編集長ヘッドライン日記 バックナンバー
2001.1月



1月30日(火) 六本木のホテルに妙な理髪店

 6ヶ月前だろうか。あるいはもっと前かも知れない。

 あるパーティーに出席するため、東京・六本木の某ホテルに行った。トイレに入っ て、我が面相を見ると髭がボウボウである。あまりの不細工に、玄関脇にある理髪店に 入り、頭を洗って髭を剃ってもらった。

 玄関脇といっても、どちらかと言うと理髪台は奥まったところにあり、店長と思し き人も、若い従業員も女性だった。

 杖をついた髭ボウボウの当方を見て、幾分、怪訝そうな表情な店長から名前と電話 を聞かれた。まあ、それは“決まり”なのだろう。

 技術はまあまあであった。嫌に丁寧な言葉を使うが、技術はまあまあだった。覚悟 をしていたことだが、料金がメチャ高い。いつも行く横丁の床屋の料金の3倍強である。

 ホテルでの買い物は割高である。それにしても高い。「2度と行かない」と思って いたら、3ヶ月経ったら女性店長から電話が入った。五月みどりの唄のように「お暇な ら散髪に来てよね」というようなお誘いの電話である。

 小生、長いこと人間をやっているが、床屋から営業のお電話をいただいたことはな い。まるでキャバクラのような“乗り”である。

 「高いから行けないよ」とそっけなく答えた。

 この理髪店に我が国の宰相が一週間に一度、通いつめている?と知ったのは、電話 から少し経ってである。

 なんとなく「森さんの趣味」が分かった。

 今頃、こんなことを書く気になったのは、どうも「総理大臣の散髪料」も官房機密 費でまかなわれているのではないか、と疑問視する人が出てきたからである。

 総理大臣の毎日は公私の区別はない。総理大臣の見だしなみも税金で払うべきだ、 という意見もあるだろう。

 しかし、散髪ぐらいは自腹で払いたい、という人もいる。

 僕が首相番をやっていた頃、当時の首相・鈴木善幸さんは必ず千代田区一ッ橋・パ レスサイドビル」の阿曾理髪店で散髪した。鈴木さんは「若いときからやってもらって いたから。阿曾のオヤジでなければダメだ」と言って、いつもこの店の厄介になった。 毎日新聞社があるビルの床屋だから料金はごくごく普通。もちろん、鈴木首相も自腹だっ た。庶民の感覚では、当然のことだ。

 森さんは、どうしているのか。聞いてみたい。

 こんな話をしながら朝のリハビリを終え、上野まで散歩。途中、うまいそば屋を発 見した。御徒町駅近くの例の安さ一番の「多慶屋」の並びにある「吉仙」。ゆずそばが うまい。

 夕方、若干の政局取材。KSD疑惑の村上正邦さんは雲がくれ。自民党内にも「証 人喚問に出るべき」の大合唱が始まる気配。

 大変な国会になる。

<なんだか分からない今日の名文句>

李下に散髪



1月29日(月) 落語大百科

 川戸貞吉氏の「落語大百科」を買う。これは名著である。

 昼、友人と待ちあわせの時間を間違えて、余分な時間が出来たので銀座4丁目の山野 楽器をのぞいて見たら、落語のコーナーが、かなり広くなっている。談志を初め名人、 上手のCDが並んでいる売り場に、若手落語会のチラシがそっと置かれている。こんな ことはなかった。

 東京、大阪だけでなく、それぞれの地域にそれぞれの落語会が出来ている。タウン誌 「東京かわら版」によると全国地域寄席連絡会なるものが誕生したらしい。

 これも初めて。落語は静かなブームらしい。

 三木助が自殺した背景に、若手落語家がしのぎを削る「ブーム故の厳しさ」があった のだろう。

 帰りに買い求めた「落語大百科」(冬青社)は凄い本だ。全5巻。全部で691の噺 のあらすじとエピソードを収録している。

 1月10日に発売された第1巻には161話が載っている。その数だけで脱帽だが、 それぞれに、素人では聞いたことのないエピソードがちりばめてある。

 定価2500円は高くない。今、半分、読み終えたが、この本には哲学本のような気 品がある。

 例えば「明烏」の項。堅物の若旦那が悪い友達に吉原へ連れていかれる噺。八代目・ 桂文楽の十八番だが、その文楽が「三代目円馬師匠が枝豆、そら豆、甘納豆の食べ方の 違いを教えてくれた」と話している。

 そうか、確かに食べ方が微妙に、というか、全然、というか「違い」がある。その「 違い」を頭の中で反芻して「豆の運命」みたいなことを考える。若旦那と馬鹿旦那の分 かれ道みたいなものを考える。「いずれにしても豆は××。馬鹿旦那でありたい」と思 ったりする。

 落語は哲学である。

 筆者は早稲田大学の落研出身。ラジオ東京(今のTBS)に入社して、ラジオの演芸 番組やドラマを制作された人。学生時代から集めた落語のテープはマニアの垂えんの的 らしい。

 実は、こどもの頃、僕も落語家になろうと思っていた。5年生の頃、教室で机を並べ て高座を作り「豆屋」を演じた記憶がある。当時はラジオ全盛の時代で1日に一つや二 つ、落語番組があった。

 これから40数年。「落語の哲学」が、ようやく分かるようになる。

 午後、出社。風邪で休んでいたので、デスクに郵便物が溜まっている。

 手紙、葉書のほとんどが「ここだけの話」の読後感。「新世紀初『舐めるなよ』」に 関して、多くの人から「よく書いてくれた。医学界は封建的」というご意見が届いてい る。高校時代の友人で病院の院長をしている岡田君からは自宅に「僕の近くではそんな ことはない。サービス業、と誰もが認識している」というFAXが届いている。封建制 は医学界の一部のこととは思うが、まだ、こうして反響があるのは、我慢できないこと を経験した人が多いのだろう。特に看護婦さんの投書が多い。

 これは、お叱り。先週の「報償費の卑しさ」の話の中で「ケニア大使がべロベロにな ったエピソード」を書いたのだが「その話、すでに週刊文春で読んだ」という指摘。「 週刊文春、週刊新潮、夕刊フジが情報が早い」という耳の痛いご意見。努力します。

 お手紙と共に「和紙のシーツ」を送ってくれた方がいる。鉱物を和紙に入れて漉き込 んだ物らしく、健康に良いとのこと。ありがとうございました。

 番号案内で聞いたが、電話番号が分からず、とりあえず、ここでお礼申し上げます。

 月曜日に順延された東京競馬のメイン。久ぶりに的中。競輪の共同通信杯決勝戦は大 ハズレ。

 帰宅すると、隣の住民から「預かりものあり」。知人が、人生訓?のようの色紙を届 けてくれたのだ。

 「いのちほのぼの」。

 漂白の画家・堂野夢酔さんに頼んで、書いていただいたもの。これも、感謝感激であ る。

<なんだか分からない今日の名文句>


吉原大門で止められる果報



1月28日(日) モバイルが“茶”を飲んだ

 頭が真っ白になった。俺は日本一のドジ男だ。

 正確には26日午前9時頃のこと。いつも自慢気に「朝飯前」と称している朝一番の 原稿を書きあげ、テーブルの左側に重ねてあった雑誌に手を伸ばした瞬間である。雑誌 の横にあったカップが音もなく?倒れた。

 「アッ、ア、ア……」

 アッと言う間にテーブルの上を液体が流れ、モバイルに……命の次に大事な(とやっ と気づいた)モバイルに液体がかかった。えらいこった。扉を閉じていたので、急いで 扉を雑巾で拭き「中は大丈夫か?」と恐々、開けてみるとキーボードの一部が水びたし である。どうしたらいいのだ。フキンで拭いたり、ドライヤーで乾かしたりして、電源 を入れると辛うじて作動した。「やった!」と思ったが、世の中、そう甘くはない。し ばらくすると、まったく動かなくなってしまった。

 真っ青。副編が忙しい時間帯なので、申し訳ないが、副編の兄さんにアドバイスを受 け、秋葉原のNEC・BitーINNに掛け込んだ。

 受付の人に「液体?何ですか。味噌汁ではないんですか?」と質問される。

 何しろ動転しているから、何と答えて良いか……「違います。絶対に違います」。何 か、交番で職務質問されている感じだ。

 正確には「ルイボスティ」なるアフリカ産の茶である。東京・深川の閻魔堂の住職が 「何しろ健康に良い。白髪にならないから」ともう3年間も送ってくれている代物だ。 色はブラック。コーヒーのような味がする。

 ところが動転しているで、名前が出てこない。「コーヒーの様な、いやいや日本茶の ……いや違う」と要領を得ない。茶の種類で故障の程度が変わるのか。アフリカの茶は モバイルに悪いのか。

 不安である。

 すべて聞いた後で、受付の男性は気の毒そうに「預かりますが、データが消えます」 と冷たく言い放った。

 ガ〜ン。

 「本当ですか?」

 「本当です」と、彼、こちらの顔も見ないで、黙々と伝票を書いている。

 これは死刑判決!

 実は、実はバックアップをしていないのだ。

 どうしよう。どうしたら良いのか。

 長編を狙っていた「柳橋物語」の原稿、データがこの世から消えてしまう。嗚々。

 秋葉原から浅草橋まで約2キロ。僕は息も絶え絶えに歩いた。

 不運って、どこに転がっているかわからない。

 更新作業を手伝ってくれるボランティアの有希クンに、とりあえず事情を話し「柳橋物 語の休載」のお知らせを出してもらう。

 「理由は? どう書きます?」と言われたが、恥ずかしくて「理由は……隠しておこ う」。

 ベットに潜り込んだ。俺って世界一のドジである。

土曜日午前6時頃、眼を覚ますと、隅田川は雪で霞んでいる。大雪。頭の中も、視界 も真っ白である。

 夕方、副編が"見舞い"にやって来てくれた。

 優しい男だ。10センチ積もった雪を踏みしめてやって来てくれた。大体、副編がい ないと、何も出来ない。

 以前、使っていた「初代モバイル」に原稿の送稿先を設定してもらった。 これで、何とか通信可能になる。

 ホッとする。

 「問題は柳橋物語ですよね」と言われ「そうなんだ」と唇を噛む。何しろ動転してい て、第5回の"書き出し"すら忘却している。

 「明日、この顛末を日記で洗いざらい書いて、読者のお許しをもらう」と決意する。

 「そうですよ、慌てて、いいかげんな作品になったら意味がない」と副編、はげまし てくれる。

 深夜、スポ二チから「大雪の関係で、次回の『おけら』は休みです」。なんとなく、 助かったような気持ちになる。

 28日になって、やっと気分が落ち着いた。天気が良い。

 横丁の床屋へ行って気分爽快。オヤジから思いがけないプレゼント。携帯電話につけ る木製の名札を作ってくれたのだ。寄席文字の体裁で「牧太郎」と彫ってある。器用な もんだ。ありがとう。

 帰宅して、昨夜から読んでいた山本文男さんの「昭和東北大凶作」を一気に読了。彼 の作品はいつ読んでも重みがある。

 「ここだけの話」で紹介しようと思い、初代モバイルの前に座り、何とか書きあげ、 恐々送稿。

 通信成功!

 この先々、何とかなりそうである。

 と分かると、初代モバイルの前で書きまくる。

 深夜、掲示版をのぞくと、副編が掲示版の更新を知らせている。時間を見ると午前4 時。ありがとう。

 当方のドジを上手にフォローアップする書き込み。妙にテレ臭く「ごたごた言うな! 」と書き込んだ。

 いつもの調子が出てきたような気がする。

 皆さん、ご心配かけました。

 書いて書いて、休んで書いて……それで行くしかないので、少し?頑張るつもりです 。

 で、しばらく「柳橋物語」休載します。ごめんなさい。

<なんだか分からない今日の名文句>

座禅組むより、肥やし汲め



1月25日(木) 親が叱れ!

 まだ、鼻水が止まらない。朝一番で「たいとう診療所」の今井ドクターの診察を受け る。

 体温36・3度で平熱。しかし、水鼻は出っぱなし。聴診器で調べてもらい、鼻と口 の辺りだけの"はやり風邪"と言われた。

 ことしの風邪は「もどす+下痢」のタイプと「しつこい鼻水」のタイプの2つに分か れるそうだ。

 ついでに、子供のころから疑問に思っていたことを質問する。

 「風邪の患者を何人も相手にしている医者は、何故、風邪にならないのか?」

 「まあ、十分にうがいをしているし……こういう職業をしていると、長い間の菌にま ぎれているので、免疫力が出来ている、と考えた方が良い」

 なるほど、なるほど。

 「だとすれば、今のお母さん達が無菌製品を使うのは、子供にとっては免疫力、抵抗 力を失うという事になるのでは…?」と尋ねると「そうですよね。ドロ鼻を垂らして、 ドロンコになって遊んでいる子供、病院に来てもスリッパを口で囓っちゃう子供の方が 健康ですよ」

 これは意見一致である。過保護が子供を弱くする。

 前夜、警察官に職務質問された17歳がキレて、警棒を奪い、警官を数十回殴り、挙 げ句の果て警察官に撃たれた。

 何故、キレるのか?。

 親が子供を叱らないから、キレるのではないか。

 叱れた経験のない子供は他人から叱られると、すぐキレる。親に叱られたことがない から、自尊心が傷つき、キレる。子供と友達のように付き合おうとする親の「愚」。親 は子供とお友達ではない。子供に社会性を教える義務を負った「先輩」なのだ。

 叱らない家庭には、無菌育児のような「愚」がある。

免疫力のない子供が大人になり、ますます、妙な世の中になる。

 午後、河野外相の「外務省疑惑」の報告記者会見のニュースを見る。これからの捜査 当局の腕の見せ所。

 情報通の友人から電話通報1件。

 25日未明、オウムの上祐さんが移転した。移転先は12月末の日記で書いた例の新 しいアジト「南烏山マンション」。元警察官の大家さんが、マインドコントロールされ ているから、ことは面倒になっている。

 広岩君から小包み。彼、昨年10月、毎日新聞北陸総局長になって金沢暮らしを始め た。雪に埋もれた生活だが、すぐ友人が出来た様子で、うまい酒ばかり飲んでいる(と の、支局員の証言)。

 某日、作家の千葉龍さんと酒を酌み交わし、深夜になった。

 その折り、千葉さんはあの「金沢文学」を主宰されている方で「千葉さんは牧さんの ファンで、会員になってくれということでした」。小包みの中身は「金沢文学第16号 」。ザッと読んだところレベル高く、会員なるには当方が力不足?

 それはともかく、春になって金沢へ行った時、彼らが三次会で行ったという「スナッ ク牧」で千葉さんにお会いするのが楽しみである。

 広岩君と共に「詐欺集団・オウム」と対決してから早くも12年。「タブーに挑戦、 男と女の平等誌」のキャッチで部数も右上がりで、楽しかった。

 当時、突撃隊長だった名事件記者が文学を目ざし北陸にいる。ダイナマイトを仕掛け ようと、我がサンデー毎日の編集部に潜り込んで、ビデオを回していたチンピラ・上祐 さんが今や残されたオウムの指導者?

 月日の流れるのは早い。

 夜遅く、24日の日記に書いた「KSD灰色高官8人」は誰か、という友人の問い合 わせ。

 「まだ、固有名詞でははなせないが、労働省と文部省、2つのルートで捜査が進んで いるのではないか」と答える。

 身に覚えのある政治家は、名前が出るのではないかと、ビクビクしている。

<なんだか分からない今日の名文句>

今日は人の身、明日は我が身



1月24日(水) 鼻水、止まらず

 終日、ベットにいる。何しろ鼻水が止まらない。

 新聞に「ことしのインフルエンザは……」といった話が出ると、俺も人並みに 流行病になったと妙に安心するのだが、あまりインフルエンザの話を聞かないのに、身体 に変調を来すと「何か悪い病になったか」なんて、妙に悩む。

 医者の友人が「病名を言うと、患者は落ち着くんだ。だから、無理しても病名を付 ける」と言ったのを思いだした。「インフルエンザですね」と医者に言ってもらいたい。 医者に行こうかとも思うのだが、鼻水ぐらいでは、恥ずかしく、止める。

 消息筋の友人に電話をして、気になっている疑惑列島の「天気予報」を取材する。

 KSD事件はリクルート事件と同じような流れになってきた。灰色高官の名前が次々 に明るみに出て、誰と誰を証人喚問に呼ぶか。そんな流れになるらしい。

 いわゆる「灰色高官」は現時点で8人とか。

 そのうち、誰が証人喚問を受けるか。呼ばれれば、必ず嘘をつくので逮捕される可 能性大。

 森さんが、幹事長の時、もらっていれば政権はアウト。ビクビクして、眠れないだ ろう。

脳天気、脳天気とマスコミは言うけれど「小心者の森さん、冗談を言っていないと 落ち着かない」と消息通。

 外務省機密費疑惑は25日の報告書発表で「個人的犯罪」で一件落着するつもりの ようだが、これで良いのか。

 M室長が某大物政治家に疑惑の紙袋を渡した、という噂は(これまで書くのを控え て来たが、闇から闇になりそうなので、言及すべき、と思うが)かなり信憑性が高いら しい。

 政権末期。自民党末期の雰囲気。

 当方、鼻水がたれ、日記をさらに書く気もしない。

<なんだか分からない今日の名文句>

KSDの風は万死の始まり



1月23日(火) 鼻風邪

 川崎で行われている我が社の「2000年度10年社員研修」の講師を勤める。

 与えられたテーマは「メディアミックス時代の新聞とは」。

 メディアミックスとは、テレビ、映画、雑誌、本、新聞……あらゆる媒体を動員して 展開する商品戦略。15年前、あの角川春樹が登場した時の言葉である。すでに死語、 と言うよりメディアミックスは当たり前のことである。

 この題目、いかにも時代遅れなので「インターネットジャーナリズムの可能性」と変 えて、話をする。

 受講生の方が詳しいところもあるとは思ったが、誰でもが、通信報道出来るインター ネット時代を、新聞人のかなり多くが、まだ理解していない。

 ささやかな経験だが、インターネットが時代を動かしている実例を上げ、果たして、 インターネットジャーナリズムが機能するかどうか、話す。

 約1時間半話すと、心地よい疲労感。

 今日、発表になるはずの、外務省の機密費流用の調査結果、25日になるとのこと。 「M」室長の告白もずれ込む。何故だろう。

 夕方、気が合う取材先、というか、すでに親友というか、ともかく「気分は遊び仲間 」の人物と駒形のそば屋。観音裏の「ひまわり」でカラオケ。

 年中無休。朝まで営業の「ひまわり」はなにしろ面白い店で、今夜は8、9歳の少年 から70近い(あるいは、越えた)女性までがマイクを握る。ともかく家庭的だ。当方 「北の旅人」を歌い、相棒は「俺の小樽」を歌う。俺達、同世代。裕次郎、大好きだ。

 店にいる間に鼻水が出てきて困る。非常に困る。大きなテッシュ箱を傍らに置いて「 ふたりの大阪」を歌う頃には、鼻水が止まらなくなる。風邪か。

 早く寝なければならない。

 【訂正】22日の日記で、新宿南口の寿司屋でいっぱいやった店は「宝寿司」ではな く「栄寿司」の間違え。謹んで、お詫びします。別に文句が出たわけではないが、この 種のミス、多いと思う。ご指摘あれ。

<なんだか分からない今日の名文句>

風は万病の始まり



1月22日(月) 視聴者を舐めている

 朝、某局のモーニングショーを見る。例の世田谷一家皆殺し事件。視聴率が稼げるの か、このところ、各局そろって、この事件の続報ばかりだ。

 だが、内容はない。こんないい加減な情報で果たして良いのだろうか。

 ベテランの事件レポーターが「犯人は2000円のTシャツを着ているぐらいですか ら、自動車は持っていない。半径10キロをオートバイや自転車で移動した」と推理す る。

 本当かしら。結果的に彼の推理が当たるということもあるかも知れないが、あま りに説得力がない。

 今時、大金持ちだって安手なTシャツを着る。これはファンションでもある。衣類の 価格破壊で「2000円のTシャツ」はけして廉価なものではない。「2000円Tシ ャツ男」が外車を乗ることは、何ら不思議ではない。

 もう少し、説得力のある推理が出来ないのか。

 大体、この事件は今までの犯人探しの常道では、真相にたどり着くことが出来ない。

 この事件のカギは、犯人が残したメッセージである。

 どうしても幼い子供を惨殺せざるを得ない「犯人側の事情」が存在した。「皆殺し」 でなければならない「何か」があった。

 現場に、その「何か」を示す犯人のメッセージがあるはずだ。

 警視総監が現場を見に行かなければならない「何か」があった。それは、恐ろしいメ ッセージに気づいたからではないのか。

 単なる「物取り」とか「怨恨」とか、その程度の事件ではないような気がする。単独 犯か、複数犯か、という程度の推理を越えたところに「何か」がある。

 単独犯だとしても、国家に対する挑戦のようなものが隠れているような気がする。背 後に「組織」があれば、もっと挑戦的である。

 犯人が現場に滞在した時間が、恐ろしく長い。「何か」を探し出さなければならない 「決定的な事情」があった、と見るべきだ。とすれば「組織」を守るための皆殺しとい うことも想像出来る。

 同様の事件が起こる可能性だってあるかもしれない。

 「物取り」であれば、20万円程度の金で我慢する筈がないから再犯を起こす。「組 織」の挑戦なら、再犯はもっと恐ろしい。

 極めて深刻な事件なのに、聴視者を子馬鹿にしたワイドショーの番組づくりは、貧弱 すぎる。

 夜、赤坂プリンスホテルで2000年度JRA賞授賞式に顔を出す。

 土曜日、雪で京都競馬が中止になり、月曜日に続行競馬が行われた関係で受賞した騎 手はほとんど欠席。スターのいない授賞式。でもJRA賞馬事文化賞に輝いた東京新聞 運動部長の佐藤次郎さんの挨拶は素晴らしかった。

 式の後、仲間と新宿南口の宝寿司で一杯やってから帰宅。素晴らしかった佐藤さんの スピーチをスポニチ「おけら街道」で紹介しようと深夜執筆。

 寝る前に、掲示板を覗く。「雪遊び、教えて」と呼びかけたら、幾つか常連の書き込 み。

 子供の頃の思い出を期待したのだが「四国は雪は降らないが、四国最大のデパートが会 社更生法申請した」との情報。地域社会に取っては、凍えるような豪雪?だろう。

 23日は、永田町はかなりあわただしい一日になる見込み。当方の予想では、KSD 疑惑で、額賀・経済財政担当大臣を支持する橋本派青木系と野中、古賀、鈴木宗男一派 の最後の綱引き。タダでは辞任しないぞ、というところ。橋本元首相のKSD支援発言 の波紋、一方では、外務省疑惑の告発を受けて捜査開始、水面下の河野外相の責任追及 ……当然、森さん、追いつめられる。

 友人が「だから、加藤はこれまで待っていれば、天下が転がり込んだのに」と言うの も一理ある。

<なんだか分からない今日の名文句>

待てば海路の……



1月21日(日) タンマ君

 朝、窓を開けると雪。積雪2センチぐらいである。

 寒いのでベットの中に潜り込むようにして、週刊誌三昧。面白い週刊誌は面白い。

 例えば大好きな「タンマ君」を読む。東海林さだおさんが描く週刊文春の連載漫画。 1574回である。

 活字で漫画を再現するのは無理だとは思うが、取りあえず「活字」で書くと……。

 タンマ君を中心にダメ社員3人組が、休み時間にタンマ君のデスクに集まって上役の 品定め。

 「我が社の次期社長候補といえば」「そりゃもう……」

 ジャーン!前田さん

 中曽根元首相のような顔つきの前田さんの顔。厳つい顔が登場する。

 3人のダメ社員「意見一致!」

 貫禄、押し出し「申し分なし!」

 ダメ社員はやっと見つけた次期社長候補に感動している様子である。

 リーダーシップ、決断力。「申し分なし!」

 そこへ「お局さん」とおぼしきOLが登場する。「あたしは、ひとつだけ、欠点がある と思う。いい、万が一よ」 (「わたし」ではなく「あたし」であるのが素晴らしい)  コマが変わると新聞の社会面。その横に「我が社の不祥事発覚!」の文字。

 記者会見。テレビカメラの放列の中、前田社長「まことに申しわけなく、ここに心か らお詫びもうしあげます」と慇懃無礼とも思える調子だが、こう挨拶する。

 ここまでは大変、立派なのだが……。

 コマが変わる。押し出し抜群の前田社長が、深々と頭を下げた瞬間である。

 「バサー」。

 薄くなった頭から"簾"がバサー。顔を"すだれ"が隠す。

 「まずいな」とタンマ君。「見送りだな」とダメ社員。(ここで完)

 と、愉快な漫画だ。(エッ、何が面白いか分からない? そうでしょう。出来れば、 週刊文春1月25日号を探してページ120、121を見ていただきたい)

 それにしてもタンマ君の作品には「禿」がよく登場する。禿の人は、どんな気持ちで 、この漫画を見ているんだろうか。何か、複雑である。

 例えば、社長直前の人は、こんな漫画を見て「やはり簾はまずいのか?」なんて悩む のかな。「やはり組織のトップはお詫びするのが最大の仕事だから、すだれは避けるべ きだ」なんて、思うのか。

 「禿は残酷だ」なんて思うのかしら。

 僕も、大分、薄くなったので、他人ごとには思えない。

 と、思いながら次の122ページを開けると1ページの大広告。

 「日本の技術・世界に贈る人工毛!」。

 この誌面扱い、漫画じゃないか。

 午後、週刊誌を投げ捨て、ベットから出る。

 「ここだけの話」を書く。多分、掲載される23日ごろ、外務省は例の機密費流用職 員を告発する予定。個人犯罪であっていいのか、と言った趣旨の記事を書く。

 お腹が痛くなる風邪が流行っていると言うので、一日、外出を控える。

 窓を開ければ、時々突風。風が吹くと、少なくなった髪が飛んでいくような気がする。  風が吹くと、人工毛屋が儲かる?

<なんだか分からない今日の名文句>

漫画のような一生



1月18日(木) ズバズバ、文句を言う

 朝、床屋に行ってから自民党本部へ行く。

 年末、上司から「月刊・自由民主」の対談に出てくれないか、と頼まれた。某新聞社 から自民党広報本部出版局にとらばーゆした彼の友人が、機関誌を作っているというの だ。「協力してやりたい」

 どうしたものか。自民党支持者でもないし、特別「自民党だけが国民の敵」と思って はいない(政界全体が「国民の敵」と思うことはたびたびある)

 でも、対談を見た周囲から「牧は実は自民党の隠れ支持者だった」と誤解されるのは 心外である。(本当は、有権者としては、どこの政党も支持していない。でも、どん な政党にも友人はいる)

 「対談と言っても、私は自民党の支持者でもないし、自民党の悪口ばかりになる」と 断ったのだが、先方は「辛口の対談をしたいので、是非お願いしたい。自民党は厳しい 批判を受け、生まれ変わらなければならないので……」とそうまで言う。

 「何を言ってもいいんですね」と念を押して、引き受けた。ごくごく、普通の人が疑 問に思っていることに、耳を貸すのも、政党機関誌のしごとでもあるだろう。

 対談の相手は横内正明衆院議員。広報の責任者の一人である。

 初対面。建設省の役人あがりの橋本派。典型的な公共事業推進派とお見受けしたが、 人当たりは良い。

 「自民党は支持率が20%を下回って、危機感を感じております。何なりと注文して いただきたい……」と言われるので「例えば、自民党本部の建物は銀行の抵当に入って いるのか。それを情報公開しないと、銀行に対する公的資金導入に疑問が生じる。情報 を公開しないと、真の政党ではない」などと日頃「おかしい」と思っていることをズバ ズバ話した。

 議員は若干、当惑されていたが「自由民主」と党名にうたっているからには、言論の 自由はいかなる場合も保証されるべきである。

 対談が終わって、議員は「ホームページを作ったが、反応が無くて……。牧さんのホ ームページはアクセスが凄い」と言われるので、こんな工夫はどうか、と具体的にアド バイスした。

 「HPを作れば支持者が増える」と思っている議員さんもいるかに聞くがITはあく までも道具。伝えたい中身が問題なのだ。

 午後、歯の治療。霞ヶ関で野暮用2件。例の外務省疑惑に関する情報交換も話題にな ったが、これはガセネタと、すぐ分かる情報も多い。

 午後5時過ぎ、内幸町のプレスセンター。たまたまエレベーターで一緒になった日本 記者クラブの杉田理事長と新年の挨拶。理事長が「寒いのに……ご苦労さま」としきり に恐縮するのは、夜の新年互礼会員懇親会のこと。寒さにもめげず、出足好調。だが、 当方、野暮用と重なり、このまま退散。申し訳ない。

 夜、メールを整理すると「ここだけの話」の反響が凄い。医療現場の19世紀的側面 に怒りを感じ、思わず「舐めるなよ!」と書いたコラムである。(読んでいない人は、 1月17日更新で、掲載してあるので、読んで欲しい)

 僕と同じように、医療関係者から「封建的言辞」を浴びせられた人が何人もいること が分かった。もっとひどいことを経験した人もいるのだ。それには驚く。

 お医者さんからのメールには、こうした封建的閉鎖的医療現場を革新したいという「 志」がある。うれしい。

 冬型の気圧配置は、一段落するとか。

 掲示板に「紅梅咲く」の書き込み。今夜は、寒けれど、ポカポカ気分で眠れそう。

<なんだか分からない今日の名文句>

自民に咲く花、どんな花?



1月17日(水) 外務省疑惑にS氏の影

 朝、時間が出来たので、読みたいと思っていた月刊文藝春秋の「私は見た田中角栄『 4億円受け取り』の現場」を一気に読む。

 1973年8月8日、当時の朴正煕大統領を批判し、日本に逃れていた金大中氏が東 京・九段下のホテル・グランドパレスで何者かに襲われ、拉致された。

 次に、彼が姿を現したのは8月13日、ソウルの金氏の自宅だった。俗に言う「金大 中事件」である。

 当時、警視庁捜査2課(知能犯)担当の事件記者だった僕は8月9日から夏休みを取 り、東北一周旅行に行く予定だった。「ついていない」と思っていたが、当時、我が警 視庁クラブの面々は事の重大性に気づかず、公安担当以外は「大統領候補っていう肩書 き、それ何?」というぐらいの認識だった。

 上司から「キミは、予定通り夏休み」と言われ、休みが終わった頃、金大中は発見さ れ、今度は「拉致で傷つけられた日本の国権」が政治問題化した。

 日本の世論は「金大中の現状回復、つまり再来日」を求め、緊迫した外交問題になる 。その政治決着を決断したのが、当時の田中角栄首相。彼が韓国側の意を組んで「陳謝 の代わりに金大中の生命を保証する」ことで一件落着した。が、その裏で朴大統領から 田中首相に「4億円の手土産」があった、というのが、月刊文藝春秋のスクープである 。ともかく面白い。

 「4億円の授受現場」を明らかにしたのは「新潟のミニ角栄」と言われた木村博保さ ん(元刈羽群越山会会長)。記述から信憑性は疑う余地はなく、田中さんは「カネで国 を売った」とも取れる。が、同時に読みようによっては、結果的に「角さんが金大中を 助け、その27年後に南北融和を実現した」と見ることも可能だ。

 歴史って、おもしろい。

 昼前、女性編集者が、頼まれ原稿が掲載された機関誌を持ってやってくる。原稿料も 同時持参。「銀行振込でなく現金」というのがうれしい。ここ数日、出費がかさんだの で助かる。

 新橋方面で野暮用。鰻をごちそうになる。

 出社して2件の相談事。「出版計画が頓挫している。何とか、お知恵を」というよう な話だが、出版不況の折から、無理な計画は傷が浅いうちに止めた方が良い。

 仕事場に戻ると頼まれ原稿の催促電話。一気に書き始めるが睡魔。遅い昼寝をする。

 そこに「外務省疑惑」を追跡する友人の電話。

 毎日新聞はすでに要人外国訪問支援室長・Mさんが、個人名義の銀行口座に隠してい た約4億円は外交機密費ではなく、官房長官が管理する官房機密費(内閣官房報償費) であることをキャッチして、一両日中に原稿にするらしいが、霞ヶ関のあたりに出没す る彼の電話は、さらに微にいり細にいる。

 「沖縄サミットの準備で、Mさんは、ある特定国会議員とつながりのある業者ばかり に仕事を発注した。警視庁は着目し、捜査員が沖縄に飛んだ」という情報。

 この「特定国会議員」の親分筋は「北海道のS」。対ロシヤ外交に首を出し、利権を 漁る「S」が外務省人脈に手を突っ込んでいることは周知の事実である。

 その「S」が官房副長官だった。

 「外交機密費疑惑」から始まった「小渕→森」内閣の公費独占の構図はさらにキナ臭 い。

<なんだか分からない今日の名文句>

歴史は金庫番が作る



1月16日(火) 世田谷一家皆殺しの新事実?

 朝、リハビリの話題は「鳥一物語」。

 たいとう診療所の近く、東京・台東区鳥越に「おかず横町」というユニークな商店街 がある。東京で1番安い、そしてうまい「おかず」が揃っている名物横町。その真ん中 に「そば屋・鳥一」がある。

 うまいものを安く売る、下町の商人の鏡のような夫婦に昨年秋、不幸が起こった。

 奥さんがゴミ出しの最中に転んで大腿骨骨折。「脚は動かせるけど、身体が動かないの 」。70歳を越えている奥さんは90日間も入院した。

 退院すると、周囲は「介護保険でヘルパーさんを頼んだら」と勧めたが、ご主人「い や私がまともにさせます」。

 この日から二人三脚のリハビリが始まった。

 別に特別な出来事でもないかも知れない。が、横町の人たちは感動した。

 最低気温マイナス1度、寒風吹きすさむ15日の朝、夫婦が頭から耳まで防寒の帽子 をかぶり、黙々と「おかず横町」を歩いてる。風に飛ばされそうになると、ご主人が押さ える。町内の人々はそれを目撃した。

 この強い意志。自立の意志。

 その迫力に「おかず横町」の住民は圧倒され「不景気、不景気、なんて言っていられ ない」。

 リハビリの仲間は、この日も朝早く診療所にやってきた、ご夫婦に思わず頭を下げた 。

 副編からメール。思いもよらず、初句会で彼の作品が「優秀作」に選ばれた(選ば れてしまった)。知らなかった。

 「他の人にしたら」と副編さんは言うが、俳句は「縦横の秩序」とは関係ない。偉い 人、偉くない人、頭のいい人、悪い人、お客さん、主催者、お手伝い……俳句の評価に は全く関係ない。メールで「副編の優秀作、いいじゃない」と返事した。

 夜、十年前、サンデー毎日で一緒に仕事をした仲間と新年会。僕が結婚式の仲人をし たり、主賓をつとめた男性ばかりの四人組。今では、勤め先もバラバラである。

 自営業、ライバル週刊誌の副編、経済誌の記者、相変わらずサンデー記者。日頃、顔 を合わせることが無いので、話題は尽きない。

 編集長だった僕が倒れたことも、若干だが、彼らの人生に狂いを生じた原因と思うの で、複雑な気持ちだが、みんな明るいので、助かる。

 特に、自営業の彼は成長著しい。苦労したんだろう。 それが証拠に「よいしょ」が上手になっている。

 相変わらず事件報道に携わる面々。世田谷一家皆殺し事件に関心が集まる。

 一人が「捜査員が『妻・泰子さん、長女・にいなちゃんの顔が裂かれていた』と話し ていることが気になって、気になって」

 これ、始めて聞いた。新事実?

 それほど残虐な殺しなのか。「裂かれていた」は動機と重大に関係する。単なる怨恨 というより、快楽殺人の病理がそこに存在する。

 カラオケ屋に移って好き勝手。酔った勢いで、当時の上司、鳥越俊太郎に電話。4人 組を指導した毎日新聞北陸総局長の広岩君に電話すると「金沢市の積雪85センチ。夜 の金沢は真っ白」とのこと。みんな、頑張っている。

 零時すぎ僕は帰るが、残りは朝まで飲むらしい。

<なんだか分からない今日の名文句>

現場、百ぺん



1月15日(月) 外務省職員「M」part2

 朝、ステテコでは寒いので股引を購入する。

 毛の薄手のものが気に入り「いくら?」と聞けばデパートの女性従業員は「お安くな っています。1万2000円です」。

 股引1万2000円は「お安い部類」では断じてない。1800円の綿100%の「 ごく普通の股引」に落ち着く。

 ともかく寒い。最低気温が東京でもマイナスである。

 寒さの中、社会部の記者は大忙し。「KSD疑惑」で小山孝雄参院議員に逮捕状が請 求されたのか、どうか、微妙な段階に入った。同僚の特ダネ記者が言うには「16日に 取り調べ、同日中逮捕」の段取りらしい。

 それとは別に水面下で関係者?が「壮絶な綱引き」を展開しているのが「外務省疑惑 」である。

 14日の日記で書いた「外交機密費を競走馬、ヨットなどに流用した疑いが持たれて いる外務省M外国訪問支援室長」に関する情報が幾つか、飛び込んで来た。

 どちらかと言うと、M氏を擁護するものである。

 (1)外務省には品目として、交際費は存在するが、これは微々たるもの。外交上の 情報収集にかかる費用は「報償費(外交機密費)」から捻出しなければならない。年間 55億7000万円の報償費のうち、本省分が19億2000万円。M氏はそのうち2 0%ぐらいを管理していた。この「報償費から外交官の交際費捻出する技」に長けてい る。S元次官をはじめとして、仕事の出来る「外務省本流」は彼の知恵で自由な資金を 手にすることが出来た。庶務担当としては超一級の人材である。

 (2)他方、彼は最近の外務省課長クラスの無能ぶりを面罵することが何度かあった 。このままでは、日本外交はまるでアマチュアではないか。彼は外務省の地盤沈下に怒 りを感じていた。逆に、課長クラス(キャリア組)の間には「Mは許さない」という 空気が充満していた。M氏は、こうした人物から「刺された」ということではないか。

 (3)M氏が報償費を私的に流用した、とは思えない。「遺産」云々は聞いたことは ないが、バブル以前に購入した駐車場用地の値があがり、不動産屋から「売らないか」 と勧められていた。それが裕福の原因である。彼が私腹を肥やす必要はなかった。過去 3回離婚しているが、お金の面では綺麗に精算している。

 (4)彼は酒は飲まない。趣味は競馬、ヨット、麻雀 ぐらい。競馬は「馬が稼いでいるから、それほど、金が掛かるということはない」と話 していた。それほど、めちゃくちゃな金使いではなかった。

 と、ここまでは霞ヶ関の擁護派情報。要するに外務省内部の派閥争いが底辺にあり、 これは犯罪ではない、という見方である。

 果たして、そうだろうか。

 理解できる部分もあるが、本来、外交の秘密情報を入手するべき資金を交際費に当て る慣例。その慣例が「個人口座で自由自在」につながり、不明朗な資金が流れを作る。 極めて、犯罪に近いようにおもうのだが。

 以下は、永田町の政界情報。

 (1)もし、M氏の流用が刑事責任を追及されれば、河野外相は辞任しなければなら ないだろう。

 (2)河野辞任で「ポスト・森」の争いは、かなり絞られて来る。

 (3)もう一つの嵐「KSD疑惑」で16日、小山孝雄参院議員が東京地検で取調べ を受け、逮捕されるだろう。その展開いかんでは「参議院のドン・村上正邦」が議員会 長辞任だけでは済まず、完全に失脚する。

 (4)河野辞任、村上失脚で誰が得をするか。皆、必死で、その辺りを読んでいる。

 (5)外務省は「外交機密費の情報非公開」だけは守りたい、と政界工作に着手してい る。

 ともかく、キナ臭くなった。

深夜、仕事場に戻ると、石寒太から「魁・21世紀初句会」の選評がメールで届いて いた。

 予想を上回る162句の応募。うれしかった。ボランティアで選者をつとめてくれた 石寒太に感謝したい。

 添削してくれているのが、一層、うれしい。

 例えば、僕の

 「水髪の頭皮が痛い初詣で」が

 「水髪の頭皮の痛し初詣」に変わっている。なるほど、なるほど。

 寒太、本当にありがとう。

<なんだか分からない今日の名文句>

習い性になる 



1月14日(日) 外交機密費の馬、ヨットに消えた

 同僚記者の死に呆然として、週末を迎えた。

 社会部から外信部に移って、ローマ特派員を勤めた彼は、将来を期待された44歳。 ガンだった。

 多分、馬車馬のように働いたのだろう。気がついた時には手遅れだった。

 清水社会部長が数日前から、病状の悪化を心配し「俺達、何も出来ないからな」と 呟いていた。その清水部長もガンで奥さんをなくしている。

 ガンは非情。若いものほど進行が早い。早期発見以外、助かる道はない。

 元旦の読売新聞の特ダネ、外交官が外交機密費を私的に流用した事件は刑事事件に なる公算が大きくなった。

 問題の外務省職員は「要人外国訪問支援室長」を6年間も勤め、外交機密費を自由 自在に管理出来る立場にいた。それを良いことに、機密費を自分名義の預金通帳に預け 入れていた。そんなこと、出来るのか。

 想像するに、歴代の外務相幹部が、急に必要になったカネを直ちに工面するには 「私的口座が便利」と考えたのだろう。これはグルだ。外務省幹部全体がグルなのだ。

 挙げ句の果て、問題の職員は「億」のカネを私的に流用した。(幹部の流用はもっ ともっと多いかも知れないが)

 職員の流用だけでも凄い。

 彼は13頭の競走馬を所有していた。サウンドオブタンゴ、サウンドオブパエアー、 アケミタンポポ、アケミボタン……僕も名前を知っている馬もいる。大晦日の大井競 馬で勝った馬もいる。

 競走馬の購入代金は幾らだったか、分からない。多分、地方競馬の馬だから一頭、 300万円から500万円ではないか。(共有馬主のケースもあるから、全部が全部、 彼の負担ではない)

 むしろカネがかかるのは競走馬の預託料。飼い葉料である。

 中央競馬の飼い葉料は1頭あたり月に5、60万円かかる。地方競馬でも1頭あた り30万円程度はかかる。

 大変な物入りである。

 ゴルフの会員券は約1億円。ヨットは5艘。これも、1億円を越えるだろう。マン ションは地下鉄名茗谷駅から徒歩2分。分譲価格は約8000万円。

 彼は親の遺産だ、というが、捜査当局は私的流用と見ている。(彼の私的口座には 約1億4000万円の機密費が残っている)

 何しろ、凄まじい。

 内閣官房機密費、外交機密費(報償費)には、領収書がいらない。国益を保つため の金だから、誰が、いつ、何に使ったかは、全く秘密である。

 この報償費が今年の予算では55億円を越えている。

 官房機密費は、総理大臣の勝手に使える金である。

 歴代の首相はこのお金を派閥の維持、拡大に使った。自民党の議員が外国に行く と聞くと、総理大臣は餞別と表してウン百万円を渡す。

 野党議員と麻雀をして、ワザと負けては、官房機密費で精算する。かつては、浅草 観音裏の「F」という料亭がその舞台だった。

 毎日のような「森さんの赤坂遊び」も機密費と無縁ではないと思うが、どうだろう か。

 実は15年前。毎日新聞政治部はマスコミとして始めて官房機密費の闇を報道し た。僕は4人の取材班の一人として、かなりきわどい取材を繰り返し「暗闇」の一部を 明らかにすることが出来た。

 連載する間から評判になり、角川文庫から「自民党ーー金権の構図」(毎日新聞政 治部著 1986年)として出版された。少なくても、その時点では、取材班の目を意 識したのか「最近は個人流用が自粛されている」と聞かされた。しかし、時間が経つと、 元の木阿弥。もっと流用は悪質になってしまっている。

 ペンの力には限界がある。今回も内部告発が引き金となったようだが、インターネッ トは告発の手段として有効だと思う。世論を見方に捜査当局を動かすしかない。

 夕方、掲示板を見ると「高松市の成人式」に関する意見が入っている。僕が11日 の日記で「高松市長は最低だ」と書いたのに反対する意見。バランスの取れた意見で、 歓迎する。

 このテーマは色々な角度で議論出来るので、掲示板には格好の材料ではないか。本 音の議論に発展することを祈る。

<なんだか分からない今日の名文句>

袖の下は無税緒 


1月11日(木) 【社説】高松市長は最低だ

 10日深夜、掲示版に「毎日の社説を読んで」と題する“書き込み”があった。(かざみらいた氏)

 朝になって気づき、改めて「大荒れの成人式」という社説を読んでみた。実は、最 近、社説はサッと見出しを見るだけで済ましている。この忙しいのに、結論がすぐ分か るような建前論を読む暇はない。

 かざみらいた氏は「一握りの愚行を持って『今の若者は……』的な論にもっていく のは、新聞社の社説としてあまりに短絡ではないか」と指摘している。

 問題の社説を読んでみると「かざみ氏」が、そう思うのはもっともである。なんと なく、アリバイ原稿のような気もする。

 出来の悪い記事の典型の一つに「成り注原稿」というのがある。いつも記事の終わ りが「成り行きが注目される」。何も取材せずに「注目してもいないのに、注目するフ リをする」記事である。

 何か、この社説には「成り注」的な臭いがする。

 そこで「我が二代目魁の掲示板で、こんな意見を書いている人もいる」と伝えよう と「誰があの社説を書いたの?」と論説室に聞いた。

 筆者は意外にも親しいMクン。僕の3代後のサンデー毎日編集長をつとめた人物だっ た。

 彼に直接、聞くと「なかなか難しい問題で、論説室で十分議論をした上で、自分が 担当になって書いた。短い時間でバランスを取って書いたつもりだが」という。

 確かに論説は難しい。バランス、というのが難しい。

 それにしても、やはり「いまの若い者は……」的な短絡は拭い切れない、と思った ので、率直な僕の意見を述べた。親しいから、彼と仲が悪くなる心配はない。

 大体「社説」という形の記事が、毎日毎日、紙面に載るのに無理がある。社説は、 ここ一番、新聞社の独自な立場を表明する時に発表すればいい。

 毎日毎日「社」としての意見を構築するなんて、これほど価値観が多様化する時代 にナンセンスではないか。

 こんなことを言うと、また「上」から睨まれるかも知れないが、社説欄は「深みのあ る議論の材料」を提供するスペースと考え、双方向的広場に衣替えすべきだ。

 未だに、論説の目線は読者と遊離している。

 昼すぎ、成人式でクラッカーをならした馬鹿野郎、逮捕。高松市の市長は最低だと 思う。市職員は最低だと思う。

 自分たちの言葉で、自分たちの力で、その場で、乱暴狼藉を排除すれば良かった。 まともな若者の力を借りて、排除すれば良かった。度が過ぎた狼藉をどう捉えるか、こ れも意見が別れるところだが、別の意味で、自治体の長が安易に警察権力を使うことに は首を傾げざるを得ない。

 警察権力の恐ろしさを知れ! 

 これからは市長の悪政を糺しに行った人間まで、逮捕されることになるかも知れな い。

 やってもやらなくても良い「成人式」で、逮捕者を出すなんて。こんなくだらな い「成人式」は止めた方がいい。

 ある新聞社(毎日ではない)の人間が「高校野球の開会式で挨拶したいから社長に なりたい」と言ったそうだが、成人式で挨拶するのが人生最大の喜び、と勘違いする首 長がいる。

 こんな目立ちがり屋の行政官が、偉そうな言葉で成人を祝い、教育を語り、その挙 げ句、ちょっと、手に負えないことが起こると警察に頼みに行く。

 ああ、情けない。

 これが「二代目魁」の社説?である。

 夕方「二代目魁」のアクセス件数が10万件に届きそうになっていることに気づい た。

 意味も無いのだが、いつ頃かしら?何て予想し、ドキドキする。僕にとっては 歴史的な通過点なので、100000件目にたまたま遭遇した方。プリントアウトして、 送ってくれませんか。ささやかなお礼を用意します。

 初句会は10日で締め切り。凄い数である。選者の石寒太と会うつもりだったが、 彼「今日は撮影があるので……」。12日に昼飯を食べながら、彼と段取りを決めるこ とにする。

 夜、鳥越神社まで散歩。寒いにも関わらず、ジワッと汗をかく。

<なんだか分からない今日の名文句>

100000、一日のごとし



1月10日(水) 田中角栄と作家

 初めて地下鉄大江戸線に乗った。

 柳橋から歩いて3500歩。蔵前駅で乗って赤羽橋まで。約20分。そこから約 800歩で東京専売病院に着く。片道の総所用時間1時間20分。何しろ普通の人が歩 く時間の2.5倍もかかるので、精神的には「大変な移動」。

 いつもタクシーを使っていたが、血糖値が上がったので、なるべく歩くようにつ とめる。でも、午前中に5000歩ぐらい歩くと、少し疲れる。

 それでも、大江戸線の駅にはエレベーターがついているので助かる。乗客が少な いのも助かる。

 前回の血液検査の結果。全ての項目で正常値。大山ドクターから「立派ですね」 と褒められる。歩くことは良いことだ。

 帰ると作家・大下英治から電話。

 「ここだけの話、読んだ。俺も権太楼が好きなんで、それを知らせたかった」

 権太楼ファンは多いのか。うれしい。

 近況を訪ねると「田中(角栄)学校の三部作を書いている」とのことである。

 なくなった作家・戸川猪佐武さんの名著「吉田学校」を念頭に書いているのだろう。 戸川さんと昵懇だった関係で僕は「吉田学校」第8部のお手伝いをした。

 「吉田学校」はベストセラーになり、映画化され、試写会を明日に控えた夜、戸 川さんはホテルニューオータニで急逝した。

 腹上死だった。

 当時「戸川のたった一人の弟子」と言われた僕は、週刊誌の記者から「戸川さん の死因」について取材攻勢をかけられ、横浜に避難したのを覚えている。

 戸川さんは田中角栄と極めて親しい間柄で、戸川さんの葬儀では、闇将軍と言わ れ、絶大な権力を握っていた田中角栄が弔辞を読んだ。その弔辞を代筆したのが僕であ る。

 その頃、角川文庫で「小説土光臨調」「小説新自由クラブ」などを発表していた 僕に、編集者から「牧さん、貴方の手で田中学校を書いて欲しい」と言われていたが、 ついに実現しなかった。

 それを大下が書く。

 大下は僕と同い年。量産作家として有名で、電車のホームにうずくまって、原稿 を書きまくる異才。応援して欲しい。

 午後、リースを注文していた「コピー兼FAX機器」が到着。使い方の説明を受 ける。4時に仕事場を出て、野暮用2件。野暮用先の城山ヒルズの喫茶店で学生時代の 友人と落ち合い、日テレ近くの「秋本」で鰻。ここの鰻は絶品。(大森の「野田岩」も 絶品。小伝馬町の「近三」も絶品)

 昭和通り沿いの「小宮」で日本酒を少々。話は不景気、リストラ。彼が某企業の 人事部長をしているので、話は生々しい。

 「まあまあ、俺達、幸せじゃないか」で夜が更けた。

<なんだか分からない今日の名文句>

幸せなら腹上死







1月9日(火) 「ここだけの話」は水曜更新

 朝「ここだけの話」のゲラ直し。自殺した桂三木助さんのことを書いたのだが、つ い「自殺は卑怯なこと」と思えて筆が走った。書いた後に一日経つと失文?に気づく。 「卑怯」という文句を削って、少しトーンを押さえた。

 「ここだけの話」は東京、北海道、九州地区の毎日新聞火曜日夕刊に掲載される。 夕刊の無いところでは水曜の朝刊。

 ところが、東海、近畿、中国、四国の地区では新聞に載らない。筆者としては、そ れが情けない。

 このホームページの開設した理由の一つは「ここだけの話」をこの地域の人たちに 読んでもらうためだ。

 これまで、新聞との関係から金曜日に更新していたが「もっと早く」の要望もあっ て、水曜日更新にした。是非、この地域の人に宣伝して欲しい。

 ゲラを直してからリハビリ。

 話題は「荒れる成人式」。何故、市町村が成人式をするのか、僕には分からない。

 お祝いはそれぞれの家庭で、職場で、学校で、好きな仲間でやればいい。僕の30 年以上前の経験では、挨拶を寝ながら聞いた。偉い人の説教を聞くために、貴重な時間 を使うなんてばかばかしい。

 療法士の吉良さんの提案。「20歳まで育てた父親、母親を集めて、お祝い会をす ればいい。家内の意見ですが」。その方がよっぽど意味がある。

 午後は歯医者。夕方「柳橋物語の資料を貸す」と言ってくれた弁護士さんを訪問。 貴重な本を読ませてもらう。これは貴重な資料だ。

 弁護士さん、浅草出身の方で江戸の地図にも明るいし、蔵書が凄い。本職の弁護士 活動の話になると、有名人の隠れた話題も登場する。ひょんなことで、新たな人脈が増 えた。

 初句会は10日締め切り。お忘れなく。

<なんだか分からない今日の名文句>

言いたいことは明日言え







1月8日(月) キャリアウーマン

 「柳橋物語」は今日で新連載2回目。うれしいことがあった。

 隣町の浅草橋に事務所を持つ弁護士さんが、人づてに「柳橋の資料があります。も し、よろしかったら提供します。今の内に、一冊の本にしておかないと、花柳界として の柳橋が忘れられてしまう」と伝えてくれた。

 資料が少なくて困っていたから、早速、お会いするつもり。

 友人からは携帯。「昭和も戦前、終戦直後、職業婦人は極めて少なかったのだろう。 料亭の女将は多分、その時代を代表するキャリアウーマンだったと思う」と感想を述 べてくれた。

 戦争直後の東京柳橋料亭商業共同組合、東京柳橋会の役員名簿入手。義母・牧キミ は東京柳橋会の理事として写真が載っていた。顔つきは、それこそキャリアウーマンの それである。

 3連休も最後。昼から年賀状の整理をする。

 誰か分からない方の年賀状が数通ある。どうしたら良いのか。返事を出すべきなの か。分からない人に返事を出すのは、むしろ失礼ではないか、などと悩む。

 ちょっと「現職」とか、会社の名前とか、どこどこの同窓とか、書いてくれると助 かるのだが。

 年賀状は年の始めだからかも知れないが、書いた人の「思い」「現状」が分かる ような気がする。

 ことしの賀状に「人生、七転び八起き」という文句を書いてきた人が2人いた。日 本は転がっている、と思っているのか、自分が転がっていると思っているのか。

 自分を、周囲を、みんなを励まさないと思っている。

 「サンデー毎日は死にそう」というのも2通あった。偶然なのだろうか、心情が胸 を打つ。

 こんなのもあった。

 「大波小波乗り越えて 福はかならず やってくる」

 誰から?と差出人を見ると「ラ・ピスタ新橋」。競輪の場外車券売場である。

 本当に「福」は来るのか。

<なんだか分からない今日の名文句>

賀状に滲む涙







1月7日(日) 小雪inザ・ダーク

  週末、僕の周辺では日本経済新聞と朝日新聞、読売新聞とサンケイ新聞の提携に話 題が集中した。

 日経と朝日は配信の提携。当面、日経のスポーツ、芸能面に朝日系列の日刊スポーツの記事が登場する。日経の総合紙化?

 読売とサンケイの結びつきについては不明。

 提携・合併すると、何がプラスか、マイナスか。新聞人は十分、考えなければならない。

 新聞社同士の合併は販売網強化(あるいは切り捨て)の面で意味はあるが、果たして、編集方針が一致することが可能なのか。

 古い言葉だが「体制」にとって、主要メディアは少なければ少ないほど、コントロールしやすい。「体制」側が、合併を後押しするような施策に乗り出すのだろう。広い意味で再販制の問題もその一つ?

 いずれにしても、あまりあわてることはない。

 世の中、あるとあらゆる業界が合併、統合で浮き足だっているが、目的がはっきりしない「結婚」は「あわてる乞食は貰いが少ない」である。

 毎日新聞に関して言えば、経営基盤の整備に全力を挙げるべきだ。赤字部門の整理はやむを得ない。問題は新聞社として、存続する社会的責任があるかどうか、見極めることだろう。

 数通の年賀状に「サンデー毎日が死にそう」という悲鳴が綴られている。部数が伸びず、編集部は苦境に立たされている模様である。OBとしてはいかにも苦々しい。何か、手助けをしたいのだが……。サンデー・イン・ザ・ダーク?

 午前中、原稿を一本書き上げてから、話題の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見に行く。

 失明寸前の母。同じような失明の危機に直面する我が子。我が子だけは手術させたい、と母は貧しい暮らしの中から、お金を貯める。ただ一つの喜びはミュージカル。音を聞くと、自然に空想が広がる。ところが……筋書きを書くのは、よろしくない。この程度にするが、重い重いミュージカルである。

 僕の印象を2,3。

 (1)久ぶりに見たカトリーヌ・ドヌーブは綺麗だった。1943年10月22日生まれ。僕より1つ年上の57歳だが、とても50代には見えない。「シェルブールの雨傘」「終電車」を見た世代は彼女の美しさを確認すべきだ。

 (2)舞台は1960年代のアメリカ。当時の陪審員制度がそれほど感情的なものなのだったのか。死刑執行のやり方、特に絞首刑に立ち会う人間の顔ぶれ。非常に興味深い。移民に対する差別、興味深い。

 (3)ロケ撮影が中心で、大道具、小道具を使っていない。それでいて幻想、空想を表現出来るのは、かなりの力量があるからか。

 ストーリーを書かないで、印象を書いても何の事だか、分からないと思うので、これでやめる。

 母親が命より大事にするものが、よくよく分かるから、少し涙ぐんでしまった。

 が、評論家が「嗚咽する」というほどではない。むしろ、ミュージカルの形を取った「1960年代のアメリカ批判」と考えた方がいいような気もする。

 映画館を出ると小雪がチラチラ。

 足の先が冷たくなった、と思ったら、深夜、夜の底が白くなった。

<なんだか分からない今日の名文句>

「闇」に命より大切なもの







1月4日(木) 毎日新聞社内誌の元気

 朝、「たいとう診療所」で、ことし初のリハビリ。このあたり、4日から始める診 療所は少ない。見回したところ、患者仲間は全員、元気で年を越した。

 新年の挨拶の後に出る話題は、決まって「落語家・三木助の自殺」。いつも黙々と リハビリをこなし、雑談に加わらないご婦人が「自殺なんて、許せない」と柳眉を逆立 ている。

 脳卒中で倒れた人間の多くが一度は自殺を考えるが、結局、命の尊さに舞い戻り、 その逆境から這い出そうと奮闘する。励まし合って奮闘する。人によっては、倒れたこ とで職をなくし、経済的にピンチになり、離婚する人もいる。でも奮闘する。リハビリ が痛くてしょうがなくても奮闘する。

 ご婦人は「奮闘しない落語家」が許せないのかもしれない。事情が分からないから 「自殺=悪」とは言えないが、残念でならない。僕が「自殺する暇があったら、代わり にリハビリしてくれ!」と言ったので一同爆笑。でも、複雑な笑いである。

 午後から初出社。B1の廊下は、両側の飲食店から香る?アルコールの臭いが充満 している。例年4日は、午後から無礼講で飲み始める部もあり、夕方には酔っぱらいま で出る。

 まだ、正月には新聞社らしい雰囲気が残っている。

 配られていた社内誌「毎日季刊・2001年新年号」を手に取る。実は、これを心 待ちにしていた。

 多分「旧石器発掘ねつ造」大スクープの裏話が出ていると期待していたのだが、出 てる、出てる。

 「禁無断転載」と書いてあるから、外部の人に内容を明らかにしてはいけないのか も知れないが、この裏話には、読者に知らせたいことが幾つもある。

 例えば「一通のEメールから全てが始まった」こと。「新鋭機材が活躍した」こと。 「身内も騙して、連日、張り込みを繰り返した」こと。どれもこれも、興味深々。サ ンデー毎日あたりで、取材メモなどを公開してもいい。これを読むと、この果敢な調査 報道は「毎日」だから出来たのだと思う。

 この「社内誌」を読んだら、読者も改めて祝杯を上げたくなるだろう。

 この号には橋本編集局長のインタビューが載っていて、毎日の編集方針を明らかに しているが、さわりは「社員の非拘束性が毎日新聞の良いところ」と話している点だ。  この非拘束性は、上から押さえられた「不自由な読売」、普段、進歩的なふりをし ながら結局は権力の走狗になりさがる「二枚舌の朝日」とは大分、違う。

 この社内誌が評判が良いのは、社の幹部に本音の取材をしているからだろう。

 「社内誌」を読むだけでも、何か「毎日」に可能性があるような気がする。出来れ ば、無断転載を「どうぞ、勝手に転載していただきたい」にしてはどうだろうか。

 明日は中山金杯。たまちゃんの本命はメジロロンダン。ハンデ戦では、見違える走 りを見せるだけに、乗ってみるか。

 
<なんだか分からない今日の名文句>

金杯当てって乾杯







1月3日(水) 児童数は1クラス15人

 日記に「江戸には横の連帯があった」と書いたら、鹿児島出身の学生時代の友達から「ことしも、薩長嫌いで押し通すのか?」とからかいの電話が掛かった。

 久しぶりの渋い声に、当方の声も弾んだ。

 年賀状に「ホームページを始めた」と書いたので、アクセスしてくれたのだろう。良く読んでいる。

 ハガキを出すとか、電話をするとかしないと「ホームページ開設」を知らせられないのは、妙と言えば妙である。

 「掲示板とか言うところに、江戸贔屓に抗議の手紙が来ているじゃないか」と当方をからかう。

 いつも酒を飲むと「薩長か、江戸か」の大論争をした学生時代が懐かしい。

 別に薩長の歴史的使命を認めていないという訳ではない。しかし、明治維新から130年ぐらい立つと、薩長が作り上げた「政官の縦の秩序」は意味を持たなくなる。

 失われた10年。バブル崩壊以降、日本国の政治家、官僚は何をしてきたのか。

 東大教授の猪口孝は「何もやらなかった具体的な例」として、国際貿易の通関業務を上げている。国際データ交換に遅れた海運国・日本は通関額で世界10位以下になってしまった。国際データを取り入れることに躊躇した日本は、この分野でも「時代遅れ」というイメージが定着した。

 江戸末期、開国を進めたのは、薩長か、徳川慶喜か。それは議論の別れるところでもあるが(僕は徳川慶喜の方が本当の開国派だったと思うが)、それはそれとして、日本の薩長支配が確固たる官僚制度を作り、それが機能した時代もあった。しかし、今や、この「官僚による縦の秩序」は意味をなさない。

 大多数のお役人が自ら認識しているところだが、役所の機能は時代遅れも最たるもので、前例を尊び、仕事の意味、目的は考えず、考えたとしても二の次、三の次で、ただ自己保身のためにだけ仕事をやっている。ともすれば民間を敵視し、業者をいじめる。

 一生懸命、仕事をしている役人であれば、あるほど「これで良いのか」と悶々としている。

 日本の閉息感の多くは官僚制に起因している、と民間は承知している。が、役所が怖くて文句も言えないのだ。

 薩長贔屓の友人も「何もしない日本が、また10年も何もしない、なんてことになったら、どうしようもないな。江戸、薩長の問題ではない」。

 彼、お酒が入らないと威勢がないと思ったら、逆襲に転じる。

 「東大嫌いのお前が、良く猪口教授を評価するなあ?」

 僕は薩長嫌い、東大嫌い、と仲間内で評判だが、これも勘違いで「柔軟な東大は好きで、硬直化した東大は嫌い」と言っているだけである。

 猪口が「1クラス、児童数15人にせよ」と主張しているのには、僕も大賛成なのだ。

 教師の目と愛情が注がれるには15人が限度である。

 これが実現出来れば、教育改革は一気に解決出来る。

 政治家が地元のために、やれ橋を造る、ダムを造るで奪い取る「公的支出」があまりに多すぎて、本来、国家が使うべきところにカネが回らない。教育にカネが回らなくてどうする。

 大学の先生より、小学校、中学校の先生の方が立派であるし、苦労している。小、中学校の教員数を増やさなければ「荒れる教育」は無くならない。教育改革を「道徳教育の強化」なんて勘違いしている現政権。教育改革で点数を稼ごうとするのなら、公共事業費を教育に使え。

 と、まあ、ここまで話すと、友人「よくまあ、話すな。江戸っ子には珍しい理屈屋だなあ」とチクリ。

 後は、二人とも大笑いだった。

<なんだか分からない今日の名文句>

君子は友をもって鏡とす







1月2日(火) 江戸には「横の連帯」が

 朝、元旦の新聞各紙をじっくり読む。毎日新聞だけではなく、表現は微妙に違うが「 縦の秩序より横の連帯」風の論調が目立つ。

 正直に言えば「何をいまさら」という思いである。

 江戸はいつも「横の連帯」だった。職人の連帯があった。江戸幕府は小さな政府だっ た。

 明治以降の薩長の思想が、未だに強いから「縦の秩序」が人々に閉息感を与えるのだ 。

 新聞の紙面、特に政治面などは相変わらず「薩長的」。地球市民を認識している人 々は、既にネットワークで閉息感を打破している。

 午前10時「深川閻魔堂・法乗院」に墓参り。義母も、実母もこの墓にいる。代々「 深川や文吉」を名乗った先祖は全てここにいる。

 僕も、この墓にはいるべきなのか、このところ悩んでいる。

 散骨してもらいたい思いもあるが、あの世に行ってから、同じ墓に入らないと肩身が 狭い、なんてことがあるのか?

 川崎競馬場へ初馬券。3レースは2着3着。4レース休み。5レース当たり!連複1 160円。6レース1着3着で駄目。通算1勝2敗。穴狙いの当方、早くも損をする。  知り合いが出来た。

 80歳の紳士。「スキーで骨を折ってから、不自由で」と言うが、穴場に行く足取り だけはしっかりしている。「子供はいない。女房は入院中。週2回はヘルパーさん、残 りはお手伝いさんが面倒を見てくれる。普段はお手伝いさんが一緒に競馬場に来てくれ るんだが、風邪で休みなんだ。ともかくカネを使わないで死ぬと、もったいない。あの 世に持っていく訳にはいかないから、毎日、競馬、競輪。好き?それほど好きではない だが、やることがないからネ」

 でもレースの度に、払い戻し窓口に行く。馬券はうまいのだろう。

 「また、会おう」で別れたが、川崎は遠くて、正月ぐらいしか行けない。

 昼は場内のレストランで「ハヤシライスとうどんのセット」。950円は高い。

 風が強くて6レースで止め、東京へ。

 東京駅大丸で福袋を、と思ったが売れ残りが多い。あんまり残っていると買う気にな れない。

 タクシーの空車も目立ち、景気は今一つ、のような気がする。

<なんだか分からない今日の名文句>

三途の川も、カネ次第







1月1日(月) 女傑・牧キミ

 1991年1月2日午後6時過ぎ、義母・牧キミは急逝した。数え92歳だった。あ れから、丁度10年ということになる。

 あの頃、僕は元旦を京都で過ごし、1月2日、キミのもとへ年賀に行くようにしてい た。京都、奈良の正月が好きで、12月30日か大晦日に西に向かい、2、3泊して社 寺を歩く。

 この年も、週刊誌の年末年始合併号、そして実質的な新春号の大枠を作り終え京都に 向かった。大晦日、閑散としていた薬師寺境内で、作家・小田実さんをお見受けしたのを 記憶している。

 この年も、奈良ホテルで一泊して新幹線で東京に戻り、亀戸のキミの家に行くと、既 に目が不自由になっていた寝たきりのキミは「遅い。毎年、京都に行くのは、向こうに 女が出来たのかい?」。

 彼女から一万円入りのお年玉をもらい、すき焼きを食べた。例年と同じだった。

 ところが、家に帰ってから3時間後、異変が起こり、知らせを受けた時は、こと切 れていた。

 内蔵破裂。あっけなかった。

 生前、僕が新聞記者(売文屋)になったことに腹を立ていたが、僕の記事は全て読み 「最近は、文章も上手になった。これなら、あたしの小説が書ける。書いておくれよ」 と冗談を言っていた。

 「深川や文吉・6代目」だった彼女は一生独身で「柳橋・深川亭」を守り通した。女 傑だった。

 「7代目」と心に決めた僕が、意に反して、新聞記者になってから元気がなくなり、 時勢も味方しなかったこともあり、店を畳んでしまった。が、それまで「『いなだい』 は嫌いだよ」と良いう信念を貫き通し、権力と対峙する姿勢で押し通した。

 「いなだい」とは「権力ぼけの田舎代議士」のことである。彼女はお座敷で「いなだ い」に頭を下げることはなかった。

 江戸っ子気質は新興の花柳界「赤坂」が「いなだい」を大事にし、密室政治、賄賂政 治の舞台に成り下がったことに違和感を感じ続けていた。キミは、洒落もわからない官 僚にも、違和感を感じる「薩長嫌い」の典型だった。

 僕に取って、キミは実母・文と同様「反権力の気概」を教えてくれた、かけがえのな い師だった。

 死後10年たって、ホームページという「反権力の砦」になりうるメディアで、彼女 を中心公にした「かつて日本一の花柳界・柳橋」を記録することが出来たとしたら、 本望である。

 「柳橋物語」スタート。僕に取っては記念すべき元旦である。

 僕はキミがなくなった年の12月、脳卒中に倒れた。 身体が不自由で、それ以来「 正月の京都行き」はなくなり、元旦は友人たちと関東周辺で初日の出を楽しむことにし た。今年は風が強く、さんざんだった。

 午後。浅草観音。帰りに浅草演芸ホールで落語、いろもの。これもいつものことであ る。落語の「顔見せ」を見るのは、江戸っ子の勤めでもある。

 夜は、昔、国際劇場があったあたりの「富士楼」でかき鍋を食べる。一人1300円 。安い。

 2日は一番で深川・閻魔堂」でキミの墓参り。その後はどうするか。駅伝にするか、 川崎競馬にするか。はたまた、福袋にするか。

 箱根駅伝には、ジョン・カーニャとフランシスコ・ムヒアの二人のケニア留学生を抱 える平成国際大学が初登場する。テレビで「駅伝の平成国際」を宣伝する大学のサバイ バル作戦、成功するか。楽しみ。

 元旦の新聞社のスクープ合戦では、サンケイスポーツが伝えた「田中康夫結婚」が興 味深々である。

<なんだか分からない今日の名文句>

「いなだい」撲滅







12月31日(日) 20世紀の大晦日

 朝、珍しく新聞各紙を読み比べる。

 読売の一面トップは「公務員 国・地方を一本化」の特ダネ。朝日は「マニラで同時爆弾テロ」、毎日は「KSD 政界向け15億円提供」、日経は「銀行・証券 成長分野で連携強化」。

 年末の新聞、特に大晦日の新聞は個性が出る。発表モノがないからだろう。得意分野がはっきりしている。

 読売は、この正月、特ダネ攻勢で行くらしい。毎日に「石器ねつ造」を抜かれてから、上の方から「大スクープで21世紀を迎えろ!」と厳命が下っている。しかし、ここまで見事な特ダネと言えるものはない。

 元旦の新聞は勝負どころ。昔は、デスクから「あっというような特ダネを用意しろ」とハッパをかけられたものだ。さて、我が毎日の元旦紙面はどうなるのか。興味深々。

 午前中に「記者の目、読んだ」という友人の電話。「金語楼の話、俺も知っていたよ。分かりやすい、水準以上の記者の目だ」とお褒めの言葉。「でも、もっと面白いエピソードがあるんだ。金語楼師匠は、あの対談で『親を切るのが親切というのはおかしい』と話している。考えてみればそうだよな。その頃から、彼は親子の断絶を意識していた、ということになる」

 なるほど。金語楼はライターでもあったから、言葉に敏感だったのだろう。それにしても、友人氏、博学である。(この話、「21世紀最初の年賀状」のページに載せる「牧太郎の20世紀最後の原稿」を参照されたし)

 大井競馬場はハイセイコーの像の除幕式。ぜひ、行きたいと思っていたが、野暮用が重なって駄目。たまちゃんはナイターの最終レースまで参加したらしい。

 新しい「怪物候補」カゼノモンジローが圧勝した、と聞く。喜ばしい限り。来年は国民的なスターホースが、出るかもしれない。

 年越しそばを食べると、20世紀もあとわずか。

 小生、年齢56歳と51日。身長174・5メートル(少し縮んだ)、体重67キロ(減量の成果?)矯正視力、右1・2、左1・0、差し歯、前頭葉あたりの髪は白い。それに右半身麻痺。どこと言って健全なところはない。

 収入は世間並み(以下、という人もいるが)。競馬の負けは一年間でウン十万円。競輪の負けはウン万円。

 だらしのない男だが、何故か、友人の数だけは多い。

 これだけは誇れる。人脈だけを頼りに、新しい年を迎えるぞ、とワインで威勢を上げた。

<なんだか分からない今日の名文句>

20世紀は、風と共に