編集長ヘッドライン日記 バックナンバー
2000.12月




12月28日(木) オウム、東京へ進出!

 朝4時に起きて、苦悶しつつ「記者の目」原稿を仕上げる。

 数日前、上司から「31日付けの朝刊に『20世紀最後の記者の目』を書くよう に」と命じられ、幾分、緊張していた。

 大晦日の朝刊は、普段の「記者の目」とは別に3人のスターライターが「特別の 記者の目」を書くというのだ。(僕が「スターライター」と言ったのではない。注文し た方がそう言った。気恥ずかしい。でも、そう言われと、まんざらではないが、ちょっ ぴり緊張する)

 一人は政治部の大先輩の岩見隆夫さん、もう一人は外交問題の専門記者と聞いた が、名前は聞き忘れた。

 3人の分野というか、得意不得意があるから、僕は社会部的なセンスで書けばい いのだろう。

 大上段に振りかざした原稿は苦手なので、サラリーマンの御用納めの夜、と言っ た調子で、不真面目だが、読んでいる内に、コトの本質をジワッとわかるように書いた が、どうだろうか。

 原稿の仕上がりに、思ったより時間がかかり、約束の映画鑑賞が出来ない。

 この日から、始まった「インターネット博覧会・20世紀ニュース映画」上映 会。

 ニュース映画の20世紀を振り返る貴重なフィルムを集めた出色の興行?であ る。

 この企画、僕のお師匠さん「銀座一丁目新聞」の牧内節夫・元スポーツ・ニッポ ン社長の発案。

 また、これも「恩義多々ある」愛波健・毎日映画社社長が制作。

 これも「恩義ある後輩にして、いまや上役」の健ちゃん(毎日新聞取締役事業本 部長)がプロデュース。

 “毎日一家オールキャスト作品”である。

 牧内さんから「俺の企画だ。必ず見ろ!」と言われたが、初日は間に合わなかっ た。申し訳ありません。

 愛波さんの解説によると、1900年(明治33年)10月、東京・神田の錦輝 館という劇場で「北清事変活動大写真」の7日間興行が行われたのが、ニュース映画の 始まりで、21世紀は戦争と平和が交差する世紀であったことが、よく分かる。

 会場は新宿武蔵野館。12月31日まで。大晦日はオールナイト上映。(問い合 わせはTEL03−3354−5670)

 ご用納めなので、午後から数カ所、挨拶まわり。

 中央官庁はどこも、省庁再編の引っ越しで忙しい。

 夕方からは飲み屋の借金返し。

 某日本料理店で板さんが「自分の住んでいるマンションにオウム真理教(アフ レ)の信者が100人近く、住み着いて大変なことになっている。どうしたら良いのか ?」と相談される。

 場所は東京・世田谷区南烏山6丁目30。

 3棟のマンションが並んでいて、その一つは一階のフロアーが彼らがすべて借り たもので「道場」らしきものが建設中。オウムの東京再進出? あの「こう言え ば……」の男もやって来る、との情報。

 板さんによれば「元警察官の大家さんが洗脳されていて、オウム寄り」なんだそ うだ。

 今朝は「オウム出ていけ!」の右翼の宣伝カーがやって来て騒然。年の瀬なの に気の毒である。

 この問題の解決は、どうしても時間がかかる。

 取りあえず、社会部に一報。

 明日から休み。新聞社の仲間の多くは休めないが、当方、ゆるりゆるりと歳を取 りたい。

 次回の「編集長ヘッドライン日記」は、元旦午前零時ごろを目標に更新するつも りです。

 
<なんだか分からない今日の名文句>

 歳の重ねも、上手下手







12月27日(水) ピンフ氏、中国へ

 突然のFAXの故障。どうしたものか、一晩中、悩んでいた。

 リース契約では「補修を含む」という条項がないので、修繕すれば4万円も掛かる。 これは痛い。

 修繕せずに新たな機種に変えて、新しいリース契約を結ぶか。多いに悩む。

 どんな奴が説明に来るのか。営業マンの出方を見て考えようと思っていた。

 その営業マン・RICOH特約販売店「コーヨー」の田辺淳クン。良いとこのボン ボンみたいで正直でいい。

 「大体、5,6年経つと何故か故障するようになっているようですね」と他人事のよ うなセリフ。気に入った。

 故障しなければ新品を買う奴がいなくなって、経済活動は停滞する。だから、我が 国の経済活動のために我が愛するFAXクンは心ならずも故障した。見上げたもんだよ、 屋根屋のふんどし。そう考えれば我慢が出来る。

 で、コピーも出来る新機種のリース契約を結んだ。

 午後1時、パレスサイドビル地下一階「赤坂飯店」で「福永平和氏のご苦労さん会」。

 福永氏は通称「ピンフ(平和)」。麻雀をやる人には分かるだろう。

 僕の後任のサンデー毎日の編集長。毎日新聞の組合の委員長をつとめた人物である。

 そのピンフ氏が突然、退社すると言い出した。びっくりした。

 彼とは社会部時代、いくつかの事件報道でコンビを組んだ。多分、息の合う間柄だっ たと思う。

 エピソードもある。その一つに「KDD事件・密室のインタビュー」。詳しくは書 けないが、我々は「手品のような取材」で携帯電話もなかった時代、誰も中に入ること が出来ない「密室の病室」で事件のキーマンとの単独インタビューに成功した。

 そのKDD事件班の仲間で「ご苦労さん会」を開いた、という訳である。

 当然「何故、辞めるのか?」が話題の中心。ピンフ氏の説明は以下の通り。

 「中学2年生のころ、本を読んで中国に関心を持った。早稲田大学に進んで中国研 究会に入り、2年生の時には学生だけで中国へ行った。それがきっかけで、僕の興味は 全て中国。何度か訪れては、中国の歴史を勉強した。実は、新聞記者をしながら中国語 の文献を翻訳していたんだ。中国で仕事をしたいと思い、何度か、チャレンジしていた のだが、今回、中国で日本語を教える機会が見つかった。単身で中国に行く」という説明。 集まった仲間は異口同音に「いいなあ!」。こんなにうらやましい 「第二の人生」はまず無い。

 夕方、仕事場から500メートルしか離れていない薬研堀不動尊の「歳の市」。多 分、日本で1,2の出庫市。お正月用品、衣類はめちゃ安い。これを見ないと、江戸っ 子は正月が来るような気がしない。

 正価12000円のBearのコートを4500円で買う。良い買い物と思うが、 どうだろう。(29日まで、JR浅草橋から5.6分)

 偶然、不動尊前で中央区長の矢田さんと再会する。矢田さんも共同通信の政治部記 者だったが、途中、退職して区長になった。地元保守政界の星のような人、と後で聞い たが、失礼ながら、抜かれてばかりの「出来の悪い記者」と記憶している。ところが、 区長になってからの彼は別人。圧倒的な支持を受ける名区長である。

 人間、職業に「はまる」かどうか、それが問題である。

<なんだか分からない今日の名文句>

四海兄弟(しかいけいてい)







12月26日(火) 外国人の犯罪

 久しぶりにリハビリ。

 ちょっと前、ホームページに「少し緩やかにリハビリをしている」と書いたので、 大好きな伊藤先生は、これを見て「お冠」なのだろう。

 「リハビリはきついですか?」と聞かれる。

 きついという訳ではない。が、行き帰りで約3・5キロ歩くとちょっと疲れる。リ ハビリの後に日程が押せ押せになっている時は、正直言って、きついと言えばきつい。

 患者仲間の顔を見るのが楽しいから、休みたくないのだが、仕事の関係でそうもい かない。

 社会復帰のステップが前進すればするほど、障害者は持ち時間の時間の使い方に苦 しむことになる。そんな感じだ。

 昨夜の社会部忘年会。事件記者の元締めのような某君と話していて「東京の外国人 犯罪をこのまま放置していいのか」という話になった。

 外国人のビル荒らしは組織的で、風のようにやって来て、現金と預金通帳を奪っ て、あっと言う間に逃げる。

 鍵を開けるのはお手の物。預金通帳は日本人の仲間の手に渡り、翌朝、換金される。

 判がないと、押された印影から判を作る名人がいるから、彼らは確実に換券可能な のだ。

 東京の外国人犯罪は、誰も止められない荒野を行くがごとし。どうして、その実態 を新聞は書かないのか。

 興味があるので、某紙の某デスクに電話で「どうして書かないのか?」と聞くと、 一件あたりの被害金額が少ないから、警察が広報しない。だから新聞記事にならないん だろう。

 おかしな話だ。僕だったら「外国人犯罪・新宿人脈の追及」なんてやってみたい題 材だ。

 いずれにしても、警察が広報するような大事件だけを追いかけるだけでは、新聞の 存在価値は疑われる。

 午後、FAX故障。修理に飛んできてくれた若者の話では、もう何年も使っている ので、これからも故障が続く。買え代えたらいい、とのこと。でも暮れのことだから、 新しい商品が納入されるのは、年を越す。これは不運だ。

 夕方、横町の床屋に行く。クリスマスイブにメールで星空のカードを送ってくれた。 これがロマンチックで、おとぎ話の世界にいるようだった。お礼を言いに来たついで に洗髪、ひげ剃り。

 珍しく待ち時間、約1時間。忙しい。

 「まあ、暮れは忙しいですよ。大晦日は全部、お客さんの調髪を済ませて最後に自 分の髪を切るんですよ」

 「自分でやるの?」

 「自分じゃ、出来ませんよ。歯医者の治療と同じで、散髪は自分じゃ出来ない仕事 ですからね」

 「そんなに遅くて、やってくれる床屋があるのかい?」

 「ありませんよ。女房と代わりばんこにやるんですよ。だから床屋は床屋同士で結 婚するんですよ」

 若い美しい女房が、ニコッと笑っている。

 仲のいい夫婦だ。仕事が終わった大晦日の明け方、夫婦がお互いに髪を切り、なで つけるなんざあ、粋ではないか。

<なんだか分からない今日の名文句>

日日是好日







12月25日(月) 歯が抜けた

 朝、歯間ブラシで歯を磨いていたら、ポロッと差し歯が抜けた。

 落ち込む。一日中、落ち込む。

 仕事の前に一番で歯医者に駆け込み、処置をしてもらう。何か「本当のお前の姿 は惨めなものよ」と神様が言っているようで、落ち込む。

 昼ごろ、新橋で取材。急いで仕事場に戻り「おけら街道」を書く。差し歯がまた 抜けたのではないかと、口の辺りを触って確認動作。とても筆が進まない。

 目の前のモバイルの画面?が「お前の歯の抜けた間抜けな顔を知っているぞ」と 言っているようで、落ち着かない。

 午後5時、出社。石寒太に会う。俳誌「炎環」を主宰する俳人で「俳句αある ふぁ」の編集長。その世界では著名人らしいが、僕にとっては単なる悪友。

 「俺のHPで、初句会をやりたいんだ」と相談する。

 「いつも競馬じゃまずいのか?」

 「まあ、競馬が分からない人もいるから」

 「お前は?」

 「俳句?少しは分かる程度」

 「うーむ。これではなあ」

 「一杯、おごるから」

 「まあ、協力するか」で合意成立。(2,3日後に「魁・初句会」の社告を出す つもり)

 6時半、社会部忘年会。隣に座った社会部長老?の佐藤健さん。「どっちがいい かなあ」と書き上げた「星野哲郎さんの本」の装丁を見て、思案している。

 「星野哲郎」の字に黄色を使っている方が目立って良い、とお節介。多分、この 本は売れる。演歌の世界、大恩ある先生の本なら、先を争って買うはず。

 健さんは、売れ筋を見るのがうまい。

 後輩の事件記者に「こんなこと聞いた」と耳打ちしたり、業界の情報を教えても らったり。

 若者に誘われて四谷で二次会。

 「新聞の運命や、如何に」と言った議論で11時まで。途中、新宿にいる、たま ちゃんから「こっちへ来い!」との指令があるが歯が気になって、とても「華の新宿」 に行く気にならず帰宅。

 零時過ぎ「有馬記念3連単大予想」で残念賞に輝いたノッコさんからメール。 「いただいてよろしいのですか?」と謙虚。思った通り、3連複大当たりは、女性だっ た。

<なんだか分からない今日の名文句>

傷口に塩







12月24日(日) 鳥越さんの奥さん

 朝、まだ薄暗いうちに起きて、野暮用先からTBSのラジオへ。「中村尚登のニュー スプラザ」で有馬記念の“予想らしきもの”を話す。

 「アメリカのブッシュ新大統領がテキサス生まれだからダイワテキサス」とか「最 近死んだミスターシービーの孫に当たるゴーイングスズカも捨てがたい」とか、いい加 減なことを話す。

 でもスポニチの「おけら街道」で本命にしているテイエムオペラオーに勝ってほし い。今度勝てば、天皇賞、JC、有馬記念の古馬3冠制覇で2億円のボーナスも入る。 通算賞金17億9134万円。そんな怪物が出れば、競馬の人気も盛り返すかも知れな い。

 控え室でTBSのスタッフの吉沢君が「鳥越さんの奥さん、牧さんが決めたんです か?週刊文春に出ていますよ」

 何だ、それ。

 週刊文春を持ってきてもらうと、人気の対談「阿川佐和子のこの人に会いたい」で 鳥越俊太郎さんが、いろいろと話している。気がつかなかった。(P163)

 奥さんとの出会いについて、牧がお見合い写真で選んだと誤解?されかねない部分 がある。まあ、そう言えばそうなんだが……。

 それにしても、最近、鳥ちゃんの「露出」が目立つ。「ニュースの達人」の呼び名 が定着した。

 外に出ると、吉沢君が「今夜からぐっと冷え込む」と言う。しかし、実感としては 暖かい。青森でマイナス2度の気温を経験しているので、気分はポカポカである。

 青森は寒い。六ヶ所村はさらに寒い。風が強いので、荒野に雪こそ少なかったが、 実感温度は青森より寒かった。

 人々はこの荒野で「原子力発電」と上手くやろう、と選択したのだろう。

 それしかない、とは言わないが、この選択肢は理解できる。一方で「恐怖感」と同 居し、一方で日本のエネルギーの「自立」に貢献している。

 その気分的な落差。難しい。

 寒さを思うと、つい「六ヶ所村のこと」を考えてしまう。

 高速道路を飛ばして、中山競馬場に向かう。タクシーの運転手さんに言わせれば 「有馬記念なら、この時刻、もう渋滞が始まっているのに。楽ですね」。

 やはり、競馬は不況なのか。

 それでも、普段、競馬場に来ない人も顔を見せている。某銀行の相談役。長いこと、 この銀行に君臨してきた某氏は、あまり競馬に明るいとは思えない。

 日本の経済の建て直しに尽力する某ビール会社のトップは、競馬大好き人間らしく、 生き生きと飛び回っている。

 さて、有馬記念は何を買うか。

 社台関係者は「ステイゴールドはどうでしょうか」と否定的。馬主サイドまで、そ う言うのに、タマちゃんはこのステイゴ−ルドで勝負をすると言い張る。どうしたも のか。

 考えに考え抜いて、大好きだったミスターシービーの孫、ゴーイングスズカの ワイド500円総流し。

 これは香典代わり。オペラオーとメイショウドトウの一番人気も買う。

 いい勝負だった。オペラオーの鼻勝ち。

 13番のドトウが指し切ったようにも見えたが、実はオペラオーが鼻差押さえてい た。

 ドトウは宝塚記念、天皇賞、ジャパンカップ、そしてこの日の有馬記念と、全て テイエムの2着。「一着になれない宿命」。可哀想だ。俺はドトウの味方になるぞ。

 もっとも、ミスターシービーの孫は最下位。思い入れでは馬券は取れない。

 真っ暗になったターフでオーケストラの「アイーダ」の生演奏。大きなクリスマス ツリーの向こうに花火も上がって、ロマンチックだ。

 午後6時半すぎ、競馬場の造園課で酒盛りをしているというので、ウーロン茶で参 加する。

 造園課のメンバーはツルマルツヨシが故障で競走を中止したことが、頭にこびりつ いているのだろう。やりきれない様子だ。

 骨折らしい。

 「良いレースだったが、故障馬が出たら……」と言葉を噛みしめている。無事にレー スが終わってもらいたいのはターフマンの全員の願い。それが痛いほど、分かる。競 馬は時に残酷でもある。

 「オペラオーも直線で良いコースを取りに行き、トウホウシデンと接触している。 審議のランプが付かなかったから、軽微な接触だが、トウホウシデンはそれで行く気を 無くした。それが年齢の差」。

 現場の解説は評論家を越える。5歳になったシデンも応援するぞ。

 売り上げは、一年中をならし前年比6%ダウン。

 ファンはレースに酔っても、あくまでも冷静。クリスマスツリーと焼酎酒で、中山 競馬場はほろ苦い大晦日だった。

<なんだか分からない今日の名文句>

醒めつつ、酔う





12月21日(木) 青森は吹雪

 午後から青森へ行くので、たいとう診療所は休む。結構、リハビリはきついので、 日程が詰まっている時は休む。リハビリもほどほどーーが最近の流儀である。

 その代わり、時間が出来たので、朝一番で町内の床屋へ行く。

 仕事場のある東京・柳橋界隈は昭和30年代までは日本一の花柳界だった。隅田川の水が汚れてからは、花柳界として人気が落ち、その後ビジネス街に変貌した。

 休みになると、お隣の浅草橋は活気づくが、柳橋は人影もまばら。

 それでも町内に一つの床屋は大晦日も営業する。

 「大晦日に仕事をしないと、お正月の気分が出ないんですよ。料亭に勤めていた方 が大晦日には、遠くからやって来て、ここで髭を剃る。うれしいじゃありませんか」。

 その昔、料亭の板さんは、大晦日の遅い時間になって床屋へ行くのが決まりだった。

午前1時、2時に銭湯へ行き、床屋に行く。これが粋だった。二代目の床屋は、昔の ことを思い出して大晦日も頑張る。

 床屋のオヤジに「正月からホームページで柳橋物語を書くつもりなんだ。が、その 前に我がホームページは有馬記念3連単の真っ最中。君も参加しろ」と強制する。

 育英小学校の出来の良い後輩は「馬券を買ったことはないけど、これから勉強しま す」。

 果たして間に合うだろうか。

 床屋を出て蔵前まで散歩。午前中に5000歩、歩きたい。

 途中、品の良い奥さんに声を掛けられる。

 まず、こんな時は「脳卒中ですか? 私の主人も……」というケースがほとんど。 今日も当たり。

 2ヶ月前に、ご主人が倒れたが、歩けるようになるか?と言う質問である。「大丈 夫ですよ。僕だって歩けるようになったんですから」と激励する。

 これ、最近の日課の一つになっている。冬、脳卒中の季節。

 午後3時35分羽田発の青森空港行き。吹雪いているので、三沢に変更になるか も知れないと言われたが、運良くセーフ。4時50分、真っ暗な滑走路に滑り込んだ。

 寒い。0度。

 宿は浅虫温泉。30年ぶりに見た浅虫温泉は昔のような活気がまるでない。ホテル、 旅館23軒。不景気なのか。

 海に向かった部屋で闇をみるだけ。楽しみなんてまるでない。明日は六ヶ所村で原 子力関係の取材。

 今日は冬至。

 明日から、昼の時間が増える計算である。

 ぼやっと春の来るのを待つ温泉町。ああ、寒い。

<なんだか分からない今日の名文句>

一陽来復





12月20日(水)「私の好む一群」が20世紀?

 寒い。昨日とかなり違う。

 トイレに行って時計を見ると午前4時半。もう一度、ベットに潜り込むと、すぐ眠 れて夢を見る。

 昭和天皇と一緒に東京を漫遊する夢。妙な夢を見るもんだ。実に子供っぽい疑問だ が、何故、人間は眠ると夢を見るのか。何故、全く自分と関係ない夢を見るのか。

 そのからくりが知りたい。知ってから死にたい。21世紀の最大の「解明すべき課 題」は夢ではないのか。

 朝飯を終えて赤坂へ野暮用。ついでにJRAに顔を出し世間話。

 「横浜新税はどうなるのか?」「我が国の借金体質は、このままで良いのか」といっ た話。そこへ副編から「日記にNETとあるのはNTTの間違いだろう」と電話。そ の通り。お恥ずかしい。どうも、原稿が詰まって、出来上がった原稿を読み返すことを 怠っている。恥ずかしい。

 午後は原稿。

 暇を見つけてメールを整理すると、この日記の読者から「天領味噌」の店を教えて くれる手紙。塩分極めて少量の味噌。ネーミングも気に入った。探していたので、大助 かり。さっそく電話で石川県の民宿も経営する味噌屋に注文する。

 一キロ900円弱。ペリカン便で送ってくれるとのこと。楽しみである。

 夕方「草思」1月号の「20世紀とは何だったのか」を読む。

 岩田宏氏の「世紀末の雑談」が面白い。

 A、Bの二人が20世紀文学とは何だったのか、話し合う。結局「20世紀は私が 好む一群の詩人、小説家のことだ」と言うくだりにたどり着く。

 そうか。「好む」個性が20世紀だったのか、なんて、嫌に共感する。

 友人が編集する雑誌だから言う訳ではないが、定価100円で、これだけ楽しむこ とが出来る雑誌は数少ない。(草思社TEL03−3470−6565)

 夕飯を済まし、一眠りしてから、再び原稿。

 忙しくて、参加出来ないでいる掲示板を覗くと、気になっていた「あかねさん」か らの返信あり。

 ジャーナリストの観念的な男女論を批判する彼女の本音の意見も必要だ、と思って いたので、うれしい。

 もっとも、僕は彼女が言う「観念的な記者」では断じてない。理解してくれるよう に努力しなければ……。

 ついでに、有馬記念3連単の応募状況を点検。必ずしも「テイエムオペラオ−絶対」 と予想する人ばかりではないようだ。

 有馬は好きな馬から。午前3時過ぎ、就寝。

<なんだか分からない今日の名文句>

夢に餅食う





12月19日(火) 「フジモリは銀座へ行け」

 寒いので、サッと起き出すのが苦痛になった。

 ベッドの中で、前夜「久原」で会った「23万円馬券の男」のことを頭に浮かべ ていた。

 馬券のコピーを前に、この男「3歳馬は15番の馬が強いですよ。まあ、こんな 馬券を取るのには理屈を越える何かがある」

 あの男、朝日の野郎か?(久原の客の大半は朝日新聞関係者)。有馬記念では、 こちらが勝つ!

 昼過ぎ。仕事場のあるビジネスビルの火災訓練。

 学んだこと。

 (1)119番の通報は大手町のセンターで全て受信されるが、NTTの技術協 力で発信場所がセンターの地図に明示される仕組み。しかし、引っ越しなどで発信場所 が変わって明示されることもある。出火場所は、ゆっくり、目安の場所を入れて知らせ る。

 (2)ビル火災の場合、焼けた損害より、水びたしの損害が大きいことがある。 初期消火がまず大事である。

 (3)地震。耐久性が信頼できるビルで、火災が無い場合はビルの中に「籠城」 すべきだ。避難場所の炊き出しは、避難した人の10%程度しか準備されていない。

 かねて用意の乾パンと飲料水で籠城する。これが一番。

 火災訓練の折りの世間話。

 浅草橋付近の衣類バーゲン。佳境。9800円のセーターが1800円。早速、 買う。

 年間売り上げの2000億円のアメ横では、ネット通信販売が始まった。アメ 横の情報では、すでに、どこどこの新聞が取材しているとのことだが、取材するには時 間がない。

 「ことしもあと××日」になると、この辺は「アメ横情報満載」の季節に なる。

 午後4時から、虎ノ門の日本財団の記者懇談会。

 月1回のペースで行われているが、財団が広報したい話が多くて、実際には一般 紙が報道する件数は極めて少ない。

 当方は会長の曽野綾子さん、理事長の笹川陽平さんの「世界観」「見通し」「カ ン」などを確かめるために出席するようなもので、原稿にしたことは殆どない。

 今日の懇談で気になった事項。

 (1)ヤングリーダー奨学資金を受ける日本初の大学が慶応大学に決まった。

 日本財団が世界主要高等教育機関に対して贈る世界的な奨学資金(人文社会科学 分野)で、世界40カ国61大学に各々100万ドルの基金が贈られている。しかし、 これまで日本の機関は対象外だった。

 今回、国内で選ぶことになったのは「ODAの削減」の声が背景にあるのかも知 れない。

 さて、そこで気になるのは、どの大学に決まるか?

 興味を持っていたが、諮問機関の意見はあっさり「慶応の藤沢」。先駆者的な意 味で当然である。東大でなかったことに、何故かホッとする。

 (2)17日行われた「2000外苑ロードレース」は素晴らしかった。

 盲人の5キロ。車椅子の10キロ、20キロ。知的障害者10キロ。

 そして一般10キロ。

 参加者3211人。

 健常人が車椅子に乗って、身障者と「車椅子10キロ」に覇を競う。伴走をつと める健常人の手助けで全員完走。感涙のレースだったらしい。

 曽野さん「石原知事と話し合った、10万人参加のロードレースにしたい」

 懇談会の終わりに共同通信の記者が「直接、日本財団と関係ありませんが」と 前置きして、曽野邸に籠城するフジモリさんの近況を尋ねる。

 「日程はあとで知るだけで、よく分からない。多分、当分はいるのでしょう。も のを書く、と言っているから。物書きは、渡辺淳一さんのように銀座でお酒を飲む。フ ジモリさんを銀座に誘ったらいいのに」と曽野さんは冗談。

 当方が聞く「前大統領は怖くて外に出られない」という情報とは大分、違う。

 懇談会の後、軽くビールを飲む懇親会も用意されていたが、次の予定があったの で失礼する。陽平さんとは挨拶したが、曽野さんとは会えずじまいだった。

 午後6時、人形町の寿司屋で新人歌手?と芸能プロ社長さんを取材。

 社長さんは以前、石川さゆりのマネージャーだった人で、その頃からの付き合い で、彼、堀プロを独立して頑張っている。

 タレントさんとは初対面。「向島で芸者をしていた」という、まあまあ美形。生 き方、演歌。

 おもしろい話なので「ここだけの話」で紹介できたらと思う。

 人形町はすでに「謹賀新年」と書かれた提灯が並び、正月気分。

 浅草に寄り、カラオケ一曲。午後11時、帰宅。

<なんだか分からない今日の名文句>

忙中カラオケあり





12月18日(月) ローマ字入力が出来ない!

 朝から原稿。

 おまけに年末の経理・精算をしなければならない。

 昼、「二代目魁」のボランティアのN嬢から電話。

 「日比谷図書館から、幸田文全集返却の催促が再三、来ています」

 この全集に収録されている「流れる」は、昭和20年代後半から30年代の花柳界 を描いた作品。地名は隠されているが「柳橋」がその舞台である。

 「柳橋物語」を書くために資料として読んでいたのだが、そのまま分厚い本の山に 紛れ込んでいた。

 探すのに約10分。日本記者クラブでN嬢に手渡す。

 N嬢が現れる間に、寸暇を惜しんでモバイルを打つが、どうしたことか、ロ−マ字 入力が出来なくなる。

 真っ青!

 どうして、こんな時にトラブルが起こるのか。俺の人生、とことん付いてない。

 もし、ローマ字入力が出来ないとなると「おけら」が間に合わなくなる。日記も書 けない。真っ青!

 N嬢と共に、アアでもない、コウでもない、と悪戦苦闘。約20分後に“復旧”す る。

 我が社の女性記者の草分け的存在に再会。

 「大日立と30年間闘った組合運動の活動家が短歌の本を出すのよ。ビラ配りの歌、 みたいなものよ。これが良いんだ。本が出来たら記事にしてよ。決まった。太郎さん に書いてもらおう」。

 興味はあるが、このところ、原稿漬けの観があって「うん、分かった」。つれない 返事。

 そこへ、たまちゃんから携帯。

 「競馬はロマン」の取材相手と打ち合わせ結果を報告してくれる。

 「先方は23日中山競馬場なら時間がある、と言ってますが、どうします?」

 先方こそ、多忙極まりない御仁だから、会わせるしかない。ああ、こんどの土曜日 も働かされるのか。

 会社に行く時間がないので「ここだけの話」のゲラ直しはFAXで済まし、午後6 時、仲間と落ち合う。

 人生の大先輩と言うか、達人と言うべきか、Bさんは愉快な人。悠々と古稀を迎え た。そのお祝い会。

 行きつけの蕎麦屋が定休日なので、例の新橋→浅草に落ち着く。

 先輩は極めて好奇心が強く、何にでも挑戦する。

 今日は「動物占い」。

 「見てやる」と言うので、生年月日を言うと「君はコアラだ。サービス精神旺盛だ な」。長々と蘊蓄を披露したが、その内に「いや、数字を間違えた。虎だ、虎だ」と急 遽、変更。どうも信頼が置けない。

 でも、何となく楽しくなって、熱燗をほんのちょっと飲んだ。

<なんだか分からない今日の名文句>

忙中占いあり





12月17日(日) テレビか、モバイルか

 早朝から、モバイルに向かう。

 年末進行で、締め切りが早い「頼まれ原稿の処理」に追われる。

 昨夜も忙しかった。池袋駅近くの「おもろ」二階の有田芳生さんの「忘年会兼オフ 会」。出席するつもりだったが、ちょっとした取材があって、挨拶をするのがやっと。

一階で失礼する。

 有田さんの知り合いの滝本太郎弁護士が、わざわざ一階に降りてきて「残念ですね」。

 オウム追及の滝本さんとは、お互いに顔みしりだが、改めて話したことはない。

 滝本さん「前から気になったいたんですが、太郎は本名ですか?」

 僕「本名です」

 滝本さん「僕も本名です。うれしいですね」

 有田さん「僕、明日は中山に行きます」

 僕「無理です。行けません」

 で、終わり。その間、約七分。

 有田さんが競馬をするのって知らなかった。

 昼前。友人から電話。野暮用。ことのついでに掲示版でも話題になっている例のフ ジモリ問題で情報を交換する。

 ペルーの日本大使館に相変わらず脅迫電話が頻繁で、外務省はペルーに旅行したり、 滞在する日本人に「海外安全相談センター情報」を出して、注意を呼びかけた。

 友人「日本国内でのテロも心配で、警視庁は機動隊に警備させている」

 公安当局には「テロの可能性」を示唆する情報が幾つかあるらしい。

 「外に出られないので、彼はカップラーメンを食べている」

 亡命?も楽ではない。

 午後。テレビで競馬。また外れる。テレビの画面では「当たらない予想屋」井崎脩 五郎さん、フェアリーSを一点で的中。涙を流している。60数倍の配当。凄い。めちゃ 、凄い。有馬記念で会ったら、からかってやろう。

 競馬中継が終わって、テレビ東京にチャンネルを変え「日高義樹のワシントンリポー ト」を見る。

 ピーター・ドラッカー博士に日本観、世界観を聞くインタビュー。90歳にして 「明日を支配するもの」を刊行してベストセラー。大変な長寿学者だ。

 かつて「20世紀は日本の世紀だ」と話した彼は「21世紀のリーダーが誰か分か らない。その鍵は少子化は克服」といった趣旨の話をする。当たり前と言えば、当たり 前だが、彼が言えば説得力がある。

 終わって、いやいやモバイルの前に座る。原稿続行。

 7時過ぎはテレ朝。鳥ちゃんの「スクープ21」。小渕前首相の病室で何が起こっ たかーーという検証番組。

 順天堂医院の関係者から鳥ちゃんに「青木官房長官(当時)は病室の小渕さんに会っ ていなかった」というメールが届き、取材が始まった。

 集中治療室の写真、偽名を使った小渕さんの検査データを揃えて「青木さんが、小 渕さんと話したことなく首相臨時代理に収まり、森さんを後継首相に指名したとすれば、 国民を無視した“暗闇のクーデター”ではないか」という告発である。

 力作。最近の「スクープ21」は活気がある。

 また、モバイルに戻り、次なる原稿。

 「葵 徳川三代」は音だけ聞き、モバイルを叩き続け、これも最終回のTBS「オ ヤジぃ。」に差し掛かる。

 田村正和のファンなので見逃せない。

 この家庭ドラマよく出来ていて、ほのぼのする。舞台回しのガングロ役が可愛い。 ただし、広末涼子はどうも……。

 テーマソングが要所要所で流れ、コレがまたいいのだ。

 それにしても、気になるのはご贔屓の田村クンの容貌。嫌に歳を取った感じで、心配である。

 またモバイルに向かい、この日記を書いて就寝。

 忙しい週末。モバイルが無ければ、乗り切れなかったし、テレビが無かったら発狂 する。

 月曜日からは、もっと忙しいかも知れない。

<なんだか分からない今日の名文句>

多忙上手、多忙下手





12月14日(木) 小説家先生は下戸?

 朝、毎日新聞朝刊(14日付東京版)16面、17面に、例の「TOKYO感動 物語」の選考結果が発表されている。

 東京2000年祭事業の一つで、日本に住む外国人に東京の印象を書いてもらう 企画。18ヶ国71作品の応募があり、最優秀賞以下4作品が選ばれた。

 石原知事が「是非やりたい企画なんだが、金がない。スポンサーを探してやれ !」という事で善意の応援で東京探検ツアーを実施、参加した外国人が「東京の感動」を テーマに筆を競った。

 「筆を競った」というのは、大部分の応募者がワープロではなく、自筆で、しか も日本語で応募した。

 その表現力は日本人以上である。

 16面に審査委員の写真が大きく載っている。

 最終選考の時、写したのだろう。僕の写真、頭の毛が四方八方に逆立っている。 実は、何か熱中すると頭を掻きむしる癖がある。あの時も「どれを最優秀作にするか ?」で座長の僕はかなり悩み、頭を掻きむしった。

 それに軽い老眼で、書類を見るとき眼鏡を外す。その時、写されたのだろう。眼 鏡がなくて顔が「ぼけっ」としている。ああ、カッコ悪い。

 今日も、こんな事があると……と思い、横町の床屋で散髪し表彰式に望んだ。

 素晴らしい表彰式だった。受賞者が出来る限り日本語で話し、途中で詰まると小 さなメモを出して、一生懸命喜びを語った。素晴らしかった。

 僕の役目は審査経過報告。

 「優秀作品には、それそれに“殺し文句”がちりばめてあった。それが美しく、 素直で、愛情に満ちているものを選んだ」と話した。

 横浜新税が横浜市議会の本会議を通過。これからは、自治省の判断、ということ になる。

 はたして、どうなるか。悪代官新税を許さない気持ちに代わりはない。

 夜「21世紀・競馬シンポジウム」の打ち上げ。

 パネリストが売れっ子ばかりで、なかなか時間が合わなかったが、やっと全員集 合。

 話題は、当然、競馬の蘊蓄。

 作家の浅田次郎さん、「直木賞を取った時、記者会見があって『今年は直木賞と 天皇賞を取りました』と話したんだ」。これには一同大爆笑。

 タダビスの薗部博之さん。「競馬場にキャッシュサービスがあればいい」。

 電通の福田優二さん。「携帯は9兆円産業になった」と競馬産業のライバルの 話。

 やれ、馬は俺より上等な人参を食べている、とか、××騎手は礼儀正しい、とか 話題はつきなかった、終わりは、当然のごとく有馬記念大予想。

 テイエムオペラーは強い。ものすごく強い。と意見は一致したが、僕は、たま ちゃんの推奨馬・ステイゴールドが勝つ可能性について、予想屋のように話す。

 その理由。

 (1)オペラオーの後ろから走る馬は、オペラオーを抜くことは出来ない。なぜ なら、オペラオーに勝る末足はこの世にない。従って、オペラオーより前で競馬をする 馬。それはステイゴールド。

 (2)後藤騎手は前走、有馬で勝つため訓練をした。初めから有馬を狙ってい る。それで4馬身差。

 (3)武豊に代わるスターが生まれる。それが20世紀最後の有馬で生まれるの だ。それは後藤。

 予想が始まると、全員、時間を忘れる。

 因みに「鉄道員(ぽっぽや)」の作者・浅田先生は完全な下戸。いつも、ほろ酔 い加減で話していると思っていたのは幻覚だった。

 「小説家は酒を飲まない人が多い。酒は時間を取りすぎる。飲む人でも、連載が 終わった時、たらふく飲む、というのが多い」と浅田先生。

 意外だった。

<なんだか分からない今日の名文句>

馬と武士は見かけによらず





12月13日(水) 妙なスキャンダル写真

 朝7時すぎ、文化放送の「チャレンジ!梶原放送局」とかいう番組に電話で出演す る。

 例の「横浜新税」問題。横浜市の担当局長が電話に出て「4日の本会議で可決さ れる見通し」を話すという。

 「そこで、新税に反対される理由を説明して欲しい」というのがラジオ局の要望。

 朝早いので、正直言って面倒臭いが「税の公正」という観点から、やらずぶったく りの新税を放置する訳にはいかない。眠い目をこすりこすり、意見を述べることにした。

 「いくら財政難に苦しんでいるといっても、法の公平性を無視して特定の個人、法 人、団体を狙い打ちして課税するのは悪代官の仕業。自治体の放漫経営のツケを競馬ファ ンに押しつけるのは許せない」と話す。

 横浜市の担当局長は「ファンに迷惑をかけない増税」と抗弁するが、ファンに迷惑 をかけるのは自明の理。

 下手をすると、JRAの剰余金から捻出している単勝、複勝馬券の配当金上乗せが 出来なくなる可能性だってある。

 競馬の売り上げの10%は国庫納付金として吸い上げられている。これは税金より 厳しい取り立てである。

 ギャンブルは本来違法、それを許してやるんだから重税も我慢しろ、という儒教的 支配体制。これが元々間違っている。

 その上に「横浜の悪代官」の酷税。ファンサービスに生かされる金が地方自治体に 吸い上げられたら、ファンは踏んだり蹴ったりである。

 それでなくても、横浜市は年間1億円以上の「環境整備費」をJRAから受け取っ ているのだ。

 発泡酒課税しかり。行政は庶民の楽しみを奪って、自らの放漫経営のツケの帳尻を 合わせる。

 怪しからん風潮である。

 結果的にファンが離れれば、さらなるサービス低下→合理化→リストラ→国庫納付金 激減→横浜新税は名前は残るけれど税収ゼロ、なんてことになる。

 自分が市長を勤める間だけ、一時しのぎの増税で何とかすればいい、という市長さ んのエゴが経済を萎縮させる。

 パーソナリティの梶原さんは当方に好意的で、十分とは行かないが、時間配分に配 慮してくれた。

 ラジオが終わって浅草橋駅前の売店で、発売直後のFOCUSを買う。

 例の「本誌が森スキャンダル写真を封印した理由」という記事が載っている。これ が興味を誘った。

 森さんと暴力団幹部のツーショット写真が存在する、という噂は、例の「加藤中途 半端クーデター」の時から永田町で囁かれていた。

 初めは、FOUCSがこのスキャンダル写真を掲載するという噂だったが、そうで はなく、今週はじめ発売の週刊現代に載った。

 載ったには載ったが、この記事は、今一つ迫力に欠ける。何しろ、暴力団の幹部と いう人の顔が墨で塗られている。

 本当に暴力団なのか。

 週刊現代は「この人と写真を取ったのが悪い」と主張している。なのに「この人」 の写真が墨で塗られていては迫力がないのは当然である。

 いかにもおかしい。不思議なスクープである。

 そこへ持ってきて、FOUCSが「写真を載せなかった理由」を書いた。

 この人は暴力団員ではなく、過去に殺人事件に関与したけれど、今は組織にも属さ ない「右翼の人」。森さんとは必ずしも親しくはない。

 政争の最中、マスコミブローカーのような人が、何故かこの「右翼の人」から写真 を借りていった、というのがFOUCSの解説。

 どちらが真実に近いのか、分からないが、写真を手に入れれば真実が分かる的な安 易 な取材方法。この手法はそろそろ限界があるように思う。

 本来なら、一緒に写真を撮った人物が、自分の顔写真を明らかにして「森さんには、 こんな悪がある」と告白してこそ、本当のスキャンダルになる。

 老舗の週刊現代だから、多分、何か「隠し球」があるのだろう。しかし、それにし ても、中途半端だ。

 週刊現代がそうだ、と言うわけではないが、報道のオーバーランは権力に付け入る スキを与えることになる。

 夜、親しい仲間と一杯。

 たまちゃん「有馬記念はこの馬で決まり!」と意外な馬を推奨する。

 その馬の名前は……日記が長くなるので、また明日。

<なんだか分からない今日の名文句>

言わぬが損?言わぬが花?





12月12日(火) 永田町は候補者探し
            霞ヶ関は人事大渋滞


 12・12・12は大江戸線開通、新文芸坐オープン。どちらも覗いてみたいが、それもままならない。

 朝はリハビリ。例によって、患者は作業部屋にあふれるばかり。

 我ら脳卒中仲間の話題は「河豚の季節になったな」。で、旨くて安い「ふぐ屋」はどこだ?という議論になった。

 町内の遊び人、珍味卸し業の津幡屋のオヤジが勧める「ふぐ料理を安く上げる方法?」

 (1)「ふぐ刺し」は食べない。高いからだ。そのかわり、骨付きの肉をしゃぶし ゃぶにしてもらう。味に違いはない。

 (2)白子は食べない。これも高い。我慢して、別の機会にタラの白子を食べる。味、栄養価は変わらない。

 (3)トラふぐは食べない。普通のふぐと違いが分かる奴は何人もいない。見栄を張るな!

 (4)旨いかどうかは、酢醤油の味。名店で修行した職人が独立した場合、まず、この酢醤油に気を付ける。紅葉おろしと酢醤油のバランスが大事。板前の履歴を調べることが必須。

 と、まあ、リハビリをしながら、遊び人が手振りを交えて説明すると、一同「食いたくなった!」。

 そこで、彼が「小汚い店だが、この辺りでうまいのはここ」と推奨するのは  台東区浅草橋5丁目10「とんぼ」(TEL03−3861−2405)。  旨くて安い「ふぐ屋」を知らぬ当方、話題に入れぬ悔しさ。掲示板愛好者の諸君!当方に隠れたふぐの名店、教えてくれ。

 午後、雑誌のインタビューを受ける。

 同行して来た政治部の大先輩と世間話。大先輩は20年前、毎日新聞を退社、衆院選に出馬、議員生活を送った。今でも政界に詳しい。

 「自民党の議員は森さんを除き、全員、新しい首相で選挙をしたいと思っている。 党内基盤を考えれば、橋龍再登板、ということもある」。

 この話より、彼が新聞社を辞め、当時の田中派から出馬した裏話、実に面白い。

 それにしても、新聞記者を辞めてまで、人数あわせの陣笠議員になる感覚は“筆一本”の僕には、なかなか理解できない。

 社の一階の喫茶店の前を通りかかると、呼び止められた。9年前に退社した政治部の後輩である。

 夫人とシンクタンクをやっていると聞いたが「実は、来年、選挙に立ちます」。

 ヒエーッ!!

 本当か?野心満々の男だったが……さて、政治家の資質があるこどうか。分からない。

 要するに「奨められたので」と言うだけで、まるでアルバイトの就職みたいな感じ でもある。  頑張ってくれ。

 多党派現象、新無党派誕生……候補者は恒常的に人手不足気味。永田町は「立候補してくれ!」の候補者探しに必死である。

 「競馬はロマン」の取材を終えると、社会部のデスクの友人から電話。

 霞ヶ関では省庁の統合で来春1月8日に大移動が予定されているが、こちらは権益争いで、局長クラスの異動が固まらない。

 「普通なら、内示が終わっていいのに」と友人。落ち着かないようだ。

 霞ヶ関は人事大渋滞。こちらはポスト不足なのか?

 昨日の日記で「新聞社は女性を幹部社員にすべきだ」と書いたのに、社内には異論があるようだ。

 今でも女性の感性が生きている。

 いや、男、女と区別するのが、おかしい。と意見は色々ある。

 しかし「女性が役員だったら紙面は変わる」という確信のようなものがある。

 例えば政治の報道。新聞は政局報道には熱心だが、政策報道は必ずしも熱心でない。「政策を言え」と政治家に注文を付けながら、政策を多角的に報道をしない。  もし女性の幹部がいれば「この政策報道、どんなことだか分からない。もっと優しく詳しく報道すべきだ」と指示するだろう。

 女性の「何故なの?」の疑問が新しい報道を生む。

 ともかく、女性役員を作るべきだ。 一人も女性役員がいないなんて異常だ。

<なんだか分からない今日の名文句>

烏合の衆





12月11日(月) 男女共同参画

 寒いのにベットから這い出し、久しぶりに“朝駆け取材”を敢行する。

 取材の目的は大それたものではないが一応、秘密。相手が誠意を込めて話してくれたのだが、やっと聞き出した話、果たして書けるかどうか。冷静になると、どうもストレートには書けない。

 今の時点では「くたびれもうけ」。俺の人生、こればっかりだ。

 仕事場に戻ってメールを点検。アメリカ在住の大学教授さんが「自分のホームページ(五十嵐仁のア メリカ便り)に引用したいので、許可を願いたい」との申し出。彼が引用した中身は「7日の編集長日記」。亀井さんが「俺の派閥から3人入閣させろ!」といちゃもんを付けた一件である。

 多分、この話、どのメディアでも扱っていないから特ダネだろう。自信を持って「引用了解!」と返事を打つ。アメリカに読者がいて、僕の意見をチェックしていることに誇りのようなものを感じる。

 ホームページは「くたびれもうけ」では断じてない。

 「おけら街道」を書き上げてから出社すると、上司にあたるM君が「先週のここだけの話、事実誤認のようなものがある」と話しかけてきた。

 「女学長が行く」と題したアレ。日本は男女完全平等にはほど遠い。総合大学の学長さんは生まれたが、マスコミの幹部社員に女性は少ない。毎日新聞には一人もいないーーと書いた、あのコラムに対する意見である。

 「牧さんは『毎日新聞に女性幹部社員がいない』と書いたけれど、これは幹部社員になる年齢の女性がいないからなんだ。あの頃、入社試験で女性を取らなかった。だから仕方がない。女性を差別しているのではない。だから、事実誤認に基づいているというか」

 M君は、社内で一番、信頼出来る仲間の一人。実は駆け出しの頃、僕の可愛い後輩だった。

 全くの善意で話している。

 しかし、この意見には承伏できない。

 確かに1960年代から70年代にかけて、我が社は女性を取らなかった。僕の記者職の同期生(1967年入社)は17人、全員男性である。

 これは日本の高度成長を支えるシステムに問題があったからだ。当時、男女の役割分担をシステムとして容認しようとするコンセンサスが存在した。

 男性は企業戦士。銃後の守りは専業主婦。というシステムである。

 それでも、意識の高い女性は果敢に社会進出を果たした。

 高度成長が終わり、人々のコンセンサスは「男女共同参画」に変わった(あるいは変わりつつある)。

 男であれ、女であれ、自分の意志に反して選択しなければならない時代はようやく終わった。男女の役割分担はすでに過去のものになりつつある。

 家庭というユニットの役割分担ではなく「個」が極めて主体的に選択する。女性が仕事を持つこともいいし、専業主婦でもいい。男が専業主婦でもいい。

 「個人主義の20世紀」は、世紀末になって、掛け声ではなく、「個」を大事にするシステムで動き出した。

 その潮流を新聞社は正確に把握しているか。これは甚だ、疑問だ。

 「あの頃、入社した女性がいないから、女性幹部社員がいないだけだ」というM君の意見は誤っている。

 新聞という商品を作る課程で、女性の意見、感性を排除するのって、許されるものではない。社会が「男女の役割分担」から脱却しているのに、高度成長に時代と何ら変わらない「判断するのは男性だけ」で商品をつくる現状。このまま続ければ、読者から見放される。

 もし、我が社の女性社員は幹部社員の年齢に到達しないーーと強弁するなら、外部から幹部社員に相応しい人材を獲得すべきだ。いや、すべきだった。

 M君がかつて組合の委員長を勤めたこともある、温厚な紳士で、彼が社内のコンセンサスを形成する人物の一人。多分、僕が一番好きな男だ。

 しかし、この問題では譲る事が出来ない。

 僕は「外部に人材を求めても、女性の幹部社員が必要だ」と何度も力説し、彼も理解してくれた。

 新聞社は好き勝手に他者を批判するが、逆に批判されるとオタオタする。

 社員が酒場で会社の方針を批判するのはいいが、一社員がホームページで堂々と社を批判すると、どうしていいか、戸惑っているのかも知れない。

 申し訳ない。

 しかし、僕は新聞でも「本音のコラム」を売り物にモノを書いている人間だ。

 他人を批判していながら、自分の会社の矛盾に目をつぶるわけにはいかない。

 サラリーマンとして上に睨まれるのは、慣れっこだ。

 毎日新聞の「開かれた新聞」。良いところも、悪いところも、読者にオープンにするのが「開かれた毎日」が、読者に愛されるところではないか。

 12日の閣議で「男女共同参画」の方針が了承される運び。最終段階で、文言に色々なところから、文句がでたようだが、男女完全平等への道は後戻り出来ない。

<なんだか分からない今日の名文句>

同じ事はひとつ事





12月10日(日) 霊界通信?

 前夜(9日)東京・西恵比寿の画廊で開かれた「永倉萬治さんを偲び、夫人を励ま す会」に出席した。

 “脳卒中の星”永倉さんが亡くなって、もう二ヶ月も経った。

 会場には彼の立教大学時代の仲間、東京キッドブラザースの仲間、雑誌編集者が6 0人ほど集まった。脳卒中の患者仲間は僕一人だった。

 会場の隅にいたら、奥さんが目ざとく当方を見つけ「大馬鹿野郎のこと」を少しず つ話してくれた。

 41歳で、最初に倒れた時、永倉さんは夢の中で白髪の老人が「こっちへ来い、こっ ちへ来い」と手招きするのを見た。「これが臨死体験ですか?」と立花隆さんに聞 いたら「そうでしょう」と言われ「立花さんのお墨付きをもらった」とはしゃいでいた。

 ひょうきんな男だった。

 「多分、妻や子が一人立ちするまで白髪の老人が、こっちへ来い!を待ってくれた んでしょう。彼は、そのことを忘れて『100歳まで生きる……』なんて。大馬鹿野 郎…でした」。

 最初の発病から再発まで11年。

 「ありとあらゆる健康法を試し、健常人になろうと急ぎすぎたんです」と奥さんは哀 しい分析をした。

 奥さんは挨拶で「私は、大馬鹿野郎の小説を誉めた事がなかったんです。濡れ場を 書くと、Hが足りない、なんて言う。倒れる数時間前、テレビでビートルズのジョンレ ノンの絵の話が放送されていて、永倉は『俺も、本気で絵をやろうか』って言ったんで す。その時、何故か『確かに絵はうまいわよ』と調子を合わせたんです。彼を誉めたの は最初で最後。その数時間後、倒れました」と精一杯のユーモアだった。

 僕は奥さんに「実はホームページを作ろうか、どうしようか、彼から相談されたん ですよ。金がかかるんだろ、と言うんで、金はそれほどかからないけど、面倒なら俺の ページに居候させてあげる、と約束したんです」と話す。

 「そうなんですか。牧さん、そのホームページに永倉は、あの世から通信で現れる。 私も永倉と通信したいな」と彼女は遠くを見ていた。

 傍らの水口義朗さん(前婦人公論編集長)が、話に割り込んできた。

 「出来る。通信、出来る。大江健三郎が、そういった通信をテーマに小説に書いて いる。昨日、本屋に出たんだ。面白い……それにしても最近は小説が売れないな。小説 現代は2万部、オール読物でも5万部……」と極めて現実的な方向に話に持っていった。

 奥さんは永倉さんの最後の作品「ぼろぼろ三銃士」(北日本新聞連載)をあの世の 彼と“連絡”を取りながら、完結するつもりではないか。

 しんみりした、でも楽しい偲ぶ会だった。

 午前中、水口さんが言った「大江健三郎の小説」が気になって、本屋で「チェンジ リング・取り替え子」(講談社・定価・本体1900円)を買う。

 自殺した義兄・伊丹十三さんとの交流をテーマにした私小説。伊丹さんとおぼし き人物があの世に向かったところから話が始まる。

 読み進むに従って、僕には幾分、難しい作品かな、と思ったりする。

 何日か前に「週刊誌に森首相のスキャンダル」の噂を書いていたが、それが現実に なり、週刊現代はあす発売とか。それほどの致命的なものではないようだが、内閣の対 応如何では、政局の火種になるかも知れない。

 午後「ここだけの話」。他に仕事もなく、ゆるりとした日曜日だった。

<なんだか分からない今日の名文句>

あの世のメールは常に微笑む





12月7日(木) 亀井さんも、記者さんも
               品が悪すぎる


 仕事場が隅田川に面しているので、午前中は燦々。「競馬はロマン」を書き上げ たら、うつらうつら。これではイカン、このままでは冬眠してしまう、と気づき、取材 活動に出かける。

 永田町の銀杏の葉はすでに落ちている。

 内閣改造の後日談が、いろいろ漏れてくる。

 橋龍さんが引き受けた行政改革担当相、実は森さんから野中さんに「やってもら えないか?」と打診があった。野中さんは「お断りした」と言っているから、総理経験 者が野中さんの「残りもの」をいただいたことになる。

 水面下でうごめいた「秘密」が次々に明るみに出るが、気になるのは「亀井さん の豪腕」である。

 例の真紀子さん入閣騒動に関する極めて正確な情報。新聞紙面では亀井さんが 「真紀子さんはどうだろうか」と森さんに耳打ちした。そこで森さんも真剣に考えたが 橋本派の反対で消えた、ということになっているが、そうでもないらしい。

 森さんは最後まで「橋龍さんと真紀子さん」に拘った。内閣の人気浮上には真紀 子さんしかない。橋龍さんは「首相枠」と真紀子さんは「無派閥」で入閣させようとし た。

 橋龍さんを「首相枠」にすれば、橋本派からは衆院から3人、参院から1人の計 4人が入閣する勘定である。

 森さんとすれば、他の有力派閥から2人入閣でバランスを取ったつもりだった。

 ところが、亀井さんは異議を唱えた。

 「橋本派から5人入ることになる。同じように主流派を形成する江藤・亀井派が 2人というのは我慢できない」。

 要するに「無派閥」の枠をこちらによこせ!

 この強談判に森さんが折れ、真紀子さんの入閣は消え、江藤・亀井派の伊吹文明 さんが入閣した。江藤・亀井派は3人入閣。

 ノー天気の森さんも、これには我慢できない様子。

 森さんは「実力者集合、時代のエース集合」を狙い、真紀子さんという人寄せパ ンダで、人気浮揚を狙ったのに、土壇場で亀井さんの豪腕に負けた。

 今、捜査が進む某事件で、窮地に立っている参議院の某氏などは「派閥次元の人 事を一掃しようとしたのに、亀井が駄々をこね、キズを付けた」とカンカンらし い。

 亀井さんはヤクザ屋さんも顔負けの腕っぷし?彼には、この日記でも揺れた「過 去」もある。永田町に巣くうヤクザを取締る言論が是非とも必要だ。

 もう一つ、隠れた話題はヤクザみたいな言動と誤解されそうな記者さんのお話。

 内閣記者会の新大臣記者会見に、この辺りでは顔を見かけない記者さんが数人現 れ、新大臣全員に「泥船内閣に入閣した心境は?」と聞く。

 多分、社会部の遊軍記者が、その辺の「本音」を聞こうとしたのだろうが「泥 船」「泥船」の連発はどうだろうか。多くの人が「総会屋のようだった」と話す。

 仕事熱心なんだろう。でも、あまりに品がなさ過ぎる。

 これは名前を名乗らず、質問することを許す記者会見のやり方に問題がある。

 アメリカのように「○○新聞の○○です」と述べることで、質問する方も責任を 取るのが筋ではないか。

 品位も、悪を追及するものの資質である。

 この間も、この日記で書いたが、週刊誌が本格的な森スキャンダルを書くという 噂が永田町を駆け回っている。

 議員会館の外に出れば、辺りは真っ暗。一年で一番、昼が短い季節になった。

<なんだか分からない今日の名文句>

「侠」のないヤクザ





12月6日(水) 官房副長官の愚痴

 朝、東京専売病院で血糖値検査。空腹時100はまずまず。ホッとする。

 「二代目魁」ボランティアのJr君と打ち合わせ。

 準備中の「柳橋物語」をいつ頃から連載するか。一回の長さをどのくらいにするか。 仕事が忙しいのに相談に乗ってくれた。

 午後、仕事の合間を縫って手紙、メール類の整理。そろそろ、年賀状の準備をし なくてはならない。

 ここ一週間のハガキは、ほとんど「喪中につき新年のご挨拶ご遠慮申しあげま す」。

 喪中ハガキは去年の倍。歳を取った証拠で、同級生の多くが、親を亡くした、と 知らせてくる。

 次に多いのがキムタク騒動のご意見。まだ、騒動の余震が残っている。

 キムタクは毅然として清々しい、と「ここだけの話」で書いた当方に「見方が甘 い」というご意見が結構ある。そうかも知れない。でも、僕には、並の男とは大分、違 うハラの出来た男と思えるのだ。

 逆にキムタク支持派の怒りのメールもある。

 某有名人Yさんが某ラジオ放送で、ここでは書きたくない下品な表現で工藤静香 を罵倒した、許せない、というのだ。

 Yさんは、あまり好きではない。嫌に下品な言い回しで「男・和田某」を狙って いるようで好きになれない。奴なら言いそうだ。

 メールの主はラジオ局に抗議し、局側も「訂正させる」と言いながら善処してい ない。許せないーーと、再度のメールをいただいた。

 お怒りは分かるが、当方として何をして良いか分からない。キムタク話は無責任 なものが幾つもあるし、節度を欠いた報道も切りがない。

 だが、どんな下品な表現にも「言論の自由」がある、というのが僕の姿勢なの で、理解してほしい。

 (ただし、僕が下品な報道をしたら、怒ってほしい)

 そして、多い手紙のナンバー3は、何年も会っていない女性からのもの。これは 大部分「今、○○に勤めています」というネオン街のお誘い。僕のような安サラリーマ ンにまで「お誘い」を出すのは……水商売も藁をもつかむ年の瀬?

 夜、内閣改造の折から、政治関係のホームページをザッと読む。

 例の安倍晋三官房副長官のホームページ「官邸にも言わせてほしい!」。ちょっ と、気になった。

 晋三さん、今年八月、山中湖で石原慎太郎一家と会食をしたらしい。その時、石 原さんが「日本のように国の最高権力者を貶めることに熱中する国はない。これでいい のだろうか」という意味のことを話した。

 首相官邸で日々マスコミと対応している晋三さん、この指摘に「我が意を得た り」と思ったのだろう。こんな経験話を披露している。

 以下、その要旨。

 APECに出張したときのこと。森さんは報道陣にAPECの成果を丁寧に説明 した。インタビューの95%が「丁寧な説明」だったが、それは省かれ、最後の質問 「日本に帰ったら何をやりたいですか?」という問いに、イスラムの禁酒国・ブルネイで 会議が行われたということもあって「帰国したらビールを飲みたいですな」と森さんが 言ったら、そこだけが放送され、まるで森さんに緊張感が無いように、テレビキャス ターは論評した。以上が晋三さんの愚痴?である。

 分からないでもない。報道陣が憎らしくなるかも知れない。

 しかし、それは、君の勘違いである。

 官邸と記者団がソリが合わないのは、両者の力不足である。正直に言えば、広報 の裏方・晋三さん、あなたの力不足である。

 APECの話にしても、同行した記者団は「読者が興味を持つ話が出れば報道す る姿勢だった。逆に、丁寧に説明しても、読者が「興味を抱かない話」ばかりだった ら、書く必要はない、と思っていた。

 新聞、テレビが報道しなければならないものは幾つもある。首相が話したから、 何でも報道しなければならない、なんて決まりはない。

 森さんとその周辺の人々は「昔の番記者」を念頭に、派閥の領袖の話なら「番記 者」は派閥の味方になって「よいしょ」を書いてくれるものと勘違いしている。事実、 某国営放送の某君のような「森派命」の記者もいる。が、それは良識に欠ける一部の ジャーナリストである。

 それでも、同行記者は何か、書かなければならないと思い「帰ったら何をするか ?」と政局がらみの質問をした。洒落たやりとりを期待した。

 何も、解放されたハイジャック機の乗客に「帰ったら寿司を食べたい」と言った 答えを期待したのではない。

 これは、森さんとその周辺の勉強不足がなせる技である。国民の関心に答えよう する熱意に欠けている証拠だ。

 僕の経験では、中曽根さんは、いつも記者、あるいはその後にいる国民が期待す る言葉を用意していた。

 これを僕は「見出しが分かる権力者」と呼んだ。

 そうなると、当方は「政府のご用記者ではない」と思いながら、結果的に中曽根 さんの広報部になってしまう。(もっとも、僕は中曽根さんが一番嫌いな記者だったよ うだが)

 晋三さんに申し上げる。

 「官邸にも言わせて欲しい!」は良い企画だ。

 本音が分かる良い企画だ。しかし、この程度の愚痴では、国民はがっかりする。 晋三さんのファンでも、がっかりする。

 石原さんは、多分「指導者たるもの、貶めようとする報道陣を逆手にとるぐらい じゃなきゃ、駄目ですよ」と暗に教えてくれた。と思わなければ……。

 お父上の無念を知る一人として、敢えて、ご注意させていただく。

<なんだか分からない今日の名文句>

生き筋





12月5日(火) 真紀子の涙?

 1週間ぶりに「たいとう診療所」でリハビリ。また、外来患者が増えて「満員御 礼」の札を出したいぐらいだ。

 患者の話題は、落花生を皮つきで食べると、血がサラサラする、というテレビで 知った効能。

 「私ら若いときは、ニキビが出るとか、鼻血が出るとか、言ったもんだ。それが 血糖値に良いなんてねぇ」。

 患者仲間のMさんは、落花生のおつまみを卸しているが、このところ急に商売繁 盛。

 「有馬記念の3連単やるなら、落花生を副賞に出したい」という結構な申し出。 我がホームページも、地域に根付けるかも知れない。

 それにしても、アッと言う間に有馬記念の季節。JR浅草橋近くの電柱には「債 権、買い取ります!売掛金、飲食代、借金、不渡り手形」という張り紙が登場した。 不況の年の瀬。物騒な風物詩。

 医療雑誌「コミュニティケア」の連載「街角スケッチ」のゲラが送られてきた。 看護協会の雑誌だが「患者の視点がないので、お願いしたい」と言われ、始めることに した。

 原稿料はボランティアに毛が生えているぐらいだが、医療関係者に患者の本音を 伝える「意味のある仕事」だと心得ている。

 午後、世界週報の原稿に催促。締め切りを間違えていたので、急いで書き始める が捗らない。

 夕方、あるJポップのシンガーを取材する。彼、落語の「三題噺」のように、お 客さんにお題をいただいて即興の詩を作り、すぐ歌う。障害を持っている青年だが、底抜 け明るい。来週の「ここだけの話」で紹介することにする。

 その頃、内閣改造が終わり、テレビでは新閣僚の記者会見。

 醜い乱闘政局で、やっと生まれた陣容のカギは?

 1・橋本前首相の取り込みで政権維持を計る森さん。

 2・橋本さんを内閣に放り出し、橋本派の実権を独り占めにして、“森降ろし” を加速させたい野中さん。

 こんなことをやっていたら自民党は見放される。

 田中真紀子という「人寄せパンダ」の入閣を森さんが断念した、という情報が 入って来るが、本当かしら?

 田中角栄・竹下登の時代から、経世会の流れは真紀子大嫌い。それを知りながら 「真紀子に反対するなら、橋本さん、貴方が21世紀初の内閣のスターになってくれ」 と森さんが口説いた、と僕は見る。

 お人好し、というか、政界1の自惚れ屋、橋本さんをよいしょするのは、いとも 簡単。「森・橋本ライン」で野中と対決する森マジックである。

 真紀子さんは道具に使われただけ、というのが僕の分析だが、9時過ぎ、目白情 報で「真紀子さん、泣く」

 「入閣の打診はあったが、橋本派の反対で実現できなかった」と泣いた、という のだが、これも本当かしら。  僕に言わせれば、これも計算した「そら涙」と見るのが妥当ではないか。

 派閥の親分、全員集合!

 右大臣に景気、左大臣に行政改革の2人総理経験者。

 実務型の仕事師内閣と言われるが、果たして、森さんの思い通りになるか。

 ともかく、森改造内閣は冬に咲いた。

 さて、野に下った?堺屋さんの次なる名作「自民党最後の日」(僕が勝手につけ た仮題)を、どの出版社が一人締めにするか。これも見物だ。

<なんだか分からない今日の名文句>

三日見る間の桜





12月4日(月) 10年目に入ったぞ

 午前4時ごろ、尿意を感じて目をさます。

 トイレに行ってから、普通はパソコンを見たりするのだが、このままベットに潜 り込む。今朝は寒い。

 午前中、原稿1本。

 昼、銀座東急ホテルで「東京築地ロータリークラブ」の第1511回総会でミニ 講演。

 例の競馬狂?フリーライター、栗岩太郎君のお父上、栗岩英雄さんの頼みで3 0分ばかり、とりとめのない話をする。

 英雄さんは元錦華小学校の校長で千代田区の教育委員。頑固ものである。もとも とは太郎君と親しかったが、最近はお父上とも付き合いが出来た。

 お父上、再会すると打ち合わせより先に「奴に結婚しろ!と言って欲しい」と懇 願する。

 太郎君は根っからの自由人。無理とは思うが「先生の意に沿うよう、僕からも 言ってみましょう」と曖昧に応える。

 太郎君は有名なお稲荷さんの11代目宮司なので、血が途絶えると困るらしい。

 最近、どこに行っても「結婚しない症候群」。

 俺だって、生活がこんなに便利だったら、結婚しなかったろうに。

 築地ロータリークラブは東京ロータリークラブが銀座ロータリークラブと別れ、そ のまた「銀座」が「銀座」と「築地」に別れた。要するに老舗クラブ。市場関係者が多 い。

 出席者約90人。出席率がすこぶる高い。会員は50,60代中心。江戸っ子気 質がみなぎっている。

 感想1・牛フィレ肉の昼飯を全員、あっと言う間に平らげる。ストレッチ体操を する。極めて健康に自信、とお見受けする。

 感想2・礼儀が当然ながら正しい。これは爽やかである。

 感想3・衣類が上等。ネクタイが斬新。金持ちが多いらしい。

 感想4・初めに君が代を斉唱する。が、何故か、月初めの例会だけ。これは不思 議である。

 感想5・チャレンジ精神が旺盛で、やれ「○○さんは一部上場した」「××さん は、この歳で宅建免許を取った」と言ったアナウンスがある。当の会員は感謝の気持ち を込め、ニコニコボックスに募金する仕組みらしい。

 まあ、感想は幾つもあるが、ロータリークラブは「幸せのデパート」のようだ。衣 服たりて礼節を知る、の典型。(最も、その裏で、どんなドラマがあるかは、知る由も ない)

 最後まで、よく聞いてくれた。

 関本幸也会長は「来年もお願いしますよ」と礼節を込めた、お世辞。初対面の俳 優の岡田真澄さん(会員の一人)が「面白かったです」とやって来てくれたから、評判 は良かったらしい。

 共通の友人、みのもんた氏に「よろしく」と伝えてもらった。

 銀座東急ホテルは来年1月中旬クローズ。ホテルマンに「君たち、どうするの ?」と聞けば「大半が渋谷の新しい東急のホテルに移ります」。

 だから、悠然としているのだ。

 仕事場に戻り「おけら」を書いているところに、来客1名。「私がやってきたこ とは秘密でお願いします」。

 別に大それた「秘密」ではない。

 勤め先で「ここだけの話」のゲラを見ていると、S新聞社の友人Mクンがやって きて、朝日新聞前の例の「久原」で一杯。

 駆け出しの新潟支局時代の思い出話に始まって、言いたい放題。

 久ぶりに会ったMクンの愚痴?

 その1・早稲田卒記者はミニ東大のようで活力がない。

 その2・朝日新聞が日本を悪くしている。

 その3・俺の娘はなかなか結婚しない。

 その4・出世競争から逃れたお前は幸せ。等々。

 たまたま、ぶつかった、たまちゃんと毎日新聞社会部サブデスク氏も合流し、久 ぶりに議論。楽しい。

 浅草観音裏の「ひまわり」で、Mクンだけで飲み直し。

 気がついてみれば、1991年12月4日に脳卒中で倒れたから9年たった。

 死にそうなり、車椅子で生活し、何とか、杖であるけるようになった、あの日を 思い出す。

 みんなに感謝しなければならない。

 ありがとう。

 でも、正直なところ、よくまあ頑張っている。自分を誉めてやりたい気持ちだ。

 いよいよ「闘病10年目」である。

<なんだか分からない今日の名文句>

闘病は個性だ





12月3日(日) 俺だって熟年ギャンブラー

 「旅打ち」が好きだ。

 見知らぬ街のギャンブル場。うらぶれたコートを羽織り、ポケットからクチャク チャの千円札を取り出し、穴場に差し込む。500円玉でも良い。

 勝ったり、負けたりする。

 勝っても、自慢する相手もいなければ「惜しかった」と愚痴をこぼす相手もい ない。

 ほとんど寡黙。新聞とオッズ、パドックだけを相手に1日過ごす。それがい い。

 ああ、旅打ちがしたい。

 空っ風が吹けば、旅打ちの季節だ。

 熟年ランナー、ブライアンズロマン(牡10歳)が、宇都宮競馬場で日本最多勝 の43勝に挑戦すると聞いて、居ても立ってもいられなくなった。

 週末は仕事を全て断って「北関東旅打ち」に決めた。

 2日の土曜日は、中山競馬場近くの「竜生クン」の顔を見てから、午後、中山で かなり真面目に勝負をした。

 今回の旅打ち、電車賃、宿賃をのぞいて軍資金は3万円 と決めていた。中山で、これを増やさなければならない。

 3万円負けたら旅打ち中止。

 滑り出しは好調だった。が、勝負に出たスポニチ杯スティヤーズSで「負けない はずのナリタトップロード」があっさりこけて、終わってみればマイナス1万円。

 どうしたものか、と思案したが「ままよ!」で東京駅に出て、新幹線で宇都宮に 向かった。

 駅の前の「餃子館」で野菜、椎茸、ニンニク、鮮肉の4種類の餃子を平らげ、 スーパードライ中瓶を入れて、それでも2000円でお釣りが来る。

 旅打ちは、ケチでなければならない。

 宿屋は、新幹線の中で携帯で予約した宇都宮グランドホテル。名前は立派だが、 シングル7500円で手頃である。

 ところが 目が覚めてびっくりした。

 敷地20000坪。庭が素晴らしいのだ。

 筑波山まで一望に望める高台。鹿児島県出身の陸軍大将の鮫島重雄男爵の別邸 だったところだそうだ。

 皇室が利用するお宿。意外な高貴なところへ泊まってしまったが、そんな、穴場も あるのだ。

 紫蘇のジュース。血圧にいい、当店自慢のシャーベットがうまかった。

 タクシーを呼び「競馬場へ頼む」と言ったら、しばらくして「着きました」。

 妙だ。ここはスーパーマーケットじゃないか。

 「Kバシーではないですか?エッ競馬場?」

 よく分からないが、当地では「競馬場」と発音がそっくりのスーパーがある。

 「お客さん、競馬するとは思いませんでした。あのホテルから、競馬場に行った 人いないもん」と運転手さん。

 だったら、スーパーに行った客がいるのか。少し不機嫌になった。

 「あのホテルの女将さんは中曽根さんの親戚なんだそうで……」と、どうでも良 いことを喋る。中曽根人脈は赤城から筑波にも及んでいるのか。

 競馬場には10時半に着いた。

 少し、空模様が気になったので、思い切った特観席を買った。2100円。高 い。地元の人に聞くと「馬主席より立派」と言う。

 これがまた、ドジだった。

 通路から座席に降りる階段があまりに急で下がれない。女子従業員が「通路の椅 子で我慢してください」と言う。特観席なんて止せばよかった。

 雨が心配で、いらぬ金を使ってしまった。身障者旅打ちの哀しさ?

 勝負は第3レースから始めた。

 それまでに「うつのみや競馬の傾向」を学んだ。外枠が強い。そして、騎手の上 手下手がはっきりしている。

 3Rは自信があった。3点で間違いない。

 ところが、オッズがドンドン下がり、的中の4−7は250円。当たって大損。  4Rは自信がないので、お休み。5R。今度は一番人気だけ避けて、買ったらこ れが来て、負けは1万円に達し、残りの予算は1万円。

 カレーライスを食べたかったが、300円の焼きそばで我慢する。

 6R。これも人気通りだったが、掛け金を工夫したので5000円儲ける。

 残金15000円。その間、中山にいるたまちゃんに電話。ようやく余裕が出 た。

 売場に来ると、焼きそばが1皿100円に変わっている。セールなのだろう。焼 そば、飛ぶように売れる。

 7Rは自信なく止める。

 8Rは7頭立て。1枠ヨコハマブリッジ。休み明け3戦目。格上だが人気がな い。三条で競馬をはじめ、新潟に住んでいた頃は「草の太郎」と言われた俺。

 狙いはコレだ。朝から、決めていた。

 総流し。かなりの額といっても、残金15000円だが、思い切って買った。

 そろそろ、日が陰り「オケラ」の頃。どっちにしても、肩をつぼめるころであ る。

 そのヨコハマブリッジが二着に残り、本命馬が3着に沈み1−7・2760円。やっ たゼ!

 そうなれば、後は簡単。

 メインの二荒賞。ここで勝てば日本最多の43勝。10歳馬。あのナリタブライ アンと同期の走る労働者が登場する。

 これは、必ず勝つ。主戦ジョッキーは宇都宮の武豊・内田。同厩舎、同馬主の対 抗馬はいつもは内田が乗っている。

 Bロマンに勝って欲しい、というお膳立てがそろっている。

 そこでBロマンから3番、4番人気に2点勝負。

 当たり! 見事、有り金は2倍になった。

 帰りは、東武宇都宮から東武電車で浅草へ。

 一人で浅草の夜を楽しんだが、それは秘密。

 最初から最後まで、競馬の話でゴメン。

 たまには、俺だって儲けることがある、と言いたかっただけで、明日からはまじ めな日記にします。

<なんだか分からない今日の名文句>

再び、絶望を生き残れ





11月30日(木) 仁義なき闘い

 朝早く起きて、毎日新聞・東京2000年祭実行委員会主催「TOKYO感動物 語〜外国人が見た東京」の応募作品を読む。

 1日の最終選考会までに、熟読玩味しておかなければならない。

 最終に残った18作品、なかなかの力作ばかり。その上、日本語の流暢なもの、 母国語で書いてはいるが翻訳してみると、日本語としても最上品なんてものもあり、甲 乙がつかない。

 困った。

 選考委員、頼まれて、安受けあいするんじゃなかった。

 一世一代の文章は多分、1に「渾身の恋文」2に「親友への弔辞」ではないかと 思う。3,4がなくて「無心の手紙」?

 ラブレターは書く前に、いつも相手に惚れられてしまったから?経験は皆無。親 友は今のところ、ピンピンしているから、名文をしたためたことがない。

 まして、文章のコンテストに参加したことなどまるで無いから、名文の「ここ ろ」、応募の「こころ」のようなものが分からない。

 でも、一度だけ真剣に「良い文章」を書こうとした事がある。

 1966年、早稲田の新聞学科に在籍していた時「この人」に誉められたくて、 彼の科目を取った。

 文芸評論家・Aさんの「文学論」。当時、僕はAさんのファンだった。

 彼が唸るような名答案を書いてみたい。彼、忙しいのか、休講が多かったが、 やって来る日には教壇の側に座った。

 期末試験は小論文。腕によりをかけ、名文をものしたつもりだった。

 ところが、である。

 一緒に、この科目を選んだ友達は全員「優」。僕だけが「可」。情けなかった。

 僕には才能がないのか。

 その晩、早稲田豊川町(今は地名が変わったようだが、田中角栄邸の裏あたり) の飲み屋で、安い日本酒をがぶ飲みしたのを覚えている。

 「Aなんて最低だ。名文家の俺に焼き餅したんだ」と悪酔いした。

 数年前、上智大学の新聞学科の非常勤講師を頼まれた時、はじめて、採点の地獄 を経験して「Aさんも、この地獄を経験したんだな」としみじみ同情した。

 何故か、人気科目になっていたので教室一杯の生徒約140人。全員の答案を読 むのが苦痛で苦痛で、仕方ない。

 Aさんは、答案を飛ばして、遠くへ飛んだ答案が「優」にしたんじゃないか。こ れは冗談だが、採点は苦痛だ。

 二日間がかりで、18作品をやっと読み終え、FAXへ「評価表」を送る。

 多分、選考委員の意見が初めから一致することはないだろうから、明日は時間が かかりそうだ。

 午後0時半、東京大学病院眼科へ。

 1年半前、白内障の手術を受けたので、その後の経過を見る。

 人気のある眼科だが、それにしても「午後1時予約」が、実際に診察を受けたの は午後3時40分。

 「特別、重症の患者がいたので、遅くなり申し訳ない」と説明されたが、それに しても待ちくたびれた。

 経過は順調だったが、ストレスが溜まる。

 何とかならないのか。

 ストレスが溜まるとヤクザ映画。それが、若い頃からの治療法。

 銀座・丸の内東映で「新・仁義なき戦い」を見る。

 豊川悦司、布袋寅泰主演。阪本順治監督作品。

 話は1972年から始まるから、戦争直後の闇市からはじまる「本家・仁義なき 戦い」とは時代が大きく変わる。

 でも、中身は同じ。舞台は西大阪の貧民街。

 貧しい父親をいたぶったヤクザを韓国の血が流れる11歳の少年2人が殺す。そ の幼なじみが、一人は実業家、一人は野心に燃えるヤクザになって、跡目戦争の最中、 再会する。

 最後は、二人とも死ぬ。

 ヤクザ映画は哀しいから好きだ。

 予告編「バトル・ロワイアル」。

 「新・仁義」を見に行き、深作欣二監督作品の予告編をみるのも、何かの因縁。

 「今日はみんなに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」と教師のビートたけ し。「クラスメイト全員殺害」という絶望の展開。

 何か、20世紀最後の映画らしい。これ、大ヒットする予感。(12月16日 ロードショー)

 帰宅して、FAXを整理すると「戦後サラブレッド最多勝利記録に挑戦!」のお 知らせ。

 3日、宇都宮競馬場9レースの二荒賞に出走するブライアンロマン号はただ今、 42勝。タイ記録を新記録に塗り替えるか。

 今日の調教・52.0ー39.6 一杯

 頑張れ!ロマン。

<なんだか分からない今日の名文句>

絶望を生き残れ