中途半端で「古い葉が落ちて新しい芽がでるのではない。新しい芽が出るので古い葉が落ちるんです」と言った分かったような分からないような情緒的駄文だが、とにかく「天皇の戦争責任」に触れた)

 まあ、僕から見れば「アリバイ平和主義の、いざとなれば権力のお先棒を担ぐ、朝日新聞のご存じ『十八番』。臭い臭い」と言いたいところだが「新潮」さん。例によって「憎っくき朝日」とばかりに罵言雑音。

 「労働組合が衰退し、ベルリンの壁が崩れ、地上の楽園と言われた北朝鮮の実体が暴露され、改正阻止を唱えた少年法問題も敗北して、朝日ジャーナリズムの劣勢は目を覆うばかりだ」とまで書く。

 それほど、影響力がなくなった朝日新聞なら、どんな社説を書いたっていいじゃないか。

 それなのに10年1日、朝日は「どこの国の新聞だ?非国民新聞だ」と言わんばかりに、批判する「新潮」さん。どうもおかしい。

 別に新潮が、そう書いたとしても、直ぐさま、テロが起こるなんてことは、ないとは思うが、過去に「おっちょこちょいの正義派」が、テロに走ったことはある。

 だが、よくよく考えて見れば、五十五年体制の自民党と社会党のようなもので、実は「朝日と新潮」、無意識にお友達になっている。論争、それ自体がヤラセである。

 朝日を敵に回す「商売」は、特別の取材努力をせずに、トップ記事が出来る。安上がりだ。それに、何よりも大義名文がつく。

 朝日は朝日で、右翼的言辞の新潮に虐められるインテリを演じていれば、一定の商売が出来る、と心密かに、歓迎している。

 これ「出来レース」だ。それこそ、ともに影響力を失いつつあるメディアが考えつく「生き残り策」ではないか。

 そんな商売に「天皇の戦争責任」云々と言われるのは片腹痛い。(もっとも、毎日にも、朝日のような紙面を作ればいい、なんて考える古典的没個性派もいるから、偉そうなことは言えないけど)

 何て、勝手なことを考えていたら、何の前触れもなく、台風11号、関東通過。何か「凄いぞ。大きい台風だぞ」と聞かせれていたが、やって来てみたら「並の低気圧」なんてこともある。

 「靖国論争」も、国民ひとりひとりに立ち返ってみれば、自然体で対処すれば良い「並の懸案」かも知れない。

<何だか分からない今日の名文句>

水面下の握手



8月21日(火) ホームレス無情

 日本民間放送連盟賞の審査で、朝10時から午後7時まで“缶詰め”。今年も、ラジ オ報道番組部門の最終審査を担当した。

 審査員は僕の他に「世界」の岡本厚編集長、映画監督の佐藤真さん、評論家の樋口恵 子さん、東大助教授の水越伸さん。応募作品32の内、7作品が最終審査に残っていた 。

 朝10時から、この7作品をすべて聞き終わるのが、4時過ぎ。それから、受賞作品 を5審査員の投票で決める。

 予想通り、3つの作品に票が割れた。5人で話し合う。結果的に僕が選んだ作品が選 ばれたが、若干、時間がかかった。

 講評をテープに収めて、解放されたのは午後7時。長丁場だった。審査結果は公表で きないが、実に「巧みな作品」が選ばれ、良かった。

 会場の文藝春秋西館から外に出ると、まだ、台風は来ていない。タクシーの運転手さ んに聞くと「あすの朝9時ごろ、関東地方に来る」という。牛歩台風である。

 帰宅すると、学研からFAX。例のM文庫「マスコミ芸能界笑辞典」の表紙が出来上 がった。見ると表紙は小泉さん、真紀子さん、田中康夫さんの顔がマンガになっている 。編集者の趣味だと思うが、一つぐらいは、こんな風刺本スタイルもいいだろう。

 長い時間、一つの机の前に座っていたので、麻痺している右足がうまく動かない。外 は霧雨ではあるが、約1時間、雨に打たれて歩く。歩かないと、足が硬直してしまうよ うに思うのだ。

 台風はゆっくりゆっくりしている。深夜、原稿を書き上げ、テレビを見ると、やっと 上陸したという。

 下手をすると明日(22日)はまるで動けなくなるかも知れない。こんな時、障害者 は立ち往生する。ちょっと悲しい。

 仕事場脇の隅田川を眺めると、対岸の両国側の青いテントから男が起き出して「流れ 」を見つめている。

 彼のテントは遊歩道に“建設”されているが、水量が目に見えて増加している。床下 (上)浸水を心配しているのか。

 台風が来ると、ホームレス無情を感じる。

<何だか分からない今日の名文句>

浮遊の一期



8月20日(月) 台風来る

 急な注文で、早朝「世界週報」の原稿を書く。「靖国問題」の特集をしたいらしく、 いつものローテーションとは別に書いて欲しい、とのこと。

 正直言って、僕には荷が重いテーマだが、歴史的にこの問題には政治家の「軽はずみ の人気取り」があるのに、誰もこの視点に言及しない。であれば、ということで書く気 持ちになった。

 三木、中曽根、小泉の流れを一気に書く。

 昼、一時間、昼寝。

 「おけら街道」を書いているうちに腹が減り、午後4時ごろ、浅草橋駅の前の蕎麦や で「もり」。470円。テーブルの上に、大根おろしがふんだんにあり、サービス。良 心的である。

 テレビは甲子園準決勝。横浜、9回の攻撃で、大逆転の流れだったが、日大三高、踏 ん張って、その裏、サヨナラ。蕎麦屋で甲子園を見るなんて久しぶり。まるで昭和30 年代の「街頭テレビのプロレス」のようだ。いい試合だった。

 兄弟校のよしみで、決勝は日大三高を応援するぞ!

 5時、麻布十番のJRA事務所へ。記者の北海道牧場巡りにJRAの広報部員が同行 しているので、事務所はガラガラ。取材?にならない。

 内幸町の眼鏡屋で新品を受け取り、地下の床屋。歩いて5分のプレスセンター・日本 記者クラブで野暮用一件。

 午後8時、外へ出るとひんやりしている。プレスセンターから3分の日比谷シティか らハワイアンが聞こえて来た。

 ハワイアンとフラダンス。30分、楽しむ。むろん無料。お客さん、ガラガラだが、 何か別世界に行った気分。こんな孤独も、良し。

 「トロピカルガーデンIN日比谷シティ」の催しは9月7日までのウイークデー、毎 夜、行われる。

 午後9時過ぎ、帰宅。風の気配が台風襲来を予感する。

<何だか分からない今日の名文句>

ビルの谷間のコンサート



8月19日(日) バブル産駒、初勝ち

 17日の金曜日に朝日新聞大阪本社の記者氏、来訪。赤報隊の件。テロとその時代背 景について、取材に応じる。

 18日、うれしいことがあった。

 「40人分の1」の権利を持つバブルガムフェロー。種牡馬になって3年。今年、2 歳馬が走るようになったが、小倉で、その一頭・ユウキャナリーが新馬戦で完勝する。 種牡馬・バブル、初勝利だ。これは強そうだ。

 缶ビール3本開ける。うまい。別に、当方に経済的な余録が入る訳でもないが、現役 時代、皐月賞直前、骨折した、あのショックを思い出し、種牡馬生活に幸多かれ、と祈 る。

 19日、僕に取って「5頭目の愛馬」リングレット、新潟に参戦。どうしたこと か、単勝200円の一番人気。妙なこともあるな、と思っていたが「やっぱり!」の4 着。この馬、エンジンが掛かるのに時間がかかるので、信頼は置けぬ。

 でも、丈夫で良く走る。馬主孝行の部類かも。

 Uターンラッシュ。お盆休みも今日まで。

 19日の毎日新聞政治面はお得意の検証もの。「検証 靖国参拝15日回避」が読ま せる。

 回避の舞台裏で中心人物を努めたのは福田官房長官。谷野作太郎が知恵者、のような 記述になっている。

 谷野氏は前駐中国大使。鈴木内閣の秘書官だった彼の家に夜回りしたことを思い出す 。彼なら、知恵を出す。

 真紀子外相抜きの打開策で、次第に福田の影響力が強くなっている。これが吉とでる か、凶と出るか。

 当の小泉さんは箱根プリンスに滞在。森前首相をはじめ、結構、大物と会っている様 子である。

 清和会(福田派)時代から、プリンスホテルとは深い間柄だから、マスコミに隠れて 、人に会うのに、ホテル側が最大限の配慮をして「秘密」を守ってくれる。

 もっとも、真紀子さんの仇敵・××君は、このホテルにも“情報機関”を持っている という噂もあるから、油断出来ないが。

 いずれにしても、9月まで、政界は小休止。

 「マイカルは、どうしたの?」と、数日前の日記に書いていたが、新聞に「外資の数 社と提携交渉」が載る。やっと書いたか、という印象。

 最近、タイミングを逸した記事が多いような気もする。

 果たして提携出来るのか。まだ、行方は霧の中。マイカルが「痛みの構造改革第1弾 」になるかどうかで、秋の様相は変わる。

 台風11号、かなり大きそうだ。

<何だか分からない今日の名文句>

盆過ぎての鯖商い



8月16日(木) ドナウの心中?

 久ぶりのリハビリ。みんなから「スリムになった」と褒められる。只今、体重6 6キロ。体脂肪17〜20ぐらい。これを維持したい。

 家に帰ると、友人の未亡人から伊勢エビのプレゼント。未亡人の父上が海に入っ て取るらしい。友人が生前「奴は伊勢エビが大好物」と言っていたのを覚えているのだ ろう。毎年、10匹程度送ってくれる。

 感謝。でも体重維持を考えると、どうしたものか。考えたあげく、町内の小料理 「都」にお裾分け。喜んで貰う。

 午後、出社するが、まだ、街も社内も閑散。これ、というニュースもないよう だ。

 ちょっと気になるのは、ウイーンとその近郊のドナウ川で日本人男女が水死体で 発見された報道。別々の場所で発見されたが心中らしい。芸術家志望?の男女。夕刊フ ジにしか報道されていないが、遺書に「日本の宗教団体に追われている」とあった、と いう。少〜し気になる。

 机の上の郵便物の整理。読者からのお手紙、結構、来ている。出来るだけ、ご返 事をーーと思うのだが、ままならない。お許し願いたい。

 お手紙の中で、おもしろかったのは、金券ショップで大量に「かもめーるはが き」が販売されている街。その駅前で郵便局員が「かもめーるはがきあります」と声をか らしている、とのレポート。つい、笑ってしまった。

 これが、日本国なんだろう。「何か、変だぞ!にっぽん」なんて企画になるよう なネタである。

 夕方、ネオン街に繰り出そう、と思ったが「どこも休み」と聞かされる。

 早寝早起きにするか。

<何だか分からない今日の名文句>

腹八分、早寝早起き、良い熟年



8月15日(水) マイカルはどうなるの?

 朝、市川駅前の銀行へ行く。女子行員が何度か電話を掛けてきて「定期預金にしたら 」と勧める。わずかばかりの金額なのに、嫌に熱心である。

 ちょうど、送金する用事があったので、久しぶりにその銀行へ行くと、行員たちの応 対がすこぶる丁寧である。驚いた。

 この銀行、10年以上前だが「定期預金を解約する」と申し出たら、根堀り葉堀り「 理由」を聞き、数時間もかかった。その頃とは、大分、様変わりした。

 やっとサービス業と認識したのか。

 でも、まだまだ貸付係は横柄だとも聞く。銀行のお客さんは「借りてくれる人」。と ころが、ここでは精神的に立場が逆転して、お客が頭を下げる。金融って妙だ。

 この銀行が、メインバンクを勤めるマイカルはどうなるのか。手形決済が集中する8 月15日が「破綻Xデー」と言われたけれど……。

 マイカルの負債総額は1兆円程度。追加支援の方向が報じられ、今日(15日)の午 前中は株価が上がっているが、どうだろうか。

 「聖域なし痛み」の第1号、と囁かれながら、延命する。それで良いのか、悪いのか 。難しい。

 総理が箱根に山籠もりする間は、何も起こらない、と言うのが、仲間の意見だ。

 夕方、浅草観音へ。終戦の日は「灯籠流し」。小さい時から、神、仏、関係なく、観 音様では手を合わす習慣だから、なんでもかんでも祈り、なんでもかんでも、神様にご勘 弁を願う。

 終戦記念日もいつものように、ここで手を合わせ、僕なりの戦没者慰霊を済ます。

 神は自らの内にある、というのが僕の考え。宗教法人は僕には必要ない。

 午後、6時、灯籠に火がともって、お堂は明るくなる。いつもより、参拝客が多いの か、午後8時ごろまで、にぎ合う。

 新仲道で、友人に送る「焼きたて煎餅」を買い、ドラックで「エビオス」。本屋で「 文藝春秋」を買い求める。

 掲示板の常連さんの投書が「三人の卓子」に載っているというので、まず、そこから 読む。

 あったあった。いつ通りの等身大の文章。肩に力の入らない彼女の文章が好きだ。

 意外だったのは、彼女の年齢。ウン歳とは思わなかった。失礼ながら、文章からする と、もう少し高齢と思っていた。

 夜。NHKスペシャル「戦争を知らない君たちへ」。 ことしほど「特攻」が話題になったのは珍しい。小泉効果?

<何だか分からない今日の名文句>

誰も戦争を知らない世の中になる」



8月14日(火) 理に傾けば角がたつ

   朝、新聞で靖国神社参拝の「首相の談話」全文を読む。誰が、この文章の「たたき台 」を作ったのか。

 「15日参拝の談話」も用意されていたというから、読んでみたい。

 結局「15日以外の参拝の談話」が発表されたが「慚愧の念に堪えません」といった 辺りの表現は「小泉流」なのか。新聞によっては「迷走」とか「肩すかし」とか、批判 めいて書いているが、まあ、今となっては現実的な選択かもしれない。

 夕方、「一読者」と名乗る方からメールが届く。

 夕刊の「ここだけの話・いくつもあるから『正義』」を読んだ上の感想だと思う。

 分かりやすい論旨なので勝手に全文引用させて貰う。

 「件名・小泉首相の靖国神社参拝について

 問題点が以下2点に絞られる。

 (1)現首相が靖国神社に参拝すること。

 (2)大東亜戦争の終戦日の8/15に参拝すること。靖国神社は戦いの国事に倒れ た人を祭るところである。戦いで国事にたおれた人は戦犯であるか否かは関係ない。

 戦争が終われば勝者が敗者を裁くのは歴史の常である。極東軍事裁判のA級戦犯、B 級戦犯、C級戦犯及び、外地の現地の軍事法廷で裁かれた戦犯で刑を執行された人は勝 者が敗者を裁いた結果である。

 A級戦犯が祭られていることに異論を唱える人がいるが、大東亞戦争はA級戦犯が個 人の責任で参戦したのではないことは理論的に明らかである。

 責任は日本人全体にあるというべきである。そして、その最高責任者は昭和天皇であ る。A級戦犯が祭られている云々と言う人は、その最高責任者の昭和天皇の責任を追及 しないとロジックが成立しない。

 では、それらの人々は昭和天皇の戦争責任を追及することを認識しているのか。

 最近の戦いの国事でたおれた人は大東亞戦争でたおれた人々である。その国事が終わ った日は終戦日8/15である。

 その日に参拝することが戦いの国事にたおれた人を祭る最も理にかなうものである。

 外国の国々がエゴイズムを以て8/15ととやかく言うのは全く理が通っていないの である。一読者」

 引用させて貰ったのは、靖国神社問題の一つの側面に関する「整理された文章」と思 ったからだ。

 一つの「正論」である。参拝積極論を分かりやすく整理すれば、多分、こんな論旨に なるのだろう。「お手本」のような意見である。

 が、僕はこの「一読者」さんの意見を「沢山ある正義」の一つとして理解したい。

 戦争は国事かどうか、まず疑問だ。それは意見が分かれるところで、「一読者」さん の意見が理にかなったとしても、それは戦争の実態とあまりにかけ離れたところから 議論している。

 「日本人全体の責任」とは言いかねる部分がある。当時の指導者(もちろん、新聞も その一つだが)がまず「狂気」に走った。やむにやまれぬ行為と評価するかたも多いが 、果たして、そうだったのか。「やむにやまれぬ行為」と言えたとしても、指導者は「 狂気」に走った。

 日本人の多くは戦地に行きたくはなかった。本音の叫びを性格に捕らえなくてはなら ない。

 人々は、時の全体主義とその「お先棒」の世論操作に負け、確かに初戦の大勝に酔っ たこともある。

 しかし、内心で日本人は等しく「戦争は嫌だ」と叫びたかった。叫んでいる。

 日本人に広い意味で「戦争責任」は理論的に存在するとしても、現実には「戦争の犠 牲者」である。その点をはっきりしておきたい。

 恐ろしいのは「全体主義」である。

 全体主義のシンボルとして、意図された靖国参拝には、反対したい。

 僕の意見も「沢山ある正義」の一つとして、考えて貰いたい。

 経済的に、精神的に行き詰まった日本国が「過去の過ち」を忘れ、全体主義の方向に 引きずり込まれる不安を感じる。

 「一読者」さんのご意見も「正義」であり、僕の意見も「正義」。「一つだけの正義」ほ ど、危険なものはない。

 聞く耳を持たない「正義派」が一番、危険なのだ。

<何だか分からない今日の名文句>

反論を許すのが「正論」



8月13日(月) 「下書き」と「清書」

   朝、黒猫ヤマト宅急便で「マスコミ笑辞典」のゲラ直しを学習研究社に送る。

 10月中旬に刊行の予定。やっと目鼻がついたので、改めて「柳橋物語」を再開する か。

 ただ「本にまとめるのなら、ホームページで発表するのはマイナス」という編集者の強 い意見もある。それこそ、熟慮が必要。

 9時半に仕事場を出て、約1時間半で松戸競輪。競輪好きの仲間からの誘い。先月の 「一泊二日の前橋競輪旅打ち」をキャンセルしたので「今回は必ず参加する」と約束し ていた。

 競輪は推理がおもしろい。何度も何度も「展開」を読む。選手の気性、人間関係、調 子……すべての要素を総合判断して「彼の人生はこれしかない」と決断する。この醍醐 味!

 競輪新聞の上で幾つも「人生の下書き」をして「清書」する。「清書」とは車券 を買うことである。

 そして、裏切られる。

 2勝4敗。ちょっと負ける。

 みんな負けたので、と言うわけでもないが、ご苦労会は質素にして簡。小ジョッキ 杯に枝豆で済まし、常磐線で帰る。

 友人から手紙多数。お盆休みで、手紙を書く余裕が出来たのか。

 尊敬する友人の手紙の一節。

 「この国での論議が余りにも『信教の自由』について軽薄であること、哀しくてなり ません。ご承知の通り『信仰者にとって“信仰”は当然のごとく憲法をも超えるもので ある」という大前提のもとに、憲法の秩序に服することを国民の義務としているわけで すので、憲法解釈をするとすれば、どの範囲で自由であるかを論ずるべきではないか、 と思っています」

 その通りだ。

 彼もそうだろうと思うが「天皇のために死ぬ」ことを宗教と考えて「憲法を超える価 値観」と言い出したりする輩が出たら……日本は危うい。

 人生、書き直しは出来る(と信じている)。しかし、人々に、書き直しが出来ない「 殉死」を求めた「狂気の靖国神社」を僕は宗教と認めない。

 何度か、書いたが、戦争の犠牲者は日本国である。近隣諸国に遠慮した、という表現 で、靖国参拝の日時を変えた、というのは、すり替えだ。

 「戦争責任を明確にする政治的約束ごととして、指導者はA級戦犯を参拝しない」と いうのが、犠牲国・日本の立場ではないのか。

 夜、「ここだけの話」のゲラ直し。どうも、歯切れの悪い文章で、恥かしいが、ギリ ギリのところで、書いている。

<何だか分からない今日の名文句>

全体主義か、書き直しが出来る「主義」か



8月12日(日) 微睡み

   肌寒いほどの木陰。オープンカフェで、苦いコーヒーを飲みながら、ボサッとした時 間を過ごした。

 僕はこの街が好きだ。この街の緑が好きだ。

 「ここだけの話」で「危険な全体主義の足音」を書きたいのだが、うまく書けず苦渋 する。

 5月3日の朝日新聞で後藤田正晴氏が「今の世相をみると、昭和1桁後半(1930 〜35年)の時代にだんだん似てきつつある。軍国主義のお先棒を担ぐ新聞が出始めた 」と看破している。

 この「お先棒」をうまく書きたいのだが、旨く書けない。

 「秋の鳥が来ていますよ」と誰かが、話している。

 原稿のことなど忘れて目をつぶっていたい。

 目を覚ましてみたら、急に霧がかかっていた。視界10メートル。

 この街で開催中のプロゴルフはどうなるのかしら、などと関係ないのに心配したりす る。

 たまちゃんから携帯がなる。携帯は、どこまでも追いかけてくる。

 札幌の7レース、愛馬デリキッドは惜しいところで3着だったという。「ワイドで万 馬券ですよ。儲かりましたね」と興奮気味に言うけれど、何か、木陰の微睡みとギャン ブルは相容れないような感じだ。

 ほんのわずかなお休み。

 靖国という宿題がなかったら、もっと、日本人は伸び伸びできるのに。

 夜、出来の悪い「ここだけの話」を出稿する。

<何だか分からない今日の名文句>

右を見たら、昔の左だった



8月9日(木) 酔っぱらっちゃた

 一週間前、パソコンの調子がおかしくなった。通信が出来なくなった。ホーム ページも読めないし、メールのやり取りも出来ない。(日記はモバイルで書いて、送稿し ている)

 「機械」が暑さで不安定になったのだろう、と非科学的なことを考え、電源 を切っておけば自然に直るのではないか、などと判断した。

 「機械」も休むべきだ。

 だが、1週間たっても直らないので、同じビルの住民に「修理」を依頼する。

 昼休みにやって来た彼、コードを外して、もう一度、入れ替えると簡単に治っ た。達人!

 ありがとう。

 早く修理を頼めばよかったのに、何故ぐずぐずしていたのか。反省する。

 が、深〜く考えると、心の片隅で「パソコンがない生活」に憧れのようなものを 感じていたような気もする。この世から、すべてのパソコンが消えていって欲しい、よ うな衝動に駆られた。

 妙な気分だ。

 掲示版に「何故、書き込みに参加しないのか?」というのが入っている。

 参加もする。が、参加しない時もある。掲示板って、そんなものじゃあないか。 主宰者であったとしても、あまり義理立てして、参加することもない、と思っている。

 そう言う「いい加減さ」が掲示板の良さではないか。分かって欲しい。

 パソコンが一日の行動を指図するような生活。ちょっと嫌になることもある。

 妙な気分だ。

 午後、お盆休みのせがれ夫婦が優之介をつれてやってくる。深川の閻魔堂に墓参 り。

 夜。久しぶりに飲む。二人で350ミリリットル缶11本。倒れてから約9年半。 こんなに飲んだのははじめてだ。気分、すこぶる良い。足がふらふらする。

 かなり酩酊したので、日記はここまで。失礼する。

 グッナイ!

<何だか分からない今日の名文句>

酒は飲んでも飲まれちゃならぬ でも飲まれたい



8月8日(水) 旧盆らしい怪談?

   野暮用で新橋に向かう途中のタクシー。携帯電話が掛かって来たので応対する。どう でも良い話で、電話を切ると「お客さん、競馬好きなんですか?」と運転手さんが尋ね る。

 何で、分かるんだ?

 競馬の話をした訳でもないのに妙だ。競馬好きの顔、形ってあるのか?

 「まあ、好きな方だ」と曖昧に答えると「儲かりますか?」。

 そう言われると、持論を話さざるを得ない。

 「儲かるハズないじゃないか。競馬というものは当たることがあっても、儲かること はない。誰がやっても同じだ」と話すと「詳しいですね。でも、私の営業所では、競馬 で1億円儲けて運転手を辞めた奴がいる。貯金通帳を見せてもらったから、間違いない ですよ」

 良く聞いてみると、彼の同僚氏、競馬大好きでカミさんと離婚したぐらい。借金に追 われる毎日だが、ある日、思い切って本命馬券を10万円で一点勝負した。ところが、 レースを間違えて真っ青。死ぬしかないない、と思ったぐらいだったが、そのレースを 間違った馬券が大当たり。それも万馬券である。

 10万円が1000万円強。同僚氏は彼に「これ、この通り」と預金通帳を見せた。 それから1000万円を原資に固い固いレースを選び、しばらくして1000万円を1 0倍にした。

 元手を100倍にするの難しいが、10倍にするのはそれほどではない、と言うのだ 。

 間違い馬券で、同僚氏、運転手稼業にさよならした。

 有りそう話だが、どうだろうか。

 野暮用は特殊法人見直しに関する相談事。話が終わってからの雑談で、お盆らしい「 怪談」を聞いた。

 名誉毀損になりかねないから、もちろん、匿名にするが、その世界で頂点を極めた二 人の兄弟の出生に関する「怪談」。これ、本当かしら。もし事実なら、大変なスキャン ダル?

 夕方、突然、競馬に行きたくなって大井へ。あの運転手さんの「一億円話」に刺激さ れたのだろう。

 これも不思議なことに、あの広い競馬場のスタンドでたまちゃんとばったり。彼も何 かに刺激されたのか。「何か、当たりそうなので来た」「俺も」。

 その結果、二人ともオケラになる。

 東京駅でたまちゃんと別れ、飲み屋に借金を払うため銀座へ。みゆき通りで、知人の 銀行のトップとばったり。一年ぐらい会っていないのに、不思議だ。

 「ゼネコンに出向している仲間を激励してきた」。エネルギッシュな社長さんだから 「痛みなんて、どうということはない」と激励されると、皆、元気になる。

 某銀行の頭取が「激痩せ」しているのとは対象的だ。立ち話は一言二言。

 銀座通りは、お盆だから、少し閑散としている。その通りを約一時間、減量のため歩く。

 それにしても、あの運転手、どうして俺が競馬好きと見破ったのか?

 不思議だ。

 そんなことを考えていると、また、携帯電話が掛かる。

 あっ!

 そこでやっと「謎」が解けた。大笑い。俺の着メロ、ファンファーレだったのだ。

<何だか分からない今日の名文句>

笑って損した者なし



8月7日(火) なぜ、養護施設なのか

 身体が弱かったので小学校4年生の時、養護施設に預けられた。東京都立養護施設「 久留米学園」(今の東久留米市の久留米養護学校のことである)。

 ある日、母親に付き添われ、池袋から西武線で遠い遠い清瀬の町に連れていかれ、そ の日から療養と寄宿舎生活が始まった。

 今から40年ぐらい昔の話だ。

 辺り一面、雑草と畑。建物と言えば「久留米学園」だけで、お隣に行くのに数百メー トルも歩かなければならなかった。

 塀が異常に高かった。でも親や友達が恋しくて、毎日のように「脱走騒ぎ」があっ た。そして、必ず清瀬駅で見つかった。

 淋しかった。

 山の裾のようなところで、敷地は上段、中段、下段の3つに分かれて、学校は上段、 食堂は中段。運動場はなかった。

 僕は男女同居の中段の「楓寮」に入れられた。

 台東区立黒門小学校から来た「あいこ君」(どういう字だったか忘れた)という仲の 良い友達が出来たので、何とかなったが、淋しかった。日曜日に、母親が面会に来るの だけが、楽しみだった。

 もちろん、テレビはない。ラジオもない、新聞も雑誌もなかった。社会から隔絶さ れた1年余。苦しかった。

 午前中、3時間、施設内の学校に行く。午後は「安静」と言って寝ているだけ。

 「太陽灯」という施設があって、人工的な太陽の日差しを体にあてることで、何とか 元気な少年を演じていた。

 そんなことを思い出したのは、もちろん「養護学校で新教科書」がニュースになった からだ。

 妙なことをするもんだ。

 学園生活では、勉強らしい勉強はしなかった。何しろ、寝てるばかりで、勉強なんて した記憶はない。それでも、学園の中のテストでは一番成績が良かったように思うが、 退園して元の小学校に戻ると、友達との学力の差は歴然としていた。何しろ、少数、分 数という言葉すら学園では、教えてくれなかった。

 その養護施設で「新しい教科書」を使う。妙だ。

 ただ一つ、言えることは、養護施設に入ると周囲から誤解される。僕は「父なし子」 の施設に収容された、と誤解された。

 養護施設の子供をごく普通の子供として、付き合ってもらいたい。それが社会の常識 である。

 養護学校だけが、違う教科書を使うと、一般の学校に戻った時、苦労しないか。

 それが心配だ。

<何だか分からない今日の名文句>

同じことを同じように



 8月6日(月) 馬券吹雪に祐ちゃんの口笛

 広島原爆忌。7日からの臨時国会は靖国参拝が焦点になる。

 公明党の太田昭宏、保守党の二階俊博の両党国会対策委員長をともなって訪中してい る野中さんは「靖国参拝は近隣諸国への配慮に欠ける」と小泉さんをあからさまに批判 してる。

 僕は近隣諸国に対するより、日本国の民に対して配慮がない、と言いたいが、要する に「靖国」を政争の具に使うのだろう。

 何を画策するのか。

 飛行機の中で、かなり突っ込んだ談合が行われたのではないか。

 午後、JRAの事務所に立ち寄ると、野平祐二元調教師の急死の報。数年前から心臓 病を患い、ペースメーカーを入れていたが……。

 早速「悼む原稿」を……と準備したが、紙面が辛くて、たまちゃんが書く本記だけし か、毎日新聞には収容できなかった。

 第二次世界大戦の最中。昭和17年、旧制中学2年の野平祐二少年は職員室へ行って 「退学届」を出した。

 教師は「競馬屋になるのか。非国民」と睨みつけ、彼は「競馬屋」と蔑まれる家業を 継ぐため、騎手になった。

 戦争で走ることが出来ない競走馬。多分、高崎競馬場で、この悲しい星の下の馬の面 倒を見た。戦後、やっと走れるようになったが、どうしても勝てない。

 ある日、いわゆる「クセ馬」を預けられ、何とかまともに走らせようと工夫している うちに「騎乗のコツ」がひらめいた。「その馬、フクリュウは恩のある馬なんだ」